天の審判者 <46>



スーリャは目を開け、そこが自分に与えられた部屋ではないことに気づいて驚いた。寝心地の良いベッドの中で、ぼんやりと寝起きの働かない頭で昨夜の記憶を探っていると声がかけられる。

「なんだ、起きたのか。もう少し眠っていてもいいぞ。無理をさせたつもりはないが、それでも身体が辛いだろう」

身支度をほとんど済ませたシリスが、ベッドの脇に立っていた。スーリャの顔をのぞき込む彼の背で、まだまとめられていない髪がさらりと流れる。
ちょうど探り当てた昨夜の記憶とシリスの言動。
彼の解かれた髪にすがるように絡めた自分の手まで思い出し、スーリャは赤くなった。今更だが慌てて全身を確認する。そして、しっかり自分が寝衣をまとっていることにほっと息を吐き出した。
身体に残る倦怠感とあらぬ部分の鈍痛に、昨夜の出来事が夢でないことを理解する。
シリスに抱かれたんだ……。
スーリャは赤い顔をさらに赤くし、掛け布に包まって身を縮めたのだった。

一連のスーリャの行動をおかしそうに笑みを浮かべながら見ていたシリスだったが、布越しにでも明るくなりつつある窓の外に、慌てて残りの身支度に取りかかった。
「今日は一日この部屋でおとなしくしていろ。ラシャは呼んでおいたから、あとでここにくるはずだ」
最後に髪を手早く後ろで一つにまとめ、シリスはその様子をこっそりと目で追っていたスーリャの額に口付ける。

寝室から出ていこうとしたシリスを、スーリャはとっさに呼び止めていた。
「あんたは?」
そう言ってからすぐに後悔した。そんなわかりきったことを訊いてどうするのかと、自分の言動に顔をしかめる。
「俺は仕事だ」
シリスは破顔した。
「今日くらいはスーリャの傍に居たいんだがな」
笑顔の彼から掛け布を引き上げることで顔を隠し、
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行け」
スーリャは容赦なく切り捨てた。けれど、隠される前に見えたその顔は赤いままで―― 無意識に呼び止めた声は、彼が自分を必要としている証だ。

少ししてそっと顔をのぞかせたスーリャの唇に、ベッドの傍らまで戻ってきたシリスが軽く口付ける。
「行ってくる」
耳元で囁き、そこにも口付けを落して今度こそ彼は寝室から姿を消した。
「……まったく」
スーリャが小さく悪態をつく。けれど、その顔は幸せに満ちていた。

その後、シリスの言うようにしばらくしてからラシャが現れ、朝食を済ませた後にキリアが現れた。そして、ベッドから出ることのできなかったスーリャは、キリアに思い切りからかわれることとなる。



日々は規則正しく流れていく。
月は時の流れを示すように、その姿を変え、けれど変わらぬ静寂で空にあった。自室の庭に面した長椅子に座り、スーリャはひとり月を眺めていた。
真昼の白い月が視線の先にある。

「ルー・ディナ、教えてくれ」

こうして呼びかけたのは何度目になるだろう。沈黙する月から返る答えはない。それでもスーリャは問わずにはいられなかった。

「俺はどうしたらいい?」

状況は刻一刻と悪化している。けれど、成す術がない。
否、自分はその術を与えられているはずなのに、己の意思で使えずにいる。
スーリャの中で焦りだけが日々募っていた。



ふと意識が途切れ、気づけばスーリャはいつかのように一面白の世界にいた。
「ルー・ディナ!」
辺りを見回し、彼の神の姿を探して呼びかける。
一瞬にして変化した景色。目の前に現れた白い空間。こんな芸当ができるのは、スーリャの知る限り彼の神だけだ。

「いくら僕でも君の問いに答えることはできないよ。これは君が自分で見つけなくてはならないものだから」

声と共に困った顔をしたルー・ディナがスーリャの前に現れた。
驚き、目を見張ったのは一瞬。すぐに気を取り直し、スーリャはルー・ディナに詰め寄る。
「そうしている間にもあの国は禍に蝕まれていくのに?」
「それでも」
頷いたルー・ディナの顔には笑みが浮かんでいる。
返答にはそぐわない、慈愛に満ちた笑み。それがスーリャには恐ろしかった。
無意識に一歩下がった彼の動きに、ルー・ディナが一瞬淋しそうな顔をする。けれど、それはすぐに鳴りを潜め、笑みの戻った顔で諭すように話し掛ける。

「それは誰かに教えられて知るべきものじゃない。僕が答えを教えてしまっては意味がないんだ。それに君はその答えを初めから知っている。いつ気づくかは君次第だけどね」
「俺の中に答えがある…?」
信じられない思いで茫然と呟くスーリャに、ルー・ディナが困ったように笑う。
「ヒントをあげるよ。力を渡した時の僕の言葉を覚えている? 君の求める答えはそこに繋がるはずだ」

黙々と考え巡らし、己の世界に沈み始めたスーリャを、ルー・ディナが心配そうに見つめ、その眼前で手をヒラヒラとさせる。
「ひとりで考え過ぎちゃ駄目だよ。君に差しのべられた手はたくさんある。それに―― あの王さまが君を守ってくれるはずだ。その身も、心も」
含みのあるルー・ディナの言葉に、スーリャが落ち着かない様子で視線をさまよわせる。その頬がほんのり赤く染まっていた。
それを目にしてルー・ディナが小さな、スーリャに気づかれないくらい小さなため息をつく。ほんの一瞬だけ複雑な表情をして。

「こんなことを君に言うのは酷かもしれない。でもね、すべてを守ろうとするのは傲慢だ。そんなこと不可能なんだよ。神が万能ではないように、君に与えた力もまた万能ではない。形あるモノがいつか壊れるように、失ってしまったモノは戻ってこない。二度と失う前と同じにはならないんだ。君は本当に大切なもモノを見失っては駄目だよ」
いさめるようなルー・ディナの言葉に、スーリャは唇を噛んで俯いた。
理性ではわかっている。けれど、感情がそれを否定したがる。

「さあ、もう時間だ。あるべき場所へお戻り。たぶん次に君と会う時にはすべての結果が出ているはずだ」
おごそかに告げられた言葉に、顔を上げないスーリャの肩が過剰なほどビクリと震えた。それを見て、ルー・ディナの顔から完全に笑みが消える。
ルー・ディナはどこか苦しそうな、悔いているような表情を浮かべていた。
「結果がどんなものになろうと、それが最悪のものであろうと、その責を君が背負う必要はない。もともとこれは僕の過ちだからね。本当なら僕が背負うべき業だ」
悲しそうな、淋しそうな囁きの意味を問う前に、その姿はスーリャの前から消えた。だから、彼は知らない。
その時にルー・ディナがどんな表情をしていたのか。

ルー・ディナの嘆きを知る者はいない。
笑顔の下に隠された、その想いを知る者はこの地上に誰ひとり――。



気づけばスーリャの意識は自室へと戻っていた。
最後のあの言葉はどういうことなのか。その意味を問うことができたとしても、ルー・ディナはたぶん答えないだろう。
遠い昔に何があったのだ。自分が踏み込んではいけない何かが――。
最後にルー・ディナから感じたのは、拒絶の意思だった。
気にならないと言えば嘘になるけれど、今の自分が考える事柄はそのことではない。スーリャが探す答えを求めて、ルー・ディナとの会話を反復する。
あの時に言われた言葉を正確に思い出そうと、特に印象に残っている部分を端的に口ずさむ。

「ルー・ディナの力は諸刃の剣。癒しと破壊。強い意思。誰かを傷つける?」

……………。

何も思いつかなくて、スーリャはイライラと頭をかきむしった。そこにスッとほんのり甘い香りをただよわせたカップが差し出され、彼は顔を上げる。
「何かお悩みですか? 私でよければ相談にのりますよ」
カップを受け取り、スーリャは傍らに立つラシャとカップを交互に見た。
「冷めないうちにどうぞ」
にっこりと微笑むラシャのさりげない気遣いに感謝しながら、スーリャはそれを口に含む。口の中に香り同様、ほんのりとした甘さが広がり、ほっと息をつく。
それは彼が特に気に入っているお茶の一つだった。

「ありがとう。でも、大丈夫」
ルー・ディナの言うように、これは自分で見つけ出すべきものなのだ。
笑みを浮かべたスーリャの顔をラシャは心配そうに見たが、無理に聞き出そうとはしなかった。
「色々なことで頭がいっぱいの時には、何も考えないことも一つの手です」
マジマジと見つめてくるスーリャに、ラシャは小さく声を立てて笑う。それにつられてスーリャも笑い出す。
「考えても考えてもわからない時は、それ以上根を詰めるよりも、一息入れた方が意外と良い考えが浮かぶものです。そういう時には甘い物も必須ですよ。頭の栄養補給です」

こちらもどうぞ、と差し出された菓子をスーリャは素直に口に運ぶ。
甘いお菓子とお気に入りのお茶。そして、笑顔。
無意識に張り詰めていたらしいものが解れていくのを、スーリャは感じていた。





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2007/01/04
修正 2012/02/05



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