天の審判者 <54>



しばし沈黙した後、メイ・ディクスが静かに肯定した。
「……そうですね。たぶん、悪いのは私です。あの時、もう一つの選択肢を取れば、今、カイナがこのような状況に陥ることもなかった。けれど、私にはそれを選ぶことはできませんでした」
とつとつと語られる言葉の端々から、苦悩が伝わってくる。
「人間風に例えるのなら、カイナは私にとって母であり、そこで生きとし生けるモノ達は子供のようなもの。大切な、愛しむ存在であり、育む存在でもあります。その思いは今でも変わりありません。それでも、それらを犠牲にしても、私はとても大切な、唯一のものを失うことだけはできませんでした」

「もう一つの選択肢って何?」
スーリャは感情を抑え、できるだけ淡々と聞こえるように疑問を口にした。
「そもそも暴走したルーの存在をカイナから消せば、禍などこの地に巣食うことはありませんでした。けれど、そんなことをすればいくらルーであろうと、その命は消えてしまいます。その力がルー自身を殺してしまう。それだけはできませんでした。自己満足だと言われようと、自分勝手だと言われようと、私がどうなろうとルーだけは失えません。守りたかった」
その言葉に宿っていたのは、ひたむきで一途な想いだけだった。

自分にとって一番大切なものを守るため、メイ・ディクスは他のすべてを犠牲にした。その想いはスーリャにも痛いほど理解できる。もし同じ選択肢を迫られたなら、メイ・ディクスと同じ道をたどるだろう自分を彼は迷うことなく想像できる。
シリスを失うかもしれないという恐怖と怒りで、その原因すべてを壊してしまおうとした自分だ。彼を失うことだけはどうしても嫌だった。
そのためなら何を犠牲にしてもいい。自分の身すら、構いはしない。
メイ・ディクスの想いは一途で深い。
その想いを向けられたルー・ディナの想いもまた――。

けれど。

「ルー・ディナは後悔しているよ。メイ・ディクスにすべてを背負わせてしまったことを。この大地に巣食ってしまった己の想いを。何もできない自分に嘆いている。知ってる? 届いてる?」

自己満足は、時に相手を傷つける。

ルー・ディナはスーリャにその傷を悟らせはしなかったが、それでも心の奥底では永い間、傷は開いたままなのだろう。
それを塞げるのはただ一人、メイ・ディクスだけだ。

「ルーの想いはこの場にいても、身近にあるようにわかります。けれど、私の想いはルーには届かない。伝えたくても私はこの場を離れることができませんし、ルーもまた然り。禍がすべて消えるまで、私達は会えません」
それは初めからわかっていたことだと、メイ・ディクスは淋しげに言った。
「けれど、私は後悔していません。ルーの存在があるだけで、私は幸せです。ただ、ルーの悲しみをぬぐえない自分がもどかしいだけ。今起こっているすべての咎は、私が背負うべきものです。ルーは何も悪くない。それなのに自分のせいだと責めるその心を知ることはできても、抱き締めることは叶いません。それがとてももどかしい」
そうきっぱりと言い切った声には、ルー・ディナへの愛情が溢れんばかりに込められていて。
「……なんか俺、惚気られた気がするんだけど」
スーリャが呆れたように呟けば、クスクスと笑い声が返ってきた。

「たまには良いでしょう? あなた達もずいぶん惚気てくれましたから」
楽しそうな声と言葉に、スーリャは「えっ?」と思わず声を上げる。
「俺がいつ、どこで惚気たって?」
「あなたはルーの愛し子ですけど、私の愛し子でもあるのですよ」
唐突なメイ・ディクスの言葉に、何を言いたいのか理解できずにスーリャは首を傾げたが、続けられた言葉にギョッとする。
「ルーと私に連なる魂を持つ者の中でも、特にあなたはルーによく似ています。だから、私は心配で――。あなたの存在をカイナで見つけてから、この場で私はずっとあなたを見守っていました」

言葉でどう取り繕おうと、メイ・ディクスがのぞき見をしていたことに変わりはない。何をどこまで見られていたかはわからないが、シリスの存在を知っていることは確実だ。しかも、自分と彼がどういう関係かまで知っている。
スーリャは顔が赤くなるのが自分でもわかった。
それに追い討ちをかけるように、メイ・ディクスの声がする。
「そこまで照れなくても。……別に、寝室の中までのぞいたりしていませんよ」
からかうような響きのその言葉に、
「そういう問題じゃない!」
元々赤くなっていた顔をよりいっそう赤くして、スーリャは反射的に怒鳴り返した。それがよりいっそうメイ・ディクスの笑いを誘ったらしく、笑い声がしばらく辺りに響いていた。

なんか疲れる。さすがルー・ディナの想い人というべきか。
別の意味で疲れさせられた。
ルー・ディナは天然だが、メイ・ディクスは確信犯だ。
わかっていて、わざと言っている。そして、返ってくる反応を楽しんでいるのだ。
なんとも性質が悪い。

スーリャは気分を切り替えるように息を吐き出し、別の話題を振ることにした。
「俺、これからルー・ディナの所に行くし、伝言があるなら伝えるけど」
自分の中で馴染み始めた元は禍だったものが、スーリャをルー・ディナの元に導こうとしている。
会うことができないとしても、せめて言葉だけでも伝えることができれば。
そう思い訊いたのだが、返ってきたのは否の言葉だった。

「あなたは良い子ですね。でも、それはできません」
「どうして?」
「これもまた、私に課せられた代償だからですよ。本来ならあなたに話すことすらしてはいけなかったと思います。今までにも私に呼びかけてきた子は、何人もいました。でも、誰も私の声を聞くことはできなかった。不思議なことにあなたには私の声が聞こえたので、つい話してしまいましたが……」
してはいけないことだったと告げる声は、淋しげに辺りに響く。
「……今まで誰も?」
「ええ。誰ひとり。あなただけ私の声を聞き、言葉を交わすことができた。どうしてでしょうね?」
本気で不思議がっている声に、スーリャはこっちの方が知りたいと内心で思う。
「俺が成人の儀をした時、『おかえり』って言ってくれたのはあんただろ?」
「そうですけど……それも聞こえていたのですか?」
驚愕を含む声に、スーリャは頷いた。

あの時、初めてスーリャがこの地に帰ってきたことを知った。それがうれしくて、届かないとわかっていても声をかけた。
せめて一言だけでもと、祝福を兼ねて。

「そんなことが――」
まさか届くとは思ってもいませんでした。

呆然と呟く声に、スーリャは言葉をかける。
「今までは今までとして、こうして話せるんだから俺に伝言を頼んでみない? 今、俺がこうしてあんたと話しているのも、少しは許されたからだってそう思わないか? カイナがカイナに存在するすべてのものに対して、やっと少しは許しを与える気になったって。会うことはできなくても、せめて言葉だけでも伝えることができれば、ルー・ディナの心だって少しは救われるだろ?」

「……そうですね。お願いできますか?」

そうしてルー・ディナ宛に託された言葉の一言一言には、メイ・ディクスの想いが深く宿っていた。
「必ず伝える」
スーリャはそう言い残し、己の内に導かれるように、ルー・ディナの元へと飛んだ。





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2007/03/07
修正 2012/02/06



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