04. 口付け |
避けられている。 フィルズは頭を抱えて唸る。 初めは気のせいかと思った。 けれど、さすがに一ヶ月も話すどころか姿も見ないとくれば、それ以外に考えられない。 どこかに長期で出掛けているのならともかく、そうではないのだ。 レキシスの予定を細かく探ってみれば、空けても数日。 その他は皇城に詰めることになっている。 それはいつもと変わりない日程だった。 だが、以前は毎日とは言わずとも数日に一度は顔を合わせていたというのに……それがパタリと止まった。 絶対におかしい。 原因はまあ、アレだろうな。 そう結論を出して、フィルズはため息をついた。 「早まったか……」 ぽつりと胸中に止まらなかった想いが、呟きとなって零れ落ちた。 それは誰も聞くはずのない独り言だったのだが――。 「何が早まったのですか?」 問う声に、フィルズはハッとなって顔を上げた。 他人の気配に気づかないほど、物思いにふけっていたらしい。 声の持ち主、頭を占めていた想い人の変わらぬ姿を見つけて、フィルズは唖然とした。 「………」 胸中に渦巻く感情は言葉にならず、空回りするだけだ。 「……まるで幽霊にでも会ったような反応ですね。私が入ってきたことにも気づかないほど、そんなに考え込むような案件でもありましたか?」 レキシスがフィルズの執務机の上に広がる書類に目を向ける。 その変わらぬ態度に、いつもと変わらぬ会話に。 彼の中であの事は無かったことにされてしまったのかという考えが浮び、フィルズの眉間に自然と皺が寄る。 その一部始終を観察していたレキシスが徐にため息をついた。 「少しは頭が冷えたと思いましたが、まだのようですね。出直してきます」 踵を返しかけた彼の手を、机越しにフィルズが掴む。 止められたレキシスは眉間に皺を寄せ、彼を睨みつけた。 「放してください」 「駄目だ。話がある」 「仕事以外の話でしたら、あなたの頭が冷えるまでお断りします」 きっぱりとレキシスに拒絶され、フィルズは唸った。 「おまえな、俺の一世一代の告白を一過性の熱のように言うな」 「その通りでしょう。そういうものは知恵熱のようなものです。すぐに冷めます」 二人は執務机を挟んで睨みあう。 その様はかなり険悪なもので、相変わらずとても告白をしているような雰囲気には見えない。 「前にも言いましたけれど、今更です。そもそも女好きのあなたに、男の私が抱けるのですか? それとも私に抱かれると? 正直、どちらもごめんです」 心底嫌だというように苦々しくレキシスは問い掛け、顔をしかめて視線をそらした。 「……俺も抱かれるのはごめんだ。どうせならおまえを抱きたい」 本当に今更だったが、考えてもいなかったことを問われ、抱かれる自分というものをうっかり想像してしまったフィルズが思わず顔をしかめる。 背筋に嫌な汗が流れていった。 「確かに俺は男を抱いたことはない。だが、誰だって初めての時があるだろう? 抱けるかなんて、やってみなければわからない。それに口付けに嫌悪感は微塵もなかった」 それどころか今まで誰にも感じたことがないほど、心が満たされた。 フィルズの言葉をどう受け取ったのか。 レキシスの瞳が静かに冷えていった。 「口付けぐらい男女の差など、さほどありませんよ」 「それはそうかもしれんが――」 静かに発せられた言葉にフィルズは反論するも、途中で遮られる。 「あなたの知恵熱に付き合えるほど、私は奇特でもなければ暇でもありません」 「俺は本気だ」 「誰もそこまで否定していません。ただ、一過性だと言っただけです」 「それが否定していると言ってるんだ」 「否定していません」 「いいや、否定している」 「していません!」 「している!」 「………」 「………」 双方共に不毛な言い合いに気づき、深いため息をついた。 「……いい加減に手を放してください」 「駄目だ。放せば出ていくだろう?」 フィルズの問いかけに、レキシスが当然だと主張する。 「当たり前です。頭の冷えていないあなたと話すことなど、私にはありません」 「俺はいつでも冷静だ」 どちらも引かずに再度、睨み合いとなった。 互いに己の主張を引くことは出来ない。 しばしそのまま沈黙が流れたが、レキシスがそれを破るように息を吐き出し、フィルズからわずかに視線をそらした。 「あなたが何を思ってそんなことをいきなり言い出したのか、私には理解出来ません。ですが、口付けくらいよほど嫌な相手でもない限り、別にやろうと思えば出来ますよ」 力なく呟き、何を思ったのか。 レキシスはフィルズに顔を近づけた。 掴まれていない手を執務机の上に置き、それを支えに身を屈めてフィルズの顔を間近から覗き込む。 その薄茶色の瞳には戸惑うフィルズの顔が映り。 「こんな風に、ね」 小さく囁き、レキシスはフィルズの様子を気にするでもなく唐突に唇を重ねた。 フィルズの瞳が驚きに見開かれる。 身体は硬直したように動かなかった。 レキシスは唇を重ねるだけでは飽き足りず、フィルズの唇を割って舌を差し入れる。 まさか、そんな……。 フィルズは驚きを通り越し、呆然とした様子で判別つかないほど間近にある彼の顔を凝視した。 いつかの時とは反対に、ただ、彼に為されるがまま。 口腔を蹂躙される。 その時間はそれほど長い時でもなかったはずだが、フィルズには多大なる衝撃をもたらした。 最後にさらりと舌を撫で出て行ったそれと、糸を引き離れた唇をぼんやりと瞳で追いかけながら、フィルズは自分の身に何が起きたのか、停止した頭で考える。 ぼんやりした様子の彼を困ったようにレキシスは見て、口付けの名残りを消すようにその唇を己の指で拭った。 少ししてフィルズの唇から零れた言葉は――。 「―― レシー、けっこう遊んでいるだろう?」 かなり動揺している内心とは裏腹に、彼の声は淡々としたものだった。 否、動揺しているからこそ、逆に感情が削ぎ落とされたようになってしまったのか。 なぜそんなことを言ってしまったのかと、もっと他に言うべきことがあっただろうにと、フィルズは後々頭を抱えることになる。とはいっても、口にしてしまった以上取り消しはきかない。 「さて。どうでしょうね」 レキシスは一瞬目を見開いた後、意味深な笑みを浮べて答えをはぐらかし、 「私はこれにて失礼させていただきます」 いつの間に放されていたのか。 彼を止めるものはもうなく、その姿は扉の向こうに消えた。 フィルズは追う気力も無く、無言でその姿を見送る。 その顔はなんとも言い表しようのない、複雑な色で彩られていた。 |
************************************************************* 前話同様、下にレキシスの様子がちょびっと書かれています。これもまた、読まなくても話の流れ的には全然支障のない内容です。 お読みになる方は反転スクロールでどうぞ。 2008/02/26
修正 2012/01/15 |
今思い出しても自己嫌悪で顔が歪んでしまう。 なぜあんなことをしてしまったのか。 自分でもわからない衝動にかられるまま言葉にし、行動してしまった。 それが後でどんなことをもたらすか、予想もつかないままに……。 レキシスは自分の執務室で深々とため息をついた。 仕事はとうに終わり、室内には彼以外に人影はなく、明かりもつけないでいるために暗い。 まるで無人のように、室内は静まり返っていた。 だが、それが今のレキシスにはちょうどいい。 「まったく失礼な人ですね。私はいつだって本気でしたよ」 最後に言われたフィルズの言葉を思い出し、レキシスは湧き上がる不快感と苛立ちをも思い出す。 呟きが過去形なのは、現在、彼に恋人と呼べる人がいないからだ。 今までの人生、付き合うことは数知れず。 けれど、いつも長続きしない。 原因はレキシス自身にある。 彼はそのことを重々承知していた。 だが、それを改めることも出来ない。 結局、容認できない者達は別れを切り出し、離れていった。 その繰り返しだった。 次第に付き合うこと自体が億劫で、煩わしいとすら感じるようになった。 それで現在、独り身、恋人無し、な状態なのだが――。 「まさか本気だなんて……」 フィルズの言葉を、その態度を、どこかで楽観視していた。性質の悪い冗談と、どこかで軽く見ていた。 それなのに――。 「でも、一過性ですよね。そうでなければ……」 語尾は言葉にならない。 言葉にすることを恐れるように息を吸い込み、レキシスは長く吐き出した。 「そうに決まっています。今までのあの人を見ていれば、それ以外の何モノでもないですよ、ね?」 断言出来ずに疑問を呈してしまった言葉を振り切るように、頭を振った。 レキシスは知っていた。 来る者拒まず、去る者追わず。 その言葉はフィルズのためにあるような言葉だと、そう思っていた。 だからこそ、そんな彼に遊び人呼ばわりされていっそう不快だったのだが。 「フィルズの頭が冷えるまで、不便ですがもう少しだけこの状態を続行するしかありませんね」 自分に言い聞かせるように、レキシスが呟く。 「私の頭が冷えるにも、もう少し時間が必要でしょうし……」 鬱とした気分で吐き出された言葉はどこか淋しげで、静かな室内にため息と共に消えた。 |
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