06. 籠の鳥



攻防を繰り返す日々に慣れてしまったのか。
一時期避けられていたことが嘘のように、いつの間にかレキシスのフィルズに対する態度は以前と変わりなくなっていた。
フィルズからすれば、それは悲しいほどに――。

「なあ、レシー。結婚する気はないのか?」
フィルズは唐突に問い掛けた。
その視線は手に持った書類、いわゆる結婚話の書かれた紙に向けられている。
そのどことなく物憂げな様子のフィルズを、レキシスはあからさまなほど不審な目で見つめた。
「やはりおかしいですね。もういいかと思っていたのですが――」
「俺は元からまともだ。っと、そんなことより答えは?」
聞き飽きた彼の言葉を遮り、フィルズは再度答えを求めた。
コレが自分の所に届けられたということは、その前にレキシスも目を通しているということ。だというのに、彼の様子は平然としたものでいつもと変わりない 。
表には出さないように気をつけているが、その現実がフィルズの気分を殊更重くしていた。

そんなフィルズの様子をどう取ったのか。
レキシスはそれ以上反論せず、それでも嫌そうな顔をしながら口を開いた。
「今の所、そんな予定も相手もいません。それに私は元々結婚願望がありませんから、一生しないかもしれませんね」
それがどうしたと言いたげな顔に、フィルズは苦笑を返したのだが、
「そういうあなたこそ、さっさと結婚でもして落ち着いたらどうですか?」
そう切り返されて、彼は深々ため息をついた。
「……俺か? 俺もあまり結婚に興味はない。だが、レキシスとならしても良い」
何気なく口にしてから、フィルズは自分の言葉を頭の中で反芻した。

生涯を共にする伴侶。
それが彼だと言うのなら―― それも良い。
フィルズはレキシスに対する自分の気持ちを再度自覚した。
幸いなことにヴィア帝国は近隣諸国の中では珍しく同性婚が認められている。
フィルズの場合、皇帝ではあるが後継者はもう決まっていたので、国主の義務として子を残す必要もない。子が出来れば、逆に要らぬ争いを招くことになるだろう。
レキシスを伴侶にするにあたって、問題になることなどなかった。
唯一つ、彼の気持ち以外には――。

レキシスは言葉も無く唖然とした様子でフィルズを見つめる。
その姿に自然とフィルズが笑みを浮かべる。
「あなたって人は、どうしてそういつもいつも――」
レキシスの顔がみるみる怒りに染まった。
フィルズを睨みつけ、感情のままに言葉が口から吐き出されたのだが。

「愛している」

彼の言葉を遮り、飛び出したフィルズの言葉に、ピタリとその口は閉ざされた。
レキシスの顔から感情というものが削ぎ落とされ、彼は無表情にフィルズを見つめる。
「―― こんなくさい台詞、言ったのはおまえが初めてだ」
そんな彼から視線をそらし、フィルズは気まずそうに小さく呟いた。
事実、今までこんな言葉は誰にも言ったことがない。
たった一言。
けれど、今までそれを口にする機会には出会わなかった。
だが、これほど今の自分の気持ちを表す上でわかり易い言葉も無い。
自分の言葉をどこか本気に受け取っていないレキシス。
彼に本気なのだとわかって欲しい。
そうして告げた言葉は、レキシスの思わぬ行動で答えを得た。

気がつけばフィルズはレキシスに押し倒されていた。
口付けのあい間あい間にレキシスの呟きが零れ落ちる。
「どうして私を振り回すのですか」
感情に揺れる、少し掠れた声。
「ズケズケと勝手に人の心の奥底まで入り込んで、見ない振りをしてきたモノを引きずり出そうとするのですか」
少し悲しげな響きと、
「私は――。私が長年、どんな想いであなたの傍にいたと思っているのです。それなのにあなたの言葉は、私が作った壁をいとも容易く壊してしまう」
間近で交わった瞳が淋しげに微笑した。
「私の一番はいつだってフィルズ、あなたです」
誓うように、先程の荒々しさが嘘のように軽く触れるだけで離れた唇。
それを追うようにフィルズは手を伸ばし、レキシスの項を引き寄せる。
触れるだけの口付けは、次第にまた深くなる。
二人はお互いを食らい尽くすように、しばしの間、求めあったのだった。



「まったくいつ誰が来るとも知れないこんな場所で、いったい何をやっているのでしょうね、私達は」
己の行いを呆れるように、レキシスは言った。
そこにいるのは情事の名残りをほとんど感じさせない、いつも通りの彼だ。
ただ、その瞳はよく見ればまだ熱が灯っており、雰囲気は少し艶っぽい。
けれど、それも彼をよく知る者が見ればわかる程度の、ほんの少しの違いでしかないのだが――。
フィルズはレキシスの言葉に苦笑する。
確かに夕方の、まだ城内に多くの人間が残って仕事に励んでいる、そんな時間に皇帝の執務室の隅に作られた休憩場でする行為ではない。
「―― こんな予定は無かったのですけれどね」
ポツリとレキシスの口から、しみじみとした呟きがもれた。
「後悔しているのか?」
静かにフィルズが問い掛ければ、
「いいえ。全然」
即座にきっぱりとした否定が返ってきた。
「ならいい」
フィルズが安堵の吐息をもらす。
そして、こうなる前に話していた内容を思い出した。

「レシー、俺と結婚する気はあるか?」
まっすぐに見つめられ、レキシスはフィルズから視線を少しだけそらした。
「……ないとは言いません。ですが、当分は止めておきます」
どことなく迷いを含んだ声に、フィルズの眉間に皺が寄る。
「俺が皇帝だからか?」
フィルズに思い当たる理由など、それしかなかった。
けれど。
「それも少しはあります。ですが、大元の理由は違います」
否定を返したレキシスに、フィルズは無言で先を促した。
それに少しためらいつつも、レキシスが口を開く。
「……きっと今の私ではあなたを雁字搦めに束縛してしまいますから。もうしばらく時間が必要なのですよ」
彼の顔に浮かんだのは、淋しげな笑み。
それを目にしてフィルズの眉間に更に皺が寄ったのだが――。

「あなたを籠の鳥にしてしまわぬように」
聞き取り辛いほど小さな呟きを耳にして、驚きに目を見開いた。
その表情が少しずつ訝しげなものに変化し、レキシスを見る。
「先に言っておきますが、私はあなたが思うよりも嫉妬深い男です。ですから、一度籠に閉じ込めてしまったら、その鳥がいくら自由を欲しがろうと逃がすほどやさしくはありません。お互いのためにも、早計はするべきではない。まだ時間が必要なのですよ」
淡々と述べるその口調からは、その言葉がどこまで本当なのかわからない。
そんなフィルズの思いが伝わったのか。
レキシスが苦笑する。
「じきにわかります」

意味深に告げられた言葉は、フィルズの心に長い間疑問としてわだかまることになる。





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2008/03/10
修正 2012/01/15



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