求婚 <18> |
ふと夜中に目が覚めて、聖はベッドから起き上がった。 感覚を研ぎ澄ませて家内を探るが、そこにはやはりいるはずの存在が無い。烙の気配は家内のどこからも見つけることができなかった。 この家に引っ越してから、部屋が余ったこともあって烙の部屋ができた。というか、勝手に本棚やら机やらベッドやらを持ち込んで、彼が一室を確保してしまったのだ。 本棚には無数の本が詰め込まれている。書かれた年代も種族も、文字もジャンルも多岐に渡り、聖でも読めそうな小説から意味不明な専門書まで。 あの男の趣味は不可解だ。 そうして部屋まで勝手に確保したというのに、烙が主に過ごすのはやはり居間だった。家にいる時は聖も自室に籠るより居間にいることが多いので、引っ越し前の生活とそれほどの違いはない。 そんな日々の中、ふと夜中に目が覚めて寝付けなくなった聖が、なんとは無しに烙の気配を探った。ベッドまで持ち込んだのだから、居るだろうと思っていたらその気配がない。 その時はどこかに出掛けたのかとあまり気にしなかった。烙が居ようが居まいが、聖の生活に大きな変化はない。 だが、それが毎回だと疑問もわくというもの。 初めは偶々か、とも思った。寝付きの良い聖はあまり夜中に目を覚ますということがない。だから、そんな風に気配を探るのも毎日のことではなかった。 それでもそれが続けばさすがに気になる。いったい烙は夜中にどこへ出掛けているのかと。 気づけば毎日、夜中の似通った時間に一度、目覚めるようになっていた。 これでは完全に睡眠妨害だ。 そんな妙な習慣が身についてから気づいた男の行動パターンは、聖が自室に引き上げた後しばらくしてから出掛け、彼が起き出すよりも早く戻ってくる、というものだっだ。 この家に引っ越してきてから、朝食を共にすることも日課になっている。 烙は聖が目覚めて動き出す時間にはもう、居間で本や新聞を読んでいることが多かった。 活字があまり得意ではない聖は、新聞も取っていない。けれど毎朝、烙は自分で買いに行っているのか、新聞を読んでいる。 空間転移が自在にできるのだから、さほど手間ではないのだろうが――。 そんなこんなで今朝も、烙は居間で新聞を広げていた。 仕事のある日は聖も彼に構っている暇などなく、簡単に朝食を済ませ、バタバタと準備をして出掛けるのだけれど、今日は休みで時間は十分にある。 朝食の後、庭に出た聖は順調に育っている家庭菜園の野菜達の世話をしていた。そして、その間も烙の不審な夜中の行動を問うべきか、まだ迷っていた。 これではまるで、あの男の行動を本気で気にしてるみたいじゃないか、と。 みたいも何も、その通り気にしているのだが……。 鈍い聖はいまだ、己の気持ちに気づいていない。 ズルズルと頭の中で同じ疑問を繰り返し、己の感情を否定する。 こんな状態で手元の作業がはかどるはずもない。 集中もできず、悩んでいることにすらイラついてきた彼は不意に立ち上がり、手早く使っていた道具を片付け始める。 そもそもこんな風に悩むのは性分じゃない。 相手がいるのだから、訊けばいいだけなのだ。 土を払い、園芸用のエプロンを取り外す。家内に戻って手を洗い、居間で本を読んでいる烙の傍らに聖は立った。 烙は窓辺に置かれた、少しゆったりとしたひとり掛けの椅子に座っていた。向かいにある小柄なテーブルの上には、コーヒーの入ったカップが置いてある。聖には覚えがないから、彼が自分で入れたのだろう。 傍らに立った聖の気配に、烙が顔を上げる。 なんだ ? と瞳で問い掛けられ、聖は急に気まずくなって視線をそらした。 その唇は今までの苛立ちを示すように小さく尖っていたが、その心はふいにわき上がった思いに困惑していた。 烙の瞳と目が合った瞬間、ふと彼は思ってしまったのだ。 まるで自分がこの男を独占したがっているみたいだと……。 烙がいつどのような行動をしようと、彼の勝手だ。聖に矛先が向かないのなら関係ない。だから、どうこう言う筋合いも権利もない。 その行動を縛れるいわれもない。 聖の抱えるこの感情は、いわれのないモノなのだ。 「……なんでもない」 その事実に気づいてしまい、居た堪れなくなった聖はその場から逃げ出そうとした。けれど、その行動は烙によって防がれてしまう。 いつの間にか本をテーブルの上に置き、空になっていた男の手が、彼の腰を捕えて引き寄せ、そのまま己の膝の上に乗せて横抱きにした。 「なんでもないなら、そんな顔をすることもないはずだ」 労りを含んだ声と宥めるように優しく頭を撫でる手に、聖は身体を硬直させる。 髪を梳く手の感触は心地良く、伝わる温もりに苛立ちも困惑も宥められ、ささくれた心は落ち着きを取り戻した。 けれど、今度は胸の奥が苦しくなる。心臓が早鐘を打ち、頬が熱くなる。 不安そうな表情で手を胸元で握り締め、縮こまろうとする姿を目にして、烙が苦笑した。 「淋しかったのか ? 」 問いはしても、別に素直な返事など期待していない。 「淋しくなんかない ! 」 顔を上げ、否定の言葉を口にする聖の頬はほんのりと赤い。 どことなく潤んだ、戸惑いに揺れる瞳も、その表情も、仕草も。言葉とは裏腹で、そのすべてが烙の情欲をそそる。 「そうか。淋しかったのか」 こんな顔で否定すれば逆効果だと思うのだが、当の本人は自分が今どんな顔をしているかなど、わかっていないだろう。 むくれて下唇を軽く噛む聖の姿に、彼は内心でひっそりと笑う。 「だから、違うって言ってるだろ。別にあんたが夜中どこに行こうが、俺の知ったこっちゃぁ……」 そこまで言い掛けて、「しまった」という顔をした聖が烙から顔を背けた。 語るに落ちるとはこの事だ。相変わらず分かりやすい、正直な反応だった。 「なるほど。妬いていたのか」 「ち、が、う」 条件反射のごとく全否定しながら、混乱しているらしい聖が頭を振る。それをポンポンと軽く頭を叩くことで烙は宥める。だが、彼には追求を止めるつもりはなかった。 今のままの状態でも悪くはない。それなりに楽しんではいる。 それでも、一度、聖に触れてしまえば欲はより深くなった。もっと深く彼を味わいたいと、その身と交わりたいという想いがわき上がる。 その衝動は、烙にとって本能と直結する自然な感情だったが、今はまだそれに押し流されるて良い時ではないことも知っていた。 無防備に聖が好意を示す度に、欲望が理性を凌駕しようとせめぎ合う。それは真新しい感覚であり、それなりに疲れることだった。 いっそこのまま押し倒してもいいか、と思ったことも一度や二度ではない。ただ、そうすれば彼の心は頑なになるだろう。 心が伴わない行為など、無味乾燥としたものでしかない。それによって彼の心が欠けるなど、それこそ本末転倒だ。 烙は聖を傷つけたいのではない。 彼を愛おしみたいのだ。 だがら、思い止まっていたのだが―― そろそろこの距離感に焦れていたのも事実だった。 " 無意識 "というものは、なかなかに罪だ。このまま待っていても、聖は自分の感情を自覚しないのではないかと烙は思い始めていた。 ならば、この機会に自覚するよう働きかければいい。 相手が彼なので、どこまで意図通りになるかはわかない。だが、それはそれで構わなかった。もし失敗したとしても、ただ現状が続くだけだ。 「夜中に出掛けていることに気づいていたのか。心配するようなことはしていない。俺はおまえにしか興味がないからな」 「〜〜〜」 羞恥に頬を染め、こちらを睨みつけてくる聖に烙は微笑む。その笑みに虚を突かれた聖が動きを止めた瞬間を狙い、その額に口付けを贈った。 「〜〜何するんだよ」 額を抑えて唸った聖に、烙は笑みを浮かべたまま。 「愛しい聖に口付けただけだ。嫌か ? 」 平然と答え、彼の顔を覗き込む。 羞恥と戸惑い、そして混乱。 青色の瞳は潤んだまま、映し出された感情に揺れていた。 だが、そこに嫌悪の色はない。 「嫌か ? 」 再び問い掛けた烙だったが、それに対する答えは聖から返らない。 「……あんた、意地悪だ」 ぽつりと呟かれた言葉。 聖は烙の膝の上に乗ったまま動けない。烙の腕は彼の身体を支えるように添えられてはいるが、けして閉じ込めているわけではない。 この状態を嫌がって自ら離れるならば、彼はその願いを叶えるはずだ。 烙に寄り添う、この場所から動かない。 どんな言い訳を並べようと、それは結局、聖の意思でしかない。 嫌かと問われれば、その答えは否。 彼から贈られる口付けもこの体勢も、嫌ではない。ただ恥ずかしいだけだ。 けれど、そんな答えなど口にしたくない。その行為は聖にとって断崖絶壁から、無力な状態で飛び降りることに等しかった。 そんな覚悟、今の彼にはない。 「意地悪、か。無意識に俺を煽るおまえも十分たちが悪いと思うが ? 」 「俺がいつ、あんたを煽ったよ」 不機嫌そうに小さく尖る唇に、烙が軽く口付ける。それにまた、聖があからさまに動揺した。 「そういう所が、だ」 本当に困ったものだ、と烙は笑う。 傍に居れば、離したくなくなる。この温もりをずっと感じていたくなる。 己のモノだと主張して、誰の目にも触れないように、触れさせないように閉じ込めたくなる。 そんなこと、聖は絶対に望まない。己の命をかけて抗うだろう。 烙は彼を壊したくない。 だから、彼に対してできるはずもないことだというのに――。 「あんた、嫌い」 憎まれ口を叩き、口をへの字にしてふいっと聖が視線をそらす。その頭を烙がゆっくりと撫でながら、仕方ないとでも言いたげに小さく苦笑した。 「嫌いでいい。おまえの嫌いは、好きの裏返しだからな」 いつぞやも告げたことのある言葉を呟き、彼がどんな反応をするか待つ。 「なんだよ、それ。なんで俺があんたを、その……」 言い掛けて真っ赤になってどもった聖に、目で続きをうながす。 その視線と沈黙に耐えられなくなった聖が、烙を睨みつけながら叫んだ。 「あんたを、好き、ってことになるんだよ !! 」 真っ赤に熟れた果実のように赤い顔で睨みつけてくる聖だが、躊躇った単語を告げる瞬間だけ、その視線が確かに泳いでいた。 それに気づいた烙が少しだけ目を見開き、次第にその唇が弧を描き出す。 「自覚したか」 ぼそりと呟かれた言葉に、聖の身体が微かに震えた。心の底まで暴かれそうな琥珀色の瞳に囚われ、彼はそこから目がそらせない。 怖い。だけど、見つめていたい。 荒れ狂う心の内で、コトリとひとつの言葉があるべき場所に納まった。 好き、という簡素な単語。 口にするのを躊躇ったあの瞬間、聖の中でついにその言葉が否定しきれなくなった。口に出してしまえば、コロコロと勢いよく転がり落ちて、示し合わせたように出来た穴へすとんと納まり、その存在をはっきりと主張し始める。 " 嫌い "という、烙に向ける単語の本当の意味は……。 ただ悔しかったのだ。 すべてがこの男の思惑通りのようで。 素直に認めるには、この感情はあまりにも異質で―― 怖い。 こんな感情を聖は知らない。 独占欲 ? 否、そんな生易しいものじゃない。 もっと貪欲で、無慈悲で、狂おしく凶暴で……。 すべてをのみ込み、焼き尽くすような熱が内側で荒れ狂う。 一族に科せられた業。 恋情の狂気。 徐々に近づく烙の顔に自然と目を閉じた聖は、唇に触れた熱を受け止める。 そこから伝わる甘美な誘惑に歓喜する、逃れようのない己が心の変化を、彼は認めざる負えなかった。 |
************************************************************* R18部分は、18歳以下の方は入室禁止です。最終的な判断は個々にお任せしますが、この先に入室する場合は、その旨を踏まえた上でお進みください。 2012/04/15
修正 2013/12/29 |