天の審判者 <48>



「そこに突っ立ってないで、どういうことかいい加減説明してくれてもいいだろ、おっさん! 正体がばれてるんだから、俺に目隠したって意味がないはずだ」
スーリャは静かに怒りを込めて言った。
微かに笑う気配があり、スーリャの身体を拘束しているものすべてが取り除かれる。ただひとつ右手首にはめられた石のアクセサリー以外には。

それは彼の力を封じる力を持つ特殊な石だった。しかも、外したくてもそれをはめられた本人には外せない。自分で外そうとすると身体の力が抜けて、身動きできなくなった。
じわりじわりと時間をかけて石はそれを身に着ける人間の意思を奪い、いずれそこには生きた木偶ができあがるらしい。

その特殊な石は、ジーン王国内のある場所でほんの少ししか取れない希少な石だった。ただし、その加工は禁止されている。
手を加えなければ、ただの無害な石。けれど、特殊は方法で生成されれば危険物へと変貌をとげる。
だから、国王の名の下で厳重に管理されていたはずだった。
それがシリスの知らないうちに持ち出されて加工された。彼がその事実を知ったのは、スーリャが奥宮で襲われた時のこと。
それからナイーシャが、その石がどういう経路でスーリャを襲った男の手に渡ったのか調べていた。
だいぶ前にスーリャはそのことをシリスから聞いていたのだが。
まさかこんな所に繋がっていたとは――。

その存在を忘れていたわけではなかったが、こうもまんまと捕らわれることになるとも思っていなかった。
自分の考えの甘さに舌打ちしたくなったが、スーリャはその思いを飲み込んだ。
反省するのは後でいい。そう心の中で自分に言い聞かせる。
「審判者さまはずいぶんと御慧眼でいらっしゃる。それもまた神から与えられた力か。これから私があなたにおっしゃりたいこともおわかりにはならないか?」
カリアスはその顔に失笑を浮かべていた。けれど、瞳は笑わず、スーリャの一挙手一投足を観察している。
その視線を真っ向から受け止め、スーリャはひどく嫌そうに顔をしかめた。
「あんたはこんな強引な手に出ないだろうと思っていたんだけど……。俺の見込み違いだったみたいだ」
スーリャはカリアスの問いには答えず小さく呟き、ため息をつく。それを聞きとがめたカリアスが、冷めた瞳で彼を見た。
「御期待に沿えず失礼した。だが、先に宣言しておいたはず。私はそれを実行したに過ぎない。返す返すも惜しいのは、あなたが審判者だということだ。そうでなければこんな手間などかけずに始末したものを」

始末、という一言にピクリとスーリャの肩が揺れる。
それに気づいているのか、いないのか。カリアスは言葉を続ける。
「陛下には王として血を残す義務がある。だが、あの方はここにきてそれを完全に放棄しようとしている。こんな時だからこそ、よりいっそう重要なことだというのに。それでは困る。だが、別の者をあてがおうにも、あなたが傍にいる限り陛下は頷かない。あの方はそういう方だからな。国のためには審判者であるあなたを殺すわけにもいかない。まったく忌々しい存在だ」
内容のわりに淡々と発せられる言葉からは、カリアスの感情を正確に読み取ることができない。スーリャを見る瞳も冷たいまま、それ以上のものをうかがわせようとはしなかった。
だから、スーリャは自分の生死の話をされていると言うのに現実味をあまり感じず、そんな自分を少し不思議に思った。
自分に死が迫っている、という感覚は彼の中には微塵もない。たとえここまで予期せずにさらわれてきたのだとしても。

「俺をシリスから離して、自然に死ぬまで閉じ込めでもするわけ?」
それは自分でも想像以上に淡々とした声だったと思う。
カリアスの言い分に対する憤りはない。偶然会ったあの夜の、あの言葉を聞いた時からなんとなく予想はついていた。
ただ、こうも強固な手段に出るとは思っていなかっただけで、いつかはスーリャに面と向かってそう告げる人間が出てくるだろうと。
それが今、この時。
相手がカリアスだっただけで。
「そうだと言ったら?」
「別に。ああ、そうかって思うだけかな」

スーリャのあっさりとした答えに、カリアスが一瞬驚いたように目を見張った。けれど、それもすぐに表面からは消え、いぶかしげな表情になる。
「何? 俺がそう答えるのは意外?」
スーリャが自嘲する。
「俺だってわかってるよ。男の俺では役不足だってことくらい。だけど、そんな簡単に諦められるような気持ちなら、あの時シリスの手を取ったりしなかった」
突き返したはずの手を再び差し出され、スーリャは拒むことができなかった。
その時からわかっていた。どんなことがあろうと、もう一度離すことなどできないと――。
「……自分の立場がわかっていないらしい。あなたに選択権はない。それに何もわかっていない。あなたが審判者であるならば、そう主張する前に己の役目を果たしていただきたい」
「果たすさ。それが俺がこの世界に来た理由だ。だけど、あんたに捕らわれるつもりはない」

ここまで必要最低限の抵抗しかせずにスーリャがおとなしくしていたのは、背後にカリアスがいるかもしれないと予想していたからに過ぎない。それを確かめるために、彼が現れるのを待っていた。
彼との話が決裂に終わった今、これ以上この場に留まる理由などなかった。
「私があなたを逃がすとお思いか?」
「思わない。だから、強行突破する」
不敵にスーリャは笑った。
「あなたの不可思議な力は封じている。この部屋はそのためのものだ。それでも逃げられると?」
部屋の至る所に、スーリャの右手首にある石と同じ物が設置されていた。
それでも。
「逃げてやるさ。俺のいるべき場所はここじゃない!」
言葉と共にスーリャは素早く身をひるがえした。

目指すは窓。
カリアスの立っている位置とは反対にあるその窓は強固に閉まり、見張りの人間が立っていたが、そんなこと気にしなかった。
とにかくこの場から去る必要がある。
「ガーラ」
室内に見える気の塊が極端に少ないことはわかっていたが、自分の力が封じられていようとスーリャはそれらに働きかけるように呟いた。
本来ならその一言で強風が吹き荒ぶ所だが、今はそよとも吹かない。けれど、スーリャは諦めなかった。
「ガーラ!」
再度、破壊的な風を生む単語を唱える。
はっきりとした声に、強い願いを込め。

一瞬、スーリャの身体が乳白色の光を放つ。部屋のそこかしこから、小さな亀裂の入る音がした。
そして、次の瞬間。
スーリャの力を押えていた石達は粉々に砕け散った。それを見咎める間もなく、室内に暴風が吹き荒れる。
男達が風から身を守るようにスーリャから注意をそらした瞬間を、彼は見逃さなかった。自分で生み出した風は、彼の行動の妨げにならない。
「リゼル」
窓まで走る間にスーリャは新たな単語を唱え、そのまま外へと駆け抜ける。その部分の窓ガラスは小さな透明な粒へと変化し、パラパラと床に転がっていた。
こうも簡単に逃げられるとは予想していなかったカリアスは、いくぶん慌てた様子で逃げるスーリャの後を追って捕まえるよう男達に命令した。
その声を尻目にスーリャは速度を落とすことなく走り続けた。

こうして初めこそ上手くいった逃走劇だったが、それほど長くは続かなかった。
人数しかり、リーチの差しかり、体力の差しかり。すべてがスーリャには圧倒的に不利だった。
こうして抵抗も空しく、スーリャはまた男達に囲まれる。
ただし、それがある一定の距離で保たれているのは、スーリャの攻撃を警戒してのことだろう。スーリャは男達の包囲網に穴はないかと必死で探した。隙があればそこから突破する気だったが、スーリャに見つけることはできなかった。
それでも逃げることは諦めず、少しでも男達が近づくようなら、ためらうことなく攻撃する態勢を取る。

そこにゆっくりとした足取りでカリアスが現れた。
「あなたは何もわかっていない」
カリアスは先程と同じ言葉を繰り返した。周囲への警戒を解かないまま、スーリャがいぶかしげな顔でカリアスを見る。
「何がわかってないんだよ?」
「残された時間はあまりにも少ない。先程の言葉が本心からの言葉だというのなら、己が役目をさっさと果たしていただきたい。でなければ、あなたのいるべき場所などどこにもない。ジーン王国の、否、カイナのどこにも」
どこまでも抑揚に欠けた声。
「……どういう意味?」
ざわめく胸中を必死で押さえ、スーリャは訊き返した。

聞きたくない。でも、聞かなければ絶対に後悔する。
予感のようなものが、スーリャを不安にした。そして、それは的中する。
「禍を避ける方法は一つではないというだけのこと。ジーン王国として成り立たなくなるかもしれないが、滅びは逃れられる。この大地が草木一本残らぬ荒地になることだけは避けられるだろう、王がその命を捧げれば」
一瞬、何を言われたのかスーリャは理解できなかった。
「……どういう、こと?」
掠れた声が口から零れた。

「そのままの意味だ。陛下は手遅れになる前に、己が命を捨てる覚悟でいる。要するに『生贄』だ」



それは少し前のこと。
「スーリャ、時間はもうあまりありません」
リマが唐突に言った。
「わかってる」
表情を曇らせ返事をしたスーリャに、リマはほんの一瞬だけ顔を歪め、悲しそうな顔を見せた。けれど、それにスーリャは気づかなかった。
「あなたは大切なものを間違えないでくださいね。どんな状況になろうと、一番大事なものを選び取ってください」
それだけを言って去っていくリマを、呆気に取られたスーリャはそのまま見送ってしまった。
今の言葉が示す意味は何?
わけがわからず、スーリャは首を傾げた。



そう。あの時はわからなかった。けれど、今ならあの言葉の意味がわかる。
リマは初めから知っていたのだ。もしもこのまま禍が国を蝕み滅びへ導くというのなら、少しでも抑えられるようにシリスは王として死を選ぶと。
だから、ああ言ったのだ。
己の生よりも国を取ったシリスに。
スーリャは何よりもシリスを取れと。

色々な思いがスーリャの中を渦巻いていた。そして、最終的に残ったのは激しい怒りだった。死を選び取ろうとするシリスへの怒りはもちろん、いまだどうにもできない自分への怒り。
ただ一緒に居たいだけなのに、それが認められない現状にも。
この目の前にいる男にも。自分の置かれた立場にも。
何もかもに腹が立った。

今すぐシリスに詰め寄り、その口から真実を聞き出したい。
事実なら拳の一発や二発、くらわしても許されるはずだ。
それもここではできない。

そもそも禍なんてものがあるからいけないのだ。
そんなものがなければ、こんな思いしなくて済んだのに……。

どうして?
どうして !!

目の前が白く霞んでいく。
そして、スーリャの意識が一つの言葉に囚われた。

いらない。
消えてしまえばいい。
―― 何もかも。

鮮烈な白光がスーリャの視界を埋め尽くす。
それは彼の心の叫びのように、すべてに牙をむく破壊の光。
けれど――。

「スーリャ!」

悲鳴にも似た、悲痛な叫びがそれらを一瞬で引き裂いた。





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2007/01/05
修正 2012/02/05



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