01. 皇帝と側近 |
人気のない路地裏で、剣を持った数人の男達に囲まれる二人の男がいた。 危機的状況。 だというのに、その二人に緊張感はまるでない。 「あなたって人は本当に――。何人から恨みを買えば気が済むのですか?」 心底呆れたような、ため息混じりの言葉を薄茶髪の男が言えば、銀髪の男はそれに苦笑を返し、 「さあな? 俺にそんなつもりはまったくない」 飄々とした様子で肩を竦めて見せ、男達を牽制しつつ腰にさした剣をゆっくりと抜いた。 「あなたにはなくとも、向こうはそう思ってくれないみたいですけれど――。あの感じはどう見ても殺る気ですよ。なんであなたに付き合うと、いつも絡まれるのでしょうね。命が幾つあっても足りませんよ」 文句を言いつつ、慣れた様子で薄茶髪の男も剣を抜き構える。 そこには一分の隙もない。 二人を囲む男達はその状況に一歩も動けないまま。 危うい均衡を保つ中、緊張感のまったくない二人の会話は続く。 「本気で思っているわけでもないのにぼやくな。雑魚相手におまえが死ぬか」 わざと挑発するために言ったのか。 心底そう思って言ったのか。 判断し難い所ではあるが、なんとも失礼なことを断言した銀髪の男に向けられる殺気は増し、ついに均衡は崩れた。 「万一ということもあるでしょう? 命は儚く、あっけなく散るものです。死は誰にでも等しく訪れますから」 男達の攻撃を受けては流し、その勢いを借りて刃を返す。極力傷付けないように気をつけながら、薄茶髪の男は剣を振るう。 その言葉の端々からは、しみじみとした思いが滲んでいたが、 「なんかおまえが言うと嘘臭い」 極力傷付けないように相手を伸すのは同じだが、薄茶髪の男とは違い、力押しな剣の使い方をする銀髪の男がぼそりと呟き、バッサリとそれを否定した。 「……一度、死んできますか?」 薄茶髪の男が迷いのない一太刀を銀髪の男に繰り出す。それは相対する男達に向けるような手加減したものではなくて――。 当たれば大怪我するだろうそれをかわし、銀髪の男が批難の声を上げた。 「本気で斬る奴があるか! 殺す気か?」 こうしてやり取りしている間も、男達の攻撃は止まない。だが、二人はその相手をしつつ、会話を続けていた。 「これも世のため、人のため。私の平穏のためです」 しれっと返された言葉に、銀髪の男がため息をつく。 薄茶髪の男のこういう言動には慣れていた。 二人の付き合いは長いもので、途中で互いの立場が変わろうと十年以上も連んでいる。それだけ一緒にいれば、互いに良い所も悪い所もわかるというもの。 この男の毒舌に傷付くような神経を、銀髪の男は持ち合わせていない。 そうでなければこれほど連んでもいられなかっただろうが――。 「……それは違うだろう、絶対。嫌がる俺をおまえが無理矢理引っ張り出して無用な地位を押し付けた時点で、おまえの平穏なんて夢のまた夢。俺の平穏な日々も一緒に潰えたんだから、俺のせいにされても困る」 とりあえず責任転嫁されることだけは、認めると後々面倒なことになるので否定したのだった。 それほど時が経つことなく、その場に立っているのは薄茶髪と銀髪の男の二人だけになった。 地に這いつくばって気絶した男達を見回し、銀髪の男が剣を仕舞う。 「今更、その話を蒸し返しますか。何年前の話です、まったく。それとこれとは話が別です。――それに、この人達は確実に関係ありません。あなた個人が原因ですから私は責任持てませんし、持つ必要もないはずです。いったい何をしたのですか?」 薄茶髪の男も剣を仕舞い、銀髪の男を呆れたように見る。 「俺に聞くな。知らんものは知らん」 その視線を居心地悪げに受け止め、銀髪の男が投げやりに答えれば、 「心当たりがありすぎるのですね」 逡巡する間もなく即答した薄茶髪の男が、頭が痛いとでも言いたげに芝居がかった仕草で額を押えた。 「おいっ。勝手に変な結論を出すな。向こうの勘違いって線もあるだろうが」 「ないですね」 即座に否定されて、反論する気を根こそぎ削がれた銀髪の男は諦めを多分に含んだ様子で肩を落とした。 「レシー。気遣いって言葉、知っているか?」 「そういうフィーこそ、遠慮って言葉を知っていますか?」 一見穏やかで和やかな笑顔を双方浮かべているが、その瞳を見れば一目瞭然。双方共にまったく笑っていない。 傍から見ればそれは実に不気味な光景だったが、幸いこの場でそれを目にする人間はいなかった。 「勝手に省略して呼ぶな。間抜けだろうが」 「その言葉、そのままお返しいたしますよ。私の名前はレキシスだと、何度訂正すれば覚えるのですか。そもそも、レシーは女性の呼び名です。省略するなら、レキでしょうが」 「レシーの方が呼びやすいから、ついな」 「ついじゃないですよ、ついじゃ。どこをどう見ても私は男です。誰に訊いても断言しますよ」 「まあそうだな」 薄茶髪の男、レキシスを女性と見間違える人間はいないだろう。 けれど、美丈夫というよりは美人と言った方が似合う容姿をしている彼は、レシーと呼ばれてもあまり違和感がない。 「別に誰に迷惑をかけるでもなし、おまえだってわかるんだからいいだろう」 しれっと答えた銀髪の男に、レキシスの顔が一瞬引きつる。 それをもう一度上辺だけの笑みで隠し、 「あなたがそういうつもりなら、私も別に改める必要はないでしょう。あなたなんて、フィーで十分です」 反論を許さない声で、そう宣言した。 双方、しばらく無言で睨みあっていたが、どちらからともなくため息をつき、 「何やってんだかな」 「ええ、本当に」 顔を見合わせ苦笑いした。 「時間の無駄、不毛なことをしましたね。さて、とりあえずこの人達はどうしましょうか? どんな理由があろうと、帝国一の権力者に手を出したことに変わりはありませんから、それ相応の罰はしかるべき処置だと思いますが」 放置されたまま、うんともすんとも言わない周りに転がる男達。 その処遇をレキシスは銀髪の男に求めたが、返ってきた答えはあっさりとしたものだった。 「別にいい。このままここに放っておけ」 「それでは示しがつきません」 己の地位を蔑ろにする男に、彼の側近としてレキシスはいちおう諌める。 それに銀髪の男はおもむろに肩を竦めて見せた。 「こいつらは俺の地位など全然知らんに決まっている。一国民の俺に手を出しただけだ。要するに、これは単なる一般人同士のいざこざでしかない。これだけ叩きのめしたんだから、もう十分だ」 「……まあ、あなたがそう言うなら、そういうことにしておきます」 しばらく考えるような仕草をした後、レキシスはあっさりと引き下がった。 その態度に銀髪の男は驚き、軽く目を見開いたが、続いた言葉に顔をしかめる。 「ただ、自分を一般人扱いするのはどうでしょうか。今のあなたは一国民と呼ぶにはかけ離れた存在、一国の主ですから」 「また小言か。どうかと言われても、俺は元々単なる一般人で、いずれまた一般人に戻るんだ。別に構わんだろう?」 「あの宣言を覆す気はありませんか?」 問い掛ける声には自然と険がこもり、レキシスの眉間には皺が寄った。 「ない。俺がこの地位に就くのは、あの時から十年間だけ。それだけの猶予があれば、アレも帝国を背負えるだけの十分な力を得られるはずだ。古く醜悪なものは潰し、新たに始めたこの国だが、それでも血の因果は残っている。正当な王位継承者であるアレにこの国は還すさ。―― 違うな。そもそも俺は帝国を預かっているに過ぎないんだから」 淡々とした声で語る間、銀髪の男の視線がレキシスを見ることはなかった。 レキシスは悟られないように小さく息を吐き出す。 「そろそろ戻りましょう。不在がバレたら事です」 踵を返して、城への道を歩き始める。 「ああ、そうだな」 その背に返事をしたものの、銀髪の男の足は止まったまま。 気配でついて来ないことに気づいたレキシスが歩みを止め、後ろを振り返った。 「どうしました? 置いていきますよ、フィルズ」 そう言い置いて前を向き、ゆっくりと歩き出す。 銀髪の男、フィルズは久しぶりに彼の口から聞いた自分の名前に一瞬目を見張り、苦笑した。 今の地位についてから呼ぶものなどほとんどいない、それでも自分を示す唯一の名前。 今でもその名を呼ぶ人間は昔から付き合いのある親しい極数人のみで、レキシスもその一人だった。 やっと自分に追いついてきたフィルズの顔を見て、レキシスは眉をひそめる。 「着く前に、その顔をなんとかしておいてくださいね」 「仮面ぐらい、すぐに被れるさ」 「言葉遣いもです」 「わかっている」 皇帝の真実の顔を知っている者も、親しい極数人のみ。 無感情、無表情、冷酷、冷徹、……。 挙げ出したらきりが無さそうな、我ながら酷いと思う自分を示す言葉達。 けれど、それがフィルズが被った皇帝としての仮面だった。 その上、人前にはほとんど姿を見せないようにしている。 一般人からすれば皇帝とは雲の上の人間なのだろうが、流れる噂と見えない姿がそれに輪をかけて得体の知れない皇帝となっているだろう。 だが、国がしっかり国として機能し、生活がある程度保障されているので、頭の人間が多少怪しかろうと国民は目を瞑ってくれていた。 そもそも帝国をここまで立て直したのは、その怪しい現皇帝なのだ。 「……あなたも正当な血筋の持ち主ではあるのですよ」 先程の言葉を気にしてか、レキシスが彼らしくない不明瞭な声で小さく言った。 「それは否定しない。だが、俺はこんな地位を必要としていない。柄でもない。今はアレがまだ幼いから仕方なくいるだけだ。アレに渡したら、旅にでも出るかな」 「あなたは本当に――」 言葉は続かず、ため息に変わり、 「あなたが辞める時には、私も辞めますから」 唐突にレキシスは宣言した。 「は?」 予想外の言葉に、思わずといった感じでフィルズの足が止まる。 「ちょっと待て」 レキシスの肩を掴み、ぐいっと引っ張った。 「なんでおまえまで辞める必要がある? おまえまで辞めたらアレが困るだろうが」 仕方なく止まり、フィルズに向き直ってレキシスが目を細めた。 「まったく。あなたが弟君を溺愛しているのは知っていますが、私にまで押し付けないでください。私がいつ辞めようと私の自由です。それともなんですか? 自分が嫌がっていることを、私に強要することができると? あなたのその権力を持ってしての命令なら聞きますよ」 力の少し緩んだフィルズの手を肩から払い除け、レキシスは静かな眼差しを彼に向ける。 「……おまえは本当に嫌な所をついてくるな。俺がそれを疎んでいることを知っているくせに」 苦々しげな顔になったフィルズに、レキシスは極上の作り物の笑みを浮かべて見せた。 「私はあなたの補佐ですから。――これくらいでないと勤まりませんよ。さあ、そろそろ本気で急がないとまずいです」 スタスタと再び歩き始めたその背を見て、仕方なくフィルズも歩き始める。彼の言う通り、そろそろ城に戻っていないとまずかった。 抜け出したことがバレてしまえば、今まで被っていた仮面もどこから崩れるかわからない。 だが、その心中は複雑で。 相変わらずレキシスは何を考えているのか……。 彼が何を思い、考え、ああ言ったのか。 フィルズが答えにたどり着く日は――来るのか、来ないのか。 それは誰にもわからない。 |
************************************************************* Web拍手より 2007/11/07
修正 2012/01/15 |