天の審判者 <41> |
訪れた、というか忍び込んだスーリャの部屋はしんと静まり返り、部屋の主は案の定、ベッドの上でまだ眠っていた。けれど、その顔に安らぎはない。 眠っている顔ですらどことなく悲しげな様子を見せているスーリャに、シリスはここ最近の自分の行動を後悔した。彼の頬に手を伸ばし、そっと撫で、 「……悪かった」 小さく謝罪する。 その声に反応したのか。それともシリスの気配に気づいたのか。 スーリャは小さく身動ぎ、ゆっくりと目が開かれた。ぼんやりとした蒼い瞳と真摯な思いをたたえた金色の瞳が交差する。 シリスがいることを認識した、蒼い瞳がゆっくり驚愕に見開かれていった。 「……なんであんたがここにいる?」 寝起きの少し掠れた声でいぶかしげに問うスーリャに、シリスは苦笑した。 ひさしぶりの再会だというのに、なんともつれない言葉だ。 「スーリャ、俺があの時言った言葉を覚えているか?」 「あの時……?」 スーリャは眉間に皺を寄せて呟く。 「『俺はシリスとして、スーリャを望んだ。王ではない、唯の一人の男としておまえの存在を欲した。だから、王という肩書きを抜きにして考えてくれ』 そう言ったのを覚えているか?」 その言葉にぼんやりしていたスーリャの頭がはっきりと覚醒する。 「そんなことも聞いたかも。でも、もうその話は終わったことだ。俺は返事をした」 スーリャの表情がかき消えた。静かな、なんの波紋も見せない湖面を思わせる瞳に、シリスは胸が痛くなる。 こんな表情をさせたいわけじゃない。 「俺はスーリャ以外いらない。おまえがいればそれでいい。愛しているんだ。傍にいてくれ」 口から出る言葉はひどくつたなく、もどかしい。 自分の心をそのまま見せることができたなら、どれほどいいだろう。この狂おしいこの気持ちを。 スーリャの瞳がほんの少し揺らいだ。だが、その揺らぎもすぐに隠されてしまう。 「俺の答えは決まっている。あんたの想いには答えられない」 「それは王としての俺にか? もし俺が王でなければ、スーリャはどうした?」 「もしもの答えなんて無意味だ。あんたは王さまなんだから……」 スーリャの言葉には感情がこもらない。その奥にどんな想いが隠されていようと、淡々とした声からはそれらを感じ取ることができない。 どうすれば彼の壁を突き崩すことができるだろう。その瞳の奥に隠された感情を引き出すことができるだろう。 「本当に王位なんて邪魔なだけだな。欲しい奴がいるなら、そいつにくれてやろうか。そうすれば柵から解放される」 それは紛れもなくシリスの本心。 いらないものばかり押し付けられ、欲しいものはそれによって阻害される。王位を手放すことにシリスはなんの未練もない。 ただ――。 民の平穏な生活さえ守られるなら。 それが王としてのシリスの望みなのだ。 「なんでそんなこと言うんだよ! あんたが王さまだろ?」 スーリャが叫んだ。その顔が悲しげに歪んでいる。 シリスは内心笑み、それを悟られないように言葉を続けた。 「そう言いたくもなるさ。王なんて肩書きのせいでいらないものは押し付けられ、本気で望んだものは手に入らない。俺は王である前に、シリスという一人の人間だ。普通の人間でしかない」 「それでも王である以上、それに対する義務があるだろ?」 「義務はあるさ。だが、俺は人間であって、人形じゃない。感情があるんだ。どうしても割り切れないことがある。スーリャ以外いらない。俺は一生この想いを抱えて生きていくだろう」 何度も繰り返される言葉。それに込められた想いが、スーリャの頑なな壁を少しずつ崩していった。 「あんた、やっぱ王さまに見えないよ」 弱々しい呟きに、シリスは清々しく笑う。 「俺は向いてないんだろう。ジーン王国という名前が無くなっても、人々の生活まで無くなるわけじゃない。王がいなくなっても、新たな誰かが立つだけだ」 なんてことはないとでもいうようにしれっと答えたシリスを、スーリャが困ったような顔で見る。 「それにまだ、誰も継ぐ者がいないと完全に決まったわけじゃない。せいぜいリマには頑張ってもらうさ」 その言葉の意味するところを悟って、スーリャの顔が紅くなった。 「スーリャがいればそれでいい。子供なんていらない。だから、傍にいてくれ」 シリスはスーリャをそっと抱きしめ、 「愛している」 耳元で囁いた。スーリャは身動ぎ一つせずに、シリスの腕の中に収まっていた。 静寂がしばし訪れ――。 「……あんた、馬鹿だ」 くぐもった小さな呟きがスーリャの口から零れた。 「それでおまえが傍にいてくれるなら、いくらでも」 「俺と国を賭けるなんて、本当に馬鹿だ」 シリスは静かに涙を流すスーリャの頭をやさしく撫でる。 「そんなもの賭けにもならないさ。どちらかを取れと言われたら、俺はスーリャを取る。初めから告げていたはずだ、おまえ以外いらないと」 これがシリスの出した答え。 今はまだ、王という役目を降りることはできない。それによって生じる義務があることも理解している。けれど、この心はスーリャ以外を選べなかった。 それがシリスの、個人としても、王としても、どうしてもゆずれなかった部分。 彼の我が侭。 「ホント、どうしようもないな」 「返事は?」 「……シリスが好きだよ」 伝えられなかった想い。ずっと苦しくて、辛くて、どうにかなってしまいそうで……それでも言えなかった想い。 「愛してる。だから、傍にいさせて」 ぎゅっとシリスの背中に手を回し、スーリャは抱き締め返した。 憂いも気がかりもなくならない。状況に変わりはない。けれど、この温もりをもう一度手放せるほど、スーリャは強くなかった。 二人は見つめ合い、自然と唇を重ねる。初めはそっと触れるだけだった口付けは、次第に深く重なりあった。 |
************************************************************* 2006/10/01
修正 2012/02/04 |