求婚 <19> |
寒い日ほど空気は冴え渡り、夜空の星は普段よりも輝きを増し、地上へと降り注ぐ。 風呂上がりの聖は寝巻変わりにスウェットの上下を着込み、庭側の窓辺に立って夜空を見上げる。その珍しい姿に、烙が声を掛けた。 「どうかしたか ? 」 訝しげな声に、聖はこっそり苦笑する。自分でも珍しいことをやっていると思うのだから、彼がそう思っても不思議ではない。 「今日は流星群が見られるって、あんた知ってたか ? 」 聖の問い掛けに納得がいったらしい烙が苦笑した。 「そういえば新聞に載っていたな。年間行事の一つだ。珍しくもない」 永く生きる自分達にとって、時の流れは曖昧だ。毎年起きる自然の事象は同じ物ではないが、見る機会は多分にあるのだから珍しくない。 その通りなのだが、烙の言い草はあまりにも情緒が欠けていた。 聖はそっとため息をつく。 「……あんたに風情ってものを求めるだけ無駄なのはわかった」 「そう言うおまえも、今まで星など気にしていた所を見たことが無いんだがな」 傍まで来た烙に笑み含んだ声で言われ、肩にカーディガンが掛けられる。少しサイズの大きいそれは彼の物だ。 「別に気にしてなかったわけじゃない。ただ、気づけば終わってるんだよ」 だから、毎年見損ねていただけ。 カーディガンの合わせを前へと引き寄せ、聖は握り締める。 嘘は言っていないはずなのに、言葉にすると自分でも言い訳がましく聞こえ―― 彼は結局むくれた。 朔の日だから、夜空の闇を彩るのは星達だけだ。 窓越しに見える夜空には満天の星がキラキラと輝いているが、流れる姿はない。 「早く流れないかな。見たら、寝る」 先程、風情が無いと文句を言った口で、同じく風情が無いことを口にする聖に、烙が苦笑する。 「風呂上がりでなければ、夜の散歩に誘う所だが―― 駄目だな。今夜は特に冷える」 「なんで散歩 ? 」 夜空から視線をそらすことなく、聖は不思議そうに問い掛ける。 「こういうものは、広範囲を見渡せる場所の方がよく見つかる。この地なら少し歩けば、そんな場所いくらでもある」 チラッとだけ視線をやった先では、聖と同じように窓辺に立ち、夜空を見上げる烙の姿があった。 「あんた、詳しい ? 」 「いや。聞きかじった程度の知識しかない」 「ふ〜ん。そっか」 しばし二人してそのまま静かに夜空を眺めていた。だが、やはり簡単には星は流れてくれないらしい。 暇を持て余した聖は、烙に話し掛ける。 「もし流れ星が見つかったら、あんた、何を願う ? 」 誰かが流れ星を見たら流れている間に三回その願いを唱えると叶う、と言っていたのを思い出したのだ。 聖はほんの気まぐれに訊ねただけだった。彼自身、そんなこと信じていない。けれど、烙から返事はなく、沈黙のみ。 妙な反応にほんの少しだけ夜空から烙へと視線を送り、己の問いが彼の妙なツボを押してしまったことに気づいた。 烙がその顔に笑みを浮かべていたのだ。 獰猛な肉食獣の姿を連想させる、そんな恐ろしい笑みを。 「訊いた俺が悪かった。だから、答えないでいい。絶対、口にするな ! 」 反射的に烙から距離を取ろうとしたが、その前に聖の身体は彼の腕に引き寄せられてしまう。 「おいッ。これじゃ星が見えない」 「これなら良いだろう ? 」 身体の向きを変え、聖を後ろから抱き締めるような体勢で烙が問い掛ける。 「いや、まあ。確かに、見えるけど……」 離すつもりはないらしい彼の態度に聖は小さくため息をつき、どうせだからとそのままその背を軽く預ける。 体勢云々はともかく、こうしていると先程よりも温かい。 「それで、先程の問いの答えだが……」 「いやいやいやぁ ? 俺は何も訊いてない。訊いてないから、何も言うな。お願いだから言わないでいい ! 」 烙の言葉を遮って、聖は悲鳴のような声を上げる。 言葉尻は、ほぼ懇願に近かった。 こうなるともう流れ星どころではない。 あの答えは絶対に聞いてはいけないものだと、本能が訴えていた。背筋をゾワリと何かが駆け抜け、聖は己が身の危険を感じていたのだ。 この男がああいう顔をする時はとんでもない答えが返ってくると、彼はこの頃やっと学習した。 「そうか。それほど聞きたいか」 「い〜や、全然。まったく。だから、言わんでいいわ !! 」 腕の中でアタフタと取り乱して拒絶の言葉を繰り返す聖に、烙が意地悪げに笑う。そして、彼の頬へとそっと口付けを落とした。 頬に触れた柔らかく温かな感触に、聖の動きが一瞬でカチンコチンに固まる。 「聖の言葉が聞きたい。おまえの心を言葉で教えて欲しい」 笑い声と共に降ってきた言葉は珍しく直球ではなく、遠回しな台詞だった。だが、聖は身体を捻り、恨めしそうに烙の顔を見る。 烙が好きだと、言葉で告げることを彼が望んでいるのは知っている。けれど、己の強大な羞恥心の前では、それを素直に告げるにはハードルが高過ぎた。 それに言葉で告げなくとも、この男は絶対に聖の心を知っている。口にできない理由さえも、理解しているはずだ。 「……あんた俺で遊んでるだろ ? 」 「なんだ。もっと恥ずかしい言葉を期待してでもいたのか ? 」 ヒョイと器用に片方の眉を上げてみせた烙に、聖は思い切り頭を横に振った。 「そうか。では、期待に答えて……」 「待て待て。期待してない。まったくもって期待してない。そもそも俺は聞きたくないんだよッ」 むんずと強制的に黙らせるために、烙の口を聖は手で塞ぐ。いつぞやはこれをやって手の平を舐められたが、それでも背に腹は変えられない。 烙に遊ばれている感はあるが、何よりこれ以上とんでもない台詞を彼が言い出す前に逃走しなければ――。 そんな思いが頭を駆け巡り、なんとなく夜空に目がいっただけだったのだけれど―― さぁっと闇を走るように、聖の視界の先で光が駆け抜ける。 「あっ……は、ぁあ゛ !? 」 その光はあっという間に消えるかと思えば、妙な動きをした。 動き方からして、流れ星、ではない。 「アレって……未確認飛行物体 ? 」 「そうとも言えるが、そうでないとも言える」 唖然とした様子の聖に、彼の手を口からやんわりと外した烙は、なんとも曖昧な答えを返す。 「……お知り合い、とか ? 」 そんなまさかと思いつつ、聖が問い掛ければ、 「アレ自体は知らん」 これまた微妙な答えが烙から返ってきたのだが――。 「おまえに妙な興味を持ったようだ。始末するか」 物騒な言葉を告げた烙から一瞬だけ殺気が放たれ、聖は全身に鳥肌を立てる。気づけば視線の先には変わらぬ夜空が広がっているだけで、先程の妙な光は跡形もない。 「ちょッ、まさか……本当に消した、とか、言わないよ、な ? 」 得体の知れない何かを、これまた得体の知れないこの男なら本気で消しかねない。口振りから推測するに、どうやらあの光の正体について何か知っているようなのだ。 「どう思う ? おまえが閨で可愛くおねだりするなら答えても良いぞ」 フルフルフルと怒りのためか羞恥のためか震える聖を、烙は先程と同じく意地悪げな笑みを浮かべて見ている。 「俺に不可能な要求を突き付けるな。あんた絶対に答える気ないだろ ! 」 意外にすんなりと烙の腕から抜け出せた聖は、彼と相対して仁王立ちする。 「おまえは今のままでも十分可愛いぞ。外も中も」 飄々と答えた烙の、その台詞に聖が微妙な顔になった。 「……やっぱりあんたの目、腐ってるよ」 なんか、まともに相手をするだけ疲れる。 聖は深く息を吐き出し、がっくりと肩を落とした。 流れ星を見ようとしていた気持ちも、この騒動で根こそぎ奪われていた。今はもう、全身を覆う脱力感しかない。 「寝る」 そう宣言し、のろのろと自室へ引き上げる聖を烙は止めない。その背を静かに見送っていたのだが、ふと何かを思い出したように聖が振り返った。 「あんた、今日は入って来るなよ」 明日は聖が休みだ。ということは、夜更かしをして寝坊しようとかまわないということになる。 訝しげな顔をした烙に気づいたのだろう。聖が半眼になった。 「俺は、ゆっくり寝たいの。あんたが来ると寝られないじゃないか」 まず第一にベッドが狭くなる。第二に烙が大人しく寝てくれる、聖を寝かせてくれるわけもない。 要は彼にとって烙の行動は、安眠妨害にしかならないのだ。 聖が己の気持ちを自覚したあの日から後。 烙が定期的に夜中、聖が自室にしている部屋へと訪れるようになった。そして、起きていようが眠っていようがお構い無しに、彼の身体を快楽で満たすのだ。 烙から与えられるそれらは、普段は沈められている狂気を引きずり出す。 行為自体は、けして嫌ではない。 ただ、本能とも直結するその感情が表に出ることは、聖にとって恐怖に近かった。箍が外れてしまえば、よがり狂い、快楽を貪り、あさましく求めてしまう己を、彼はまだ、完全には受け入れきれていない。 いちおう気を遣っているらしき烙は、聖が翌日、仕事だと訪れることはない。翌日が休みの時のみを狙って部屋に現れ、彼を弄ぶのだ。 「俺の気が済めば寝かせてやる」 俺様発言と、無言で交差する視線。 その攻防の結末は……。 「……ぜぇったいに、来るなぁッ !! 」 断固拒否の捨て台詞を残し、走り去った聖に烙は苦笑する。 あれで烙が訪れなければ訪れないで、気にするのもまた聖なのだから本当に素直じゃない。常に触れたくはあっても、飢えの衝動を抱えていようとも、完全に無理強いするのは烙の趣旨にも反した。 ただ聖を抱き締め、その熱を感じながら眠るのも悪くないかもしれない。 今日くらいは何もせずに寝かせてやってもいいか。 そんな考えが頭を過ぎるも、ふと思い直す。 否、ちょっとした悪戯くらいなら聖が眠ってしまえば許されるだろう、と。 彼の眠りは深い。眠ってしまえば、ちょっとやそっとでは起きない。 ベッドが狭いと言うのなら、場所を変えればそれで済む。 後でさらいに行くか、と烙は己の考えにほくそ笑んだのだった。 |
************************************************************* 2012/04/18
修正 2013/12/29 |