天の審判者 <47>



どうしてこんなことになっているかな……。
スーリャはため息をつく。
今の彼は目隠しと手と足を拘束され、馬車の中にいた。

機会を作ってしまったのは自分。
思い起こせば半日前。
スーリャが約束を破ってひとりで外を出歩いたのが、そもそもの間違いだったのだろう。学習能力のない自分の性格を少しだけ恨めしく思う。
そして、数時間前の出来事を思い出し、スーリャは複雑な思いにかられたのだった。



その日、いつものようにスーリャが朝食を食べ終わった頃に現れたキリアの顔色は、あまりすぐれたものではなかった。
本人に聞いても「大丈夫、病気じゃないから」と否定するだけ。
調子の悪そうなキリアに家へ帰って休むことを進めたのだが、それにもキリアは首を縦に振らなかった。
そんな事情もあり、今日は予定を変更して部屋で過ごすことにした。室内でおとなしく過ごすなら、キリアの負担も少ないだろうと考えたのだ。
部屋に持ち込んだ本を読んでいたスーリャだったが、ラシャが休憩にと持ち込んだお茶とお茶菓子でキリアの不調の原因は判明する。

キリアは急に口を押えたかと思ったら、一目散に部屋に併設された洗面所に駆け込んだ。あまりの反応に、何事かとスーリャはラシャと顔を見合わせる。
しばらくして戻ってきたキリアはげっそりとした様子で椅子に沈み込んだ。
「大丈夫?」
「……大丈夫でもないけど、仕方ない。病気じゃないし」
ヒラヒラと力無く振られる手の平。答える声にも疲れが滲んでいた。
でも、病気じゃないのに吐き気?
スーリャは不思議そうに首を傾げる。だが、ラシャはなんとなくピンと来るものがあったらしく、もしやという表情になった。

「もしかして……、悪阻ですか?」
「…………そう」
短く肯定したキリアの顔をスーリャがマジマジと見つめる。両性で婚約者もいる身なら妊娠してもおかしくないのだろうが、中性的な顔立ちをしていようと男性のように見えるキリアと妊婦がまったく結びつかなかった。
「おめでとうございます」
ラシャの祝いの言葉に「ありがとう」と笑顔で返すキリアの言葉を、スーリャはぼんやりと聞いていた。

と、その時。
唐突に勢いよく開け放たれた扉と、そこから現れた見知らぬ男の姿にスーリャはギョッとした。そして、瞬時に警戒したのだが。
「キリア! 子供が出来たって言うのは本当か!」
全身で喜びを示す男はそう叫び、一直線にキリアの座っていた椅子まで来て、ガバッと彼を抱き締めたのだった。
スーリャが察するに、キリア以外の存在は男の視界に映っていないらしい。
「ちょッ! セイン。なんでおまえが――。仕事はどうした。あと二、三日は帰ってこれないって言ってなかったか?」

驚愕に顔と声を引きつらせるキリアの様子を気にするでもなく、セインと呼ばれた男は抱き締める腕により力を込める。
「そんなもの。仕事よりおまえの方が大事に決まってるだろ?」
「って放り出してきたのか? きたんだな? さっさと戻れ!」
抱き締めるセインの腕から逃れようとキリアはもがいたが、体格差もあり力では勝てず逃れることができない。
「大丈夫だ。俺の部下は優秀だから、俺がいなくてもなんとでもやれる。もし何かあっても、責はデイルが取る。あんな手紙を俺に出した奴が悪い」
「……どこからもれたかと思えば、兄貴か。ったく。まだ伝えるなってあれほど言ったのに」
ぼやくキリアから少し身体を離し、向かい合うような形になったセインは真剣な顔で訊いた。

「俺の子、だよな?」
「……疑うのか?」

すっと眇められた瞳と冷やかな声に、セインが子供のようにブンブンと思い切り首を横に振る。
「誤解だ! そんなこと、これっぽっちも疑ってない」
即行で否定するセインをキリアは胡乱に見つめ、
「そうか〜?」
疑わしげに呟いた。

そんなキリアの態度に、セインの顔が歪む。
いい年をした大人の男が、恥も外聞もなく泣きそうな顔をしていた。
「信じてくれ。誓ってそんなことは微塵も疑ってない」
すがりついたセインを、キリアは相も変わらず胡乱に見つめる。
けれど、その口元が微かに笑っていることに、事の成り行きを見守っていたスーリャは気づく。
人が悪いというか……。
キリアは初めから疑ってなどいない。ただセインがどういう反応をするか、見て楽しんでいたただけなのだ。
ラシャもそのことに気づいたらしく、スーリャと顔を見合わせて苦笑した。

「キリア。それくらいで許してあげなさい。セインも落ち着きなさい。今のあなたを見たら、あなたの部下達は卒倒しますよ」
ラシャが二人をいさめ、言葉を続ける。
「セイン。うれしいのもわかりますが、あなたの行動は礼儀に欠けています。ここはスーリャさまのお部屋ですよ。いくらあなたが副将軍の地位にいようと、勝手な振る舞いは許されていません。わかっていますね?」
そこでやっと周りを察するだけの余裕ができたのだろう。
セインは室内にキリア以外の人間がいることを認識し、ラシャの言葉にばつの悪そうな顔をした。キリアから離れて、謝罪の言葉を口にする。
「これは、申し訳ない。そちらの方にも失礼した」
簡潔な謝罪と共に、頭が下げられる。スーリャはそれに苦笑を返したのだった。

「キリア、せっかく旦那が来たんだし、ここにいるより家に帰って休んだ方がいいよ。大事な身体なんだからさ」
「旦那って……」
言葉が続かずに顔を赤くしたキリアの姿が微笑ましくて、自然とスーリャの顔に笑みが浮ぶ。
「俺のことは心配しなくていいから」
「そんなこと言ったって――」
反論するキリアに、スーリャは首を振る。
「大丈夫。今日は部屋でおとなしくしてる。明日からのことはシリスと相談するから、キリアはしばらく家で休むべきだ。その方がお腹の子にとってもいいと思う」

スーリャの言葉に、キリアは少し考える素振りを見せた。
自分でもこの状態ではまともに身動きできないとわかっていたのだ。下手をしたら足手まといになりかねないことも。だから、確認した。
「絶対か?」
「約束する」
真摯に頷いたスーリャに、キリアは深く息を吐いた。
「わかった。じゃあ遠慮なく休まさせてもらうよ」

キリアがそう言った途端、二人の間で話がつくのを大人しく待っていたセインが行動に出た。
「セイン!」
いきなり抱き上げられて、キリアが批難の声を上げたが彼はそんなことで怯む人間ではなかった。
「では、失礼する」
そう言うと、キリアを抱き上げたまま、扉へと向かったのだった。
「下ろせ! 自分で歩ける」
慌てたのはキリアだ。こんな姿を人目にさらせるかとその声は訴えていたが、セインがキリアを下ろすはずもなく。
「大丈夫だ。落としはしない」
的外れな返答をしたのが、スーリャの元にも聞こえてきた。
ただ、キリアがそこでおとなしく黙ったので、何か彼を黙らす威力のものはあったらしい。彼らの姿はラシャが開けた扉を通り、室外へと消えたのだった。



静かになった室内で、スーリャは小さくため息をつく。
「冷めてしまいましたね。入れ直してまいります」
ラシャはスーリャに気を使ったのか。冷めてしまったお茶を取り替えるために、ティー・ポットを持って出て行った。その姿を見送り、見えなくなってからスーリャが再度ため息をつく。

正直、幸せそうな二人を羨ましいと思った。
自分が不幸せだとはスーリャも思っていない。シリスの、好きな人の側にいられる今を、幸せだと思う。
けれど。
スーリャは彼の子を身ごもることはできない。男の自分にそれは無理だ。
シリスに跡取が欲しい、そういう現実もある。でも、それ以上に二人の間に何か形あるものが欲しい。そう望む自分がいることを、スーリャは否定できなかった。
目に見えるものがすべてではない。
見えないものもまた、大切だとわかっている。
シリスが本当に自分を愛してくれていることが伝わってくるから。彼はスーリャ以外いらないと言うけれど、スーリャは彼に形あるものとしてそれを与えられないことが悲しかった。
そのことが、とても淋しかった。

あの二人の姿を目にして、スーリャはその思いをまざまざと思い知らされる。もうその思いから目を背けることなどできそうになかった。

無意識に自嘲の笑みを浮べ、スーリャは気分を変えようと外を見る。そして、そこにいるはずのないモノを見つけて、驚愕に目を見開いた。
まさか!
何度も瞬きして確認するが、それでも消えない。そこでは夜にしか現れることのなかったあの赤黒い羽根の蝶が、光の中で舞っていた。
日の光の元で動けるほどに、禍の勢いは増している。
その事実がスーリャを打ちのめす。自分に残された時間はあとわずか。
わかっていたつもりだった。けれど、その事実を示すものを目の前に突きつけられて、彼は強い衝撃を受ける。

けれど――。
だからこそ、スーリャは立ち上がった。
こうはしていられない。アレを追って消さなければ。
その時、彼の頭の中にあったのは、それだけだった。
つい先程したはずの約束も、シリスとした約束も、頭の片隅に追いやられて彼の行動の歯止めにはならない。

そうしてひとりで外に出たことを少しだけ後悔したのは、もう少し後のこと。不意を突かれて捕われ、どうにも身動きできずに馬車に揺られている時のことだった。

こうしてスーリャはどこかの屋敷の、とある一室までさらわれた。





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2007/01/05
修正 2012/02/05



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