天の審判者 <8>



決まればこれ幸いとばかりに、とんとん拍子で事は進んだ。
場所を移動するというのだ。
シリス曰く、ここよりも安全で安心できる場所らしい。
拒否する理由もなく、スーリャは彼の言葉に従った。

シリスに呼ばれ、控えていたラシャが現れる。その手には一目でわかるほど上等な布で作られた衣があった。
「とりあえずそれに着替えてくれ」
言われるままにスーリャは衣を手に取ったが、異国の服の着付け方なんて知らない。朝と同じく、仕方なくラシャに着替えを手伝ってもらった。
肌触りの良い衣は着心地も良かった。けれど、気になることが一つ。

これって男物?

色味は淡い青を主としていて、男女どちらでも着れそうな代物だった。
シリスの着ているようなすらっとした直線を主とした感じの衣とも、ラシャの着ているようなふんわりとした曲線を主とした感じの衣とも違う。
どちらの特徴も取り入れたような衣に、スーリャは首を傾げる。

「似合うな」
満足そうに着替えたスーリャを見て、シリスはポツリと呟いた。
その呟きはスーリャまで届かない。
「……これって男物だよ、な?」
まさかとは思いつつも懸念を消すことが出来ずにスーリャが問えば。
「どう思う?」
人の悪い笑みを浮かべてシリスが問いを返した。

スーリャが己の装いを見て嫌そうに顔をしかめると、押え切れなくなったのか。
シリスが腹を抱えて笑い出した。
しばらく笑ってから、
「しいて言うなら、それは子供用だ」
シリスは笑みの残る顔でスーリャを見る。
「俺は子供じゃない!」
カアッと頭に血が上って反射的に言い返し、スーリャは自分の言葉に眉根を寄せた。思い出せないから自分の正確な歳がわからない。

「シリスさま。からかうのも程々にしないと、嫌われてしまいますよ」
助け船を出すように、ラシャがシリスを諌めた。
「そちらの衣は成人前の男女が身につけるものです」
ラシャの説明に納得して、改めて繁々と自分の姿をスーリャが見ていると。
「実際の歳はわからないが、外見は十五、六歳に見えるからな。この国の成人は十六歳だ。その服で充分間に合う」
シリスがすぐ側まで来て、ニヤリと意味ありげに笑った。
「それにその方が都合が良い」
「……都合が良い?」
その笑みに嫌な予感が胸を過ぎったが、スーリャは渋々と訊ねた。
「スーリャは目立つからな。成人前の子供は保護者の庇護下に置かれ、下手なちょっかいを他人が出すことは禁じられている。なにせ法に触れるからな。でも、成人後はそうはいかない。何かあってからじゃまずいだろ?」
意味ありげな眼差しと言葉が何を示しているかは明白で。
スーリャの顔が怒りで赤く染まった。

「俺は男だ!」

血の上った頭で怒鳴り、シリスに掴みかかろうとするも、阻止され逆に押さえつけられた。
「ううっ」
スーリャは唸った。
背中は壁。前にはシリス。
しかも、腕はシリスに捕らえられ押しても引いても自分の力では取り戻せない。
それでも諦めずもがいていると――。

パスコ〜〜ン。

唐突に間の抜けた微妙な音が辺りに響いた。
それと同じくシリスの手が外れる。

「まったく。遅いと思って来てみれば、あなたという人は何をやってるんですか」

いつの間に来ていたのか。
両手で頭を押えてしゃがみ込むシリスの真後ろに、心底呆れた表情を浮かべたリマが立っていた。その手には先程の音の発生源、シリスの頭を叩いただろう凶器の分厚い本がある。
なんであんな間抜けな音が? と頭の片隅でスーリャは思う。
「スーリャ、すみません。この通り不届き者には天罰が下りましたから、これで許してください」
にこやかな笑みを浮かべたリマの顔とパシパシと本の表面を叩く動作を目にし、スーリャは引きつる笑みを浮かべた。

この人を怒らすのはやめよう。
そう思い、目の前でいまだ沈んでいるシリスに同情した。
間抜けな音はともかく、あれで叩かれたらかなり痛かったんじゃないだろうか。

「いきなり何するんだ」
やっと回復したらしく立ち上がったシリスが、不機嫌にリマを睨む。一方の手は、いまだ叩かれた部分を痛そうに擦っていた。
「いきなりではないでしょう? あなたのことだから、私が来たことは知っていたでしょうに」
「そんな分厚い本で叩かれるなんて、誰が考えるか!」
食ってかかるシリスに、リマはどこ吹く風で。
「それは避けられなかったシリスが悪いんですよ。まだまだですね。そんなことでどうしますか」
飄々とのたまう。それには謝罪の念はまったくといって良いほどなかった。
「そもそも、なんでスーリャを押さえつけているんですか? どうせしょうもないことでからかっていたのでしょうが、時と場合と相手を考えなさい。度が過ぎれば悪趣味で、いい迷惑です」

ピシリと言い切ったリマに、その点に関してはシリスも言い返さなかった。
確かにからかいが過ぎた部分もあったのだ。
スーリャに成人前の服を着せた理由の大部分は別にある。
これから移動する場所が場所だけにそれを着せたのだが、それを彼に話し損ねた。反応が面白くて、ついつい構い過ぎてしまったのだ。
そこそこ反省する点はあるだろうが、リマの攻撃から身をかわすことに関してだけは言いたいことがある。

「無理を言うな。おまえの気配無し殺気無しの本気の一撃が俺にかわせるわけないだろ」
苦虫を噛み潰したような顔をするシリスに、リマはため息をついた。
「そんなことでどうしますか。これくらいかわせて当たり前になってもらわないと――」
「無理。絶対に無理。俺にそんな化け物じみたことが出来るか!」
リマの言葉を遮り、シリスは怒鳴り散らす。
その首は思い切り横に振られていた。
「……あなたの言い分だと、私が化け物のように聞こえますけど。私の聞き間違いですよね?」
幾分か低くなったリマの声に、シリスの動作が止まった。あらぬ方を見て自分の言動を思い返し、誤魔化し笑いをその顔に浮かべる。
その笑顔が微妙に引きつっていたことは、隠し切れていなかった。

先程まで自分をからかっていたシリスが言い包められ窮地に陥っている姿に、スーリャは笑いを堪えきれずに噴出した。たまらずに腹を抱えて笑い出す。
「……おかッ……し…い。腹……痛…い」
ヒーヒー笑うスーリャを、リマは困惑した顔で、シリスは憮然とした顔でそれぞれ眺めていた。
しばらくして笑いを収めたスーリャが顔を上げる。
「ごめん。思い切り笑っちゃって。あんた達の会話ってツボをつくんだ」
大笑いした名残りで、顔は笑みを刻んだまま。
その瞳はキラキラと輝き、少し潤んでいる。
「……ツボ、ですか?」
訝しげなリマの疑問にも、スーリャはにこやかに答える。
「そう。ツボ。笑いのツボね」
まったく悪気のない答えにリマとシリスは顔を見合わせ、同時にため息をつく。
和やかになったスーリャの雰囲気を、喜んで良いのか。
切っ掛けが切っ掛けなだけに、二人とも心中は複雑だった。

いつまでもここに居ても仕方ない。余分なことをして時間を浪費してしまった。
待ち人に催促されて、わざわざ呼びに来たというのに……。
本来、自分が何をしに来たかを思い出したリマが言った。

「行く準備は調っているようですね。では、行きましょうか」





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2006/06/18
修正 2012/01/16



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