天の審判者 <42>



シリスはスーリャを抱き締めたまま唸る。
「おあつらえ向きのベッドの上なんだがな……」
呟く声はひどく残念そうだが、スーリャは取り合わなかった。
「これ以上何かしてみろ。もう一度殴ってやる」
窓からは朝の健康そうな光が差し込んでいる。
「それはごめんだ」
バッとわざとらしく身を離したシリスをスーリャが睨みつけ、
「あんたのは自業自得」
同情の余地無しとすっぱり切り捨てたのだった。



互いの想いを確かめあい、結ばれた二人にいったい何があったのか。
それは少し前に遡る。

歯止めのきかなくなったシリスが朝っぱらからコトに及ぼうとし、その現場をいつものごとくスーリャを起こしに来たラシャに見られ―― 扉の所で立ち止まった彼女と目が合ってしまったスーリャは、一瞬で我に返り、真っ赤になって反射的にシリスを殴り倒したのだった。
ラシャは何事もなかったかのように、いつものように笑みを浮かべて静かに立ち去っていったのだが、スーリャの心中は荒れに荒れていた。
恥ずかしくて仕方ない。これからラシャにどんな顔をして会えというのか。
グルグルと思考は堂々巡りしていた。



「スーリャ、本当に俺の傍にいてくれるか?」
一人考え込んでいるスーリャに、シリスが真剣な表情で問い掛けた。
「……なんでそんなこと、訊き直すんだよ?」
「いずれ誰かにその地位を渡すとしても、今の俺は王だからな。俺の傍にいることで、おまえはいらぬ傷を負うかもしれない。できる限り守る。それでも防げないかもしれない。自分でそのことを望みながら、俺はスーリャが傷つき、俺から離れていくことが恐いんだ」
シリスの言いたいことはわかる。
それはスーリャの悩んだことでもあり、諦める決心をした要因でもあるのだ。

王であるシリスの傍に、そういう意味で男であるスーリャがいることは好ましくない。後継者でもいればまだよかったのだろうが、いない今、それは王家の、しいては国家の存続に大きく関わる。シリスの立場では、彼個人の恋愛話で収まらないのだ。
スーリャとシリスの関係を心から祝福してくれる人間など、そうはいないだろう。その反対に二人を引き離そうとやっきになる人間は山といるはずだ。
その矛先の多くはスーリャに向かうそれでも……。

「たとえ傷を負ったとしても、それは自分で決めたことだ。後悔なんてしない」
スーリャはまっすぐにシリスの瞳を見つめ返した。
未来のことはわからない。けれど、これが今のスーリャの出した答えだった。
「ありがとう」
二人は互いを見て笑い合う。そうして穏やかな空気が流れたのだが――。

「どうしようかずっと迷っていたんだが、決めた。明日の午前にある会議にスーリャも出てくれ」
なんの脈絡もないシリスの言葉に、スーリャが呆けた。
「は?」
思わずといった感じで声が上がる。
「あの蝶に関わることだ。おまえにも関係がある」
真剣な表情をするシリスに、スーリャもまた表情を引き締めた。

「そこまで進行してるの?」
状況を聞くスーリャにシリスは頷く。
「かんばしくないな。場所によっては雨が降らず、土地は痩せ、豊かだった森は急速に枯れ始めている。今年の作物の出来は、近年稀にみるほど最悪だろう。蓄えはあるが、このまま進行すればどれほど保つか」
唸るシリスに、スーリャもまた眉間に皺を寄せる。
気の流れが断たれるとはそういうことだと、知っていたはずなのに。
それが現れ始めていると示されれば、自分の不甲斐なさにいたたまれなくなる。
これがもっと進行すれば、今度は人に影響が出てくる。原因不明の病が流行ることになるのだ。そこまで進行してしまえば、あとは時間の問題。
そうなる前になんとしてでも根本を消す必要があった。

「わかった。でも、俺が出て大丈夫?」
理由を知っている人間ならスーリャがその場にいて当然だと思うだろうが、そうじゃない人間ならいぶかしく思うはずだ。
「鍵を握るのは他の誰でもない、スーリャだ。情けない話だが、俺にはどうにもできない。スーリャは審判者であると同時に、ルー・ディナの愛し子。右手首にある証が、その身を保障してくれるはずだ。我が国にとって古代神の中でもルー・ディナは別格だからな」

ルー・ディナの実体など誰も知らない。実際はどうであれ、ジーン王国では古代神の中でもとりわけルー・ディナとメイ・ディクスは、特別な対の神としてあがめられていた。
だからこそ、彼の神の愛し子であるスーリャもまた、特別な存在だった。

「ただスーリャを表に出せば、今よりも危険は増すことになる。審判者だと感づく者がいるかもしれない。今までできるだけのことはした。だが、それでも不穏分子はまだ残っている」
なかなか尻尾をつかませない、グレーゾーンにいる人物の顔がシリスの頭に思い浮かぶ。
彼の発言も行動もすべて国家のため。
けれど、それはシリスの考えとは沿わないものだった。
すべてを否定はできない。参考になる部分もある。だからこそ、おいそれと簡単に中央から排除することもできない。
彼の考えもまた、一つの方法ではあるのだ。

気がかりではあったが、もう時間がなかった。これ以上の進行はこれからの国の存続に関わる。迷っている時間もない。シリスは王として最善の手を打つ必要があった。
「シリスは王の役目を、俺は俺の役目を果たすだけだ。気にしなくていい」
潔い、覚悟を決めた笑みを見せるスーリャに、シリスは顔を歪める。
「『君の幸せこそ僕の願い。だから、すべて押し込めないで、我が侭になっていいんだよ』 ルー・ディナからの伝言だ。俺も同じだ。おまえはもう少し我が侭になった方がいい。そのやさしさがいつか仇にならないように」
「俺はやさしくなんてない。それに十分我が侭だ」
首を振るスーリャの頭を、シリスが撫でる。
「自覚がないのも問題だな。だが、そこがスーリャの良い所でもあるか」
そう呟く声は苦笑交じりだった。

スーリャはシリスの顔を見上げ、小首を傾げる
「あんた、ルー・ディナに会ったの?」
自分はあれ以降、一度も会っていないのになぜシリスの所に現れたのか。
スーリャにはその意図がさっぱりわからない。
「ああ。夢でな。せっつかれ、いや、あれは脅されたのか」
「脅されたって……」
スーリャは絶句した。

「大丈夫だ」
「……いったい何を話したんだよ」
何事もなく飄々としているシリスを、スーリャは胡乱に見つめる。
「まあ、色々とな。ルー・ディナはスーリャが心配だったんだ。なぜ泣かせたって、怒っていたからな」
「泣いてない!」
間髪入れずに反論したスーリャに、シリスが苦笑する。
「わかっている」
スーリャの頬に手を伸ばし、シリスはそっと撫でた。

「言葉が足りなかったばかりに、スーリャをずいぶん傷つけてしまったな」
シリスの顔に浮かぶのは、悔恨の念。
「それはお互いさまだろ。俺も言葉が足りなかった」
自分もまた、シリスを傷つけた。
スーリャは悔やむ思いを吹き飛ばすように、その顔に笑みを浮かべる。
「そうだな。互いに言葉が足りないばかりに、すれ違った。スーリャ、これから遠慮はなしだ。言いたいことがあるならはっきり言え。こんなすれ違いはもうしたくない」
「そういうあんたも曖昧に誤魔化すなよ。俺に言えないことがあるのは仕方ないけど、それならそうとはっきり言ってくれればいい。誤魔化されるのは結構傷つくんだ」
「そうだな。悪かった」

神妙な顔をして謝罪したシリスに、スーリャはクスリと笑い、手を差し出す。
「これからもよろしく」
シリスは差し出された手を握り返し、
「こちらこそ」
そのままスーリャを自分の方へと引き寄せ、抱き締めた。

「もう放さない。どこにも行かせない」

たとえ帰るべき場所があったとしても――。
想いの激しさを物語るようにきつく自分を閉じ込める腕に、スーリャの心が幸福感に満たされる。

「どこにも行かない。シリスの傍にいる」

シリスの背に手を伸ばし、スーリャは抱き締め返したのだった。





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2006/10/01
修正 2012/02/04



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