天の審判者 <45>



スーリャとシリスはどちらからともなくため息をつく。
「……浮気するなら、俺に気づかれないようにしてくれ」
夜の闇に溶けてしまいそうなほど小さくそう呟いたスーリャの髪を、シリスは乱暴にかき混ぜた。
「するわけないだろ」
シリスの手を払い除け顔を上げたスーリャに、彼は笑みを浮かべる。これほど愛しいと思える存在が他にあるはずもない。

「スーリャが産んでくれるならうれしいが――」
「………」

どことなくからかうような表情を浮かべたシリスに、スーリャが顔をしかめる。
「…………男の俺が産めるわけないだろ」
自分とシリスの間に子供。ありえない未来の想像を打ち消すように、スーリャは首を振った。
「まあそうなんだが……」
スーリャを抱き寄せながら、シリスはルー・ディナの言葉を思い出す。けれど、彼にそれを告げる気にはなれなかった。
あの言葉はあくまで可能性でしかなく、押しつけるものではない。そもそもシリスはスーリャさえ己の傍にいてくれるならそれでよかったのだ。
たとえそれが王として相応しくない考えだとしても。

「それで訊きたいんだが、なぜこんな場所に一人でいる? 俺は一人で行動するなと言ったよな? スーリャはそれに頷いた気がしたんだが、俺の勘違いか?」
シリスから伝わってくる静かな怒気に、スーリャは思わず彼から逃げようとする。それを許さず、シリスは腕に力を込めた。
「もしものことがあったらどうする。今回は俺が偶然見つけたからよかったものの、あのままカリアスといたらどうなっていたか……。スーリャ、お願いだから自分の身を粗末に扱うのだけは止めてくれ」

首筋に顔を埋め、低く呟くシリスの声は苦りきっていた。スーリャは己の行動をかえりみて、少しだけ後悔する。
けれど――。
「別に粗末に扱ってるつもりはない。ただ、今の自分にできることをしたかったんだ。今の俺にはあの蝶を消すことしかできないから。せめて少しでも進行を遅らせれるように――」
「それで自らの身を危険にさらすのか?」
己の言葉を遮った、地をはうような低い声。
今まで聞いたことのないほど刺々しいシリスの声に、スーリャは身を震わせた。けれど、自分は間違っていないいと小さな声で反論する。
「あんただってこの国がこのまま、変わり果てていく姿は見たくないだろ?」
その言葉をシリスは否定しなかった。
「それはそうだ。だが、それとこれとは別だ。スーリャの身をこれ以上危険にさらしたくはない」

「……俺が審判者だから?」

スーリャの消え入りそうなくらい小さな問い掛け。それを聞いた瞬間、シリスの中で言い知れぬ激情が渦巻いた。
それが怒りなのか、悲しみなのか。自分でもよくわからない。
シリスは衝動のまま、ひょいっとスーリャを抱き上げる。急にお姫さま抱っこをされたスーリャは一瞬、自分の身に何が起きたかわからずに呆け、我に返って彼の腕の中から抜け出そうともがいた。

「下ろせ。急に何するんだ!」
場所も時間も気にせずに、スーリャは叫んだ。
「黙っていろ」
返ってきたのは静かな一言。
スーリャは冷や水を浴びせられたかのように口をつぐみ、身動きを止めた。恐る恐るシリスの顔を見て、そこでやっと己の失言に気づく。

「ごめん」

傷ついたような表情をして自分を抱き上げているシリスの首に腕を回し、首元に顔を埋め、スーリャは小さく謝罪した。



シリスに抱き上げられたままスーリャが連れて来られた部屋は、彼の知らない部屋だった。スーリャのために用意された部屋よりもまだ広く、煌びやかさのないシンプルな、それでいて質の良い調度品でまとめられた室内をシリスの腕の中から彼は物珍しげに見回す。
たぶん、ここがシリスの部屋なのだろう。
応接間らしき部屋を横切り、シリスはスーリャを抱いたまま寝室に入った。ベッドの上にそっと下ろされたスーリャは縁に座り、困惑した表情でシリスを見る。
ここに連れてこられた意図は、まあそういうことなんだろうけど――。
どうしてこういうことになったのか、スーリャはいまいち理解できていなかった。けれど、シリスの今までにない本気を感じて身体を硬くする。
その先を望んでないわけではなかったが、未知の領域に足を踏み入れることが少し怖かったのだ。

「審判者だからじゃない。スーリャだからだ」

真剣な表情をしたシリスがスーリャの顔をのぞき込む。そして、彼の緊張を悟って笑んだ。
スーリャの好きな、惜しみない愛情をたたえたやさしい顔。特に普段とは違い、甘い色を含むその金色の瞳が彼をとらえ、魅了して止まない。
少しだけ力の抜けたスーリャに、シリスは笑みを深くする。
「確かに初めは審判者だから守らなければという思いがあった。けど、今は違う。スーリャだから、俺にとってかけがえのない大切な人だから守りたい」
真摯な言葉に、スーリャは頷く。
「わかってるよ」
「愛している」
囁きと唇に落とされた小さな口付け。

照れくさくて、スーリャははにかむように笑う。
「シリスの気持ちを疑ってるわけじゃない。ただ、不安になるんだ。俺が傍にいて本当にいいのかって……。でも、もう離れられない。あんたが俺をいらないって言っても、俺は――」
気づけばスーリャはベッドの上に押し倒されていた。
「誰がそんなこと言うものか。俺の方こそ、もう離れられない。おまえなしでは生きられない」
先程の穏やかさを払拭した、熱情を湛えた金色の瞳が上からスーリャを見つめていた。思わず彼は息をのむ。
シリスに唇がスーリャの唇に再び合わさる。打って変わった激しい接吻。
「……っ…」
それはスーリャの何もかもを奪い尽くしていくようだった。

無意識にスーリャはシリスの背に手を回す。
初々しく応えようとする舌と、すがるように背に回された手がシリスの中にある熱を煽っていく。それでも最後の理性の欠片が、彼を押し止めた。
このまま奪って良いものか、彼の中には迷いがあった。
「…は……ッ」
重ねた唇を離したシリスを、スーリャが多少焦点の定まらない瞳で見つめる。

「後悔、しないか?」

その瞳を見つめ返し、シリスは問い掛けた。
スーリャはまだ若い。
それに自分はまだ彼に告げていないことがある。必要に迫られなければ言うつもりのない、もしそんな状況になったとしてもギリギリまで言えないだろう決意がある。
それがどれほど彼の心を踏みにじることになるか、シリスはわかっていた。
自分でも卑怯で酷い男だと思う。だからこそ、シリスはこの瞬間ためらった。
最後の一線を越えていいものかと。
今ならまだ引き返せる。止めてやれる。

シリスの問い掛けに、スーリャが笑った。その鮮やかな艶を含んだ笑みに、シリスが息をのむ。

「しない。それであんたが手に入るなら」

それは、なんの迷いもない答え。
一途にシリスを求める言葉。

「……スーリャには敵わないな。とっくに俺はおまえのものだ」

シリスは苦笑した。ためらいも迷いも、その言葉で消し飛ばされてしまった。
スーリャの浮かべた、彼の普段の姿からは想像もつかない、誘うような表情にシリスの最後の理性も溶かされる。
もう何も止めるものはない。
「囚われたのは、俺の方だ」
紅く濡れる唇に誘われ、シリスは再び唇を重ねたのだった。





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2007/01/03
修正 2012/02/05



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