天の審判者 <53>



上も下も右も左も、自分のいる場所すらよくわからない。
漆黒の闇の中で、スーリャはただ聞こえてくる声に耳を傾けていた。

それは、嘆き。
それは、叫び。

こうして渦中にいることで、今までよりもはっきりと明確な想いが伝わってくる。
それが推測を確信に変えた。
この想いが誰によってもたらされたかもわかって、スーリャは困惑する。
いったいどこにこれほど深く暗く、悲しいものを隠し持っていたのか。
接したのはほんのわずか。けれど、スーリャはまったく気づいていなかった。
ルー・ディナが抱えた闇。身を引き裂かれるような痛みに。

思い出されるのは、あの時、最後に呟かれた言葉。
『僕の過ち』
ルー・ディナは確かにそう言った。
自分の手を離れた場所で、自分の力が、想いが命を食らいつくしていく。そのことを後悔しているのだ、ルー・ディナは。
スーリャにすべてを託した。その行動がどんな言葉よりも雄弁に物語っていた。
ルー・ディナにとっては、いまだ過去にはならない想い。
だから、自分では手が出せない。何もしないのではなく、することができないといった方が正しいのだろう。

それほどに、この場に取り残された想いは鮮やかだ。
本人ではないスーリャでさえ、胸がどうしようもなく痛くて苦しい。まるでこれは自分の想いだと錯覚しそうになるほどに――。
それでもスーリャは、それに境界を引いた。
同調できる部分もある。でも、これはやはり違う。
何より自分にはシリスとの約束があった。

スーリャに伝わるのは悲痛な想いだけ。
なぜこの想いが生まれたのか。その理由はわからない。理解できたのは、禍がルー・ディナの想いと力が混ざり合ったものである、ということだけ。
スーリャは力を収める器。彼の中にある力も、禍も、元は同じものだ。だからこそ、この二つは惹かれあい、ひとつに戻ろうとする。
スーリャに課せられた役目は、自分の中に受け入れることだ。
禍は純粋な力へと戻り、想いはスーリャの心に包み込まれてとけていく。

スーリャは心で呼びかける。ルー・ディナの想い人だろう、メイ・ディクスに。
この悲痛な想いを抱えて眠りについたと言われている神。
けれど、それは本当なのだろうか。スーリャは疑問に思った。
推測でしかないが、切っ掛けはたぶんメイ・ディクスだ。
なんらかの理由でメイ・ディクスを失ったルー・ディナが、その悲しみに力を暴走させた結果、それが禍となった。
スーリャはそう考えた。

それをカイナの大地深くに沈め、一時的とはいえ、禍による破壊からカイナを救ったのはメイ・ディクスだろう。ルー・ディナの言うように、メイ・ディクスは世界を守ったと言えるのかもしれない。
でも、本当にそうなのだろうか?
永い時を禍がこの大地に止まる羽目になった原因は、メイ・ディクスにあるような気がするのだ。
傷ついたルー・ディナを癒せるのは、たぶんメイ・ディクスだけだ。
なぜメイ・ディクスは、ルー・ディナの傍にいることを選ばなかったのか。
禍と眠ることでしか、本当にカイナはその力のもたらす破壊から逃れる術はなかったのだろうか。
考えれば考えるほどスーリャの中で疑問は浮かび、すべてを知っているだろう彼の存在に問わずにはいられなかった。

「あなたの考えは正しくもあり、間違いでもあります。カイナを守る方法は一つではなかった。けれど、それは私のもっとも望まないものでした」
どこからともなく聞こえてきた、静かな声。
姿は見えず、その声だけでは男とも女とも判別できなかったが、そこからは確固とした強い意思が感じられ、この声の主がメイ・ディクスだと確信した。
スーリャは静かにその声に耳を傾ける。

「すべての始まりは一部の愚かな人間達の、愚かな思いによって引き起こされました。それによって当初予定されていたよりも、ずいぶんと早く私は肉体を失い、魂に深い傷を負った。それはひどいものでした。だからこそ、私を完全に失ったと思い込んだルーは半狂乱になり、力を暴走させた。その結果がこれです」
色々な疑問を止め、スーリャは話の続きを無言でうながした。質問はすべてを聞き終えた後にまとめてすればいい。
「神は万能ではありません。自分のことだけで手一杯だった私は、気づくのが遅れてしまいました。私が気づいた時にはもう、ルーの暴走はどうしようもない状態で―― 私ができたことといえば、ルーから世界に向けて放たれてしまった力を、その想いごと大地の奥底に閉じ込めることだけ。それも自分の魂まで使ってなんとかできる程度です。それほどにその時の私は弱っていました」
悲しみに満ちた声は、少しの後悔を含んでいた。

スーリャはあえてそれを無視して淡々と訊ねる。
「なら、その閉じ込めたものが今更、なぜ命を食らいつくそうとする?」
今はもう誰も知らない真実。
過去のツケを今になってなぜ、背負わされなければならないのか?
罪もない命がいくつも消えていく。人に限らず、動物も、植物も。この大地に根付くすべてのモノが――。
それはなぜ?

「この力は時間が経てば自然に他と混ざり合って消えていけるものではなく、私がすべてを大地の奥底に閉じ込めるには限界がありました。それほどにルーの力は大き過ぎ、想いは深かった。元々ルーの力がカイナにとって異質なものだったことも、こうなってしまった要因の一つです。ルーがカイナの者ではなかった分、反発する力も強かった。私は大地がなんとか耐えられる状態になるのを待って、押さえ込んでいた力を少しづつ放出するしかありませんでした。それが大地が払った代償。この大地に生きる物達にとって忘れ去られた遥か昔のこととはいえ、なかったことにはできないのですよ。壊れてしまったものが、二度と元と同じように戻ることはないのです。大地が代償を払うように、ルーも私もその代償は払わされる。でも、それはカイナがカイナであるために必要なことです」
だから、仕方ない。
その声はそう言っているように聞こえた。

自分の中で静かに燃え上がる焔。
スーリャはそれが怒りだと知った。
「……どれだけの罪もない命が消えたと思ってる。そんな言葉で簡単に済まされることじゃない!」
これが八つ当たりだという自覚はある。
メイ・ディクスは悪くない。その言い分は正論だろうし、被害者であることもわかっている。そして、禍をもたらしたルー・ディナが悪いわけでもないのだ。
メイ・ディクスの言葉が真実なら、原因は遥か昔の一部の人間にある。

けれど、スーリャはそう言わずにはいられなかった。
禍の被害は、今回だけに限らない。ジーン王国の被った被害はまだ軽い方だが、過去に禍はカイナの各国で牙をむき、多くの命を屠っている。いまだ草一本育まない荒野だって残っていると話に聞いた。

嘆きが、新たな嘆きを生み出している。

この負の連鎖の渦中にいるメイ・ディクスにそんな言葉で片付けられては、奪われてしまった命が哀れだ。
スーリャは闇の広がる目前を睨む。





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2007/03/07
修正 2012/02/06



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