求婚 <17> |
「あんた、ホントに財布なんて持ってたんだな」 券売機で烙が切符を買う様子を後ろからのぞき込み、聖がしみじみと呟く。 こんな風に出掛けたことがなかったから、彼が財布を出して貨幣を払う所を見るのも初めてだ。 「切符だ」 「へ ? ありがとう」 目の前に差し出された物を反射的に受け取って、はて ? と聖はそれを見る。 「って、切符代、払う」 どうやら烙は聖の分も一緒に買ってくれたらしい。 そのことに遅ればせながら気づいた彼は、背を向けて改札口に向かって歩き出した烙のジャケットを思わず掴む。そして、咄嗟の行動とはいえ自分の動作に自分で驚き、彼は慌てて手を引っ込めた。 「いらん」 振り返った烙が面白そうな顔で聖を見た。 そのことに気づき、聖が憮然とした顔をなんとか作る。 「行くぞ」 スタスタと先を歩いていく烙の背を聖は困惑気味に見つめ、息を吐き出し、何かを振り切るように彼の後を追ったのだった。 満員電車とは言わないが、それなりに混雑した車内で二人は並んでドアの側に立つ。聖は烙の方を見ないように、車窓から見える景色に視線を向けていた。 それでも、ざわつく車内で多くの視線が烙に向いていることには気づいた。少し耳を済ませば、彼について話すそこここの会話すら正確に拾える。 この時ばかりは耳が良いことを、聖は恨めしく思っていた。 少し考えれば、この状況は簡単に想像できることだった。 烙の容姿はものすごく目立つ。近づき難い雰囲気で他人を寄せ付けはしなくとも、遠巻きに目の保養をするくらいなら十分すぎるほど整っているのだ。 そして、なぜか今の彼からはあれほど威圧的だった力の気配が感じられない。たぶん意図的に抑えて隠しているのだろう。 だからこそ、そういう意味で烙を畏怖する者がない。こんな限られた空間内で大人数に恐慌状態になられても困るので、彼の判断は聖にとっても有り難いものではあるのだけれど――。 聖は自分の浅慮さを、今更ではあるが悔いていた。 これなら烙の空間転移で移動してしまった方がよかった。 聞こえてくる会話の数々が、なぜか癇に障る。なら聞かなければ良いと思うのだけれど、気になるのでついつい聞いてしまう。 聖の眉間に自然と皺が寄る。不機嫌を示すように、その唇が小さく尖った。 それに気づいた烙が彼の頭に手を伸ばし、銀色のやわらかい髪をクシャクシャとかき乱す。 「何すんだよ」 その手を払い除けて聖が烙を睨みつる。その様子に烙は意味ありげに笑った。 車内のざわめきが増したことに聖があからさまに顔をしかめたが、烙は気にした様子もなく飄々とした態度を崩さない。 「いや。撫でたかっただけだ」 「なんだよそれ」 聖がフイッとまた車窓に視線を戻し、乱された己の髪を直す。その様を烙が楽しそうに笑って見ていたのだが―― その姿は今までとは別の意味で、余計に人目を引いていた。 聖にだけ向けられるその笑顔は、烙が本来持つはずの近づき難い雰囲気を消す効果があった。そして、向けられた相手はといえば、本人無自覚ではあるものの、愛嬌のある容姿を持つ十代後半でも通りそうな青年なのだ。 男と青年の容姿は、色味も含めてまったく似ていない。まとう雰囲気は真逆とも言えそうなほど違う。だというのに二人の微笑ましいやり取りから、彼らが連れであることは間違いない。 不思議な組み合わせの二人に、周囲の好奇心が更に刺激されたとしても仕方ないというものだ。 更にざわめきが大きくなり、好奇の視線が自分にまで向けられていることに気づいた聖の機嫌はいっそう降下した。 その感情の揺れが何を元に起こっているかなど、彼はまだ気づいていない。それらすべては、無意識下での反応。 だが、その様子をつぶさに観察していた烙の方はといえば、当然の如く気づいていた。 周りに注目されてはいても、さすがに話し掛けてくるような度胸のある人物はおらず、二人は予定通りに山吹の駅で降りた。 聖は無言でズンズンと足を進め、改札を通り、北口から外へと出る。その後を烙が笑みを浮かべたまま悠然と続く。 いくら聖が早足になろうと、彼よりも背の高い烙は歩幅も広い。余裕綽々でついてこられるものだから、ついつい聖がむきになり、彼の足で普通に歩いて二十分かかるはずの目的地に、その半分の十分で到着するという快挙を、気づけば成し遂げていた。 新しい我が家に到着して少しだけ気持ちが落ち着き、己の所業を振り返った聖は深く息を吐き出す。 我ながら大人げなかったかも。 そんな思いが浮かび、少しだけ気まずそうに後ろに立つ烙を振り返った。 「ここ」 簡潔に告げられ示された先には、猫の額ほどの庭がついた一戸建てがあった。二階屋で、それなりの建築年数が経った建物だと外観から判断できる。他の家との間には畑や空き地などがあり、少し離れていた。 山吹と聞いた時から郊外だとは思っていたが、まさか一戸建てだとは思っていなかった烙は素直に驚く。 その様を満足げに見てから、聖は玄関のカギを開けて中に入った。室内は外観よりも新しい。内装工事でもして、さほど時が経っていないのだろう。 今まで聖が住んでいた1LDKのアパートよりも、当然、広い。 「今度は勝手に改装するなよ」 聖の後ろにいる烙からは、彼の顔が見えない。どんな表情でその台詞を言ったのか知りたくなった烙は、聖の腕を引っ張った。 不意を突かれた彼の身体が、まっすぐに烙の方へと傾ぐ。そのまま烙の胸に頭を預ける形で抱き留められていた。 驚きに見開かれた青色の瞳と笑みを含んだ琥珀色の瞳が交差する。 「俺と住むこと前提で、ここを選んだのか ? 」 烙が囁くように問い掛ければ、聖の瞳が更に大きく見開かれ、その頬がほんのり赤く色付いた。 「違う。家庭菜園がやりたくて庭付きの家を探してたら、この借家がちょうど入居者募集になってたんだよ。郊外だから入居料も思ったほど高くなかったし。だから別に、あんたのためじゃないんだからな」 そらされた視線がどことなく泳いでいる。体勢を立て直した聖は烙の腕から抜け出し、そそくさと廊下を進んでその先の室内へと消えた。 まったくの嘘ではなさそうだが、あの動揺の仕方からすると烙の言ったことも当たっているのだろう。 そう結論付けて、烙はその場でおかしそうにクツクツと笑う。 聖の今までの生活空間と生活様式を鑑みると、ひとりで暮らすには、この家はどう考えても広すぎるのだ。家庭菜園の規模にもよるが、ベランダのプランターという手もあるし、庭付きのアパートという選択肢も無いわけではない。 本格的にやるなら、近場で農耕地を借りるという方法もある。 それなのに彼は、わざわざ部屋数の多い一戸建てを選んだ。 烙が引っ越し先までついてくると知った時の反応が嫌そうだったわりには、こうして彼と住むことを考えて家を借りているのだから、なんとも矛盾した行動である。 「飽きんな」 ぼそりと烙は呟く。 あれほどわかりやすいのに、あれで本人は無自覚なのだから不思議にすら思える。だが、それが聖なのだとも納得できるのだから妙な話だ。 烙は聖の消えた先へとゆっくり歩を進める。 きっとその先では引っ越し作業が進まず、彼が来るのを不機嫌そうに待つ聖がいるはずだ。目に浮かぶ光景に、その顔には無意識に愛おしそうな笑みが浮かんでいた。 |
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