天の審判者 <40>



シリスはリマに押し切られ、早めに仕事を切り上げさせられた。滅多にないことに普段なら喜ぶのだが、今はそういう心境にはなれなかった。
仕事をしていれば、それだけに集中して他のことを考えないで済む。だが、こうして時間が空けば、どうしてもスーリャのことを考えずにはいられない。

気になるし、会いたい。でも、会いにいけない。

拒絶されたというのに際限なくわき出す想いは、行き場をなくして渦巻いている。
押しつけることだけはしたくない。けれど、スーリャに会ってしまえば自分が彼に何をしてしまうかわからない。

シリスは息を吐き出し、愚かな己を嘲笑った。
これ以上、何も考えたくない。仕事に逃避できないのなら、さっさと寝てしまえばいい。眠気はなくても、ベッドに入れば自然と眠れるだろう。
夢も見ない深い眠りを求め、シリスは寝室へと向かったのだった。



そこは白っぽい空間だった。
上も下も、前も後ろも何もかも。真っ白で、何もない。
なぜ自分はこんな場所に立っているのか。
シリスはいぶかしげな顔をして、何もない空間を見つめた―― はずだった。
一瞬前には何もなかったそこに、今は誰かが立っている。目の錯覚かと瞬きしても、その存在はそこから消えなかった。

「ここは夢の中だとでも思えばいい。王さまにどうしても言いたいことがあったから来てもらったんだ」
そこにいたのは見知らぬ青年だった。とがめるような表情と声の響きに、シリスは眉間に皺を寄せる。
「過干渉は良くないんだけどね。これもあの子の幸せため。だから、少しくらい許されるよね」
ぼそりと呟かれた言葉の意味が理解できない。シリスは目線で問うが、青年に答えるつもりはないようだ。

「どうしてあの子を泣かせたの?」

青年がシリスに問う。たが、シリスには『あの子』が誰を示すのかわからない。
その考えを読み取ったのか、青年が再度問い掛けた。
「今はスーリャと名乗っている僕の愛し子を、どうしてあなたは泣かせたの?」
その言葉にシリスはハッとした。
「月の女神?」
青年にしか見えない彼だが、そういうことなのだ。『僕の愛し子』と彼は確かに言った。スーリャをそう呼ぶ存在は、ルー・ディナしかいないはずだ。
それにシリスは彼の話を覚えている。ルー・ディナが青年の姿をしていたという話を。

ルー・ディナはシリスの問いには答えずに、凪いだ瞳を彼に向ける。
「泣いていたのか……?」
それを真向から見返して、シリスは苦く呟いた。
ここ最近のスーリャの様子を、彼は知らなかった。大事があれば報告するよう手はずは整えているが、日常の細々とした事柄はそれに含まれていない。
「あの子の瞳に涙はないよ。でも、心の中でずっと泣いている。僕に伝わるくらいに。あなたが原因でしょ?」
「……振られたのは俺なんだがな」
シリスはなんとも言えない複雑な表情をした。

「それはたぶんあの子の本意じゃない。それならこれほどの悲しみが僕にまで伝わってくるのはおかしいんだ。だから、僕はあなたに問いたい。どうして繋ぎ止めて置かなかったの?」
スーリャの拒絶を受け入れ、すんなりとシリスが引き下がった理由。それが問いに対する答えだ。
「俺は王だ。なりたくてなったわけでもないが、それでも一度なった以上その役目を果たす義務がある。本当は傍にいて欲しい。だが、傍にいれば確実にスーリャに要らぬ柵を押し付けることになる。スーリャが傷つくことになる。拒絶された以上、それがわかっていてどうして引き止められる?」
シリスが自嘲した。結局、王という役目を自分は捨てきれない。何もかもすべて捨て、彼だけを選ぶことはできないのだ。
「あの子は気にしないかもしれないのに?」
ルー・ディナは痛ましいものでも見るようにシリスを見て、言葉を続けた。
「教えてあげる。あの子が一番気にしていたのはあなたの立場。後継のことだ」

シリスはうめいた。最後に見た、スーリャの凪いだ瞳を思い出す。
あの瞳の奥では、どれほどの想いが隠されていたのだろう。欠片すら見つけられなかった想いは、今も彼の中に存在しているだろうか?。
「王さま自身は気にしないでしょ? あなたが気にしているのは、それによってあの子が背負うことになる周りの諸々の方」
「俺はスーリャ以外いらない。シリスとしてはそれ以外望まない。でも、王である俺にそれは許されない。周りの多くの人間は、それでは納得しない。反発は大きいはずだ。そして、その矛先の多くはスーリャに向かう可能性がある。できるだけ守るが、それでもすべてを防ぐことはたぶんできない。俺の傍にいれば、スーリャは要らぬ傷を負うことになるだろう。それを理解した上で、それでも望んだのは俺の我が侭だ」
だから、拒絶されてもしかたない。そう思っていた。
けれど――。
どんな言葉で取り繕おうと、個人であるシリスと王であるシリスを切り離すことはできない。本人よりもスーリャの方がそのことを理解していたのだ。

「あの子を愛してる?」
「愛しているさ。狂おしいほどに、どうしようもなく」
率直なシリスの答えに、ルー・ディナが微笑んだ。
「性別も立場も世界も関係なく?」
「スーリャだからこそ。他にこだわる必要がどこにある?」
きっぱりと言い切ったシリスに、ルー・ディナは満足そうに頷く。
「そう。ならよかった。あの子に僕からの伝言、伝えてくれる?」
シリスは頷いた。
「君の幸せこそ僕の願い。だから、すべて押し込めないで、もっと我が侭になっていいんだよって」

そこでルー・ディナの浮かべる笑みの質が変わる。
「本音を言うなら、あの子を君に任せるのはすごく嫌なんだけど―― 仕方ないよね。選ぶのはあの子だし、幸せならそれで良い」
顔に笑みを浮かべているに、その瞳はまったく笑っていない。射ぬくようにシリスをまっすぐ見つめてくる。
「だから、これ以上あの子を泣かせるようなことをすればどうなるか―― わかってるよね? あの子を元の世界に戻すことだって僕にはできるんだからね」
フフフッと楽しげな笑い声が、冷気を伴っている気がするのは気のせいか。
否。これは完全に脅しだ。

シリスはそれに真向から立ち向かう。
「そんなことするものか。俺が見たいのはスーリャの満面の笑みだからな。まあ、別の意味で泣かせたくはあるが」
にやりと意味ありげに笑ったシリスに、ルー・ディナがわざとらしくため息をつく。
「本当にあなたには任せたくないよ」
その口から偽りのない本音が零れ出す。
「でも、そんなあなただからこそ、あの子も惹かれたのかもしれないね」
神だと認識しながらも、恐れることもへつらうこともしない。
神と対等に話すシリスを、ルー・ディナは認めた。
ただスーリャの身がだいぶ心配ではあったが……。

「一つ聞きたいことがある。どうしてスーリャだったんだ?」
なんの脈絡もない、唐突な問い掛けだったが、ルー・ディナはその言葉が示すことを正確に読み取り、
「なんでそんなことを聞きたがるの?」
笑みを消して、静かに問い返した。
「俺はスーリャに出会えたことに感謝している。たとえ切っ掛けがなんであったとしても――。だが、スーリャは? スーリャはこの世界に来たことで色々なものを失ったはずだ。そして、人一人が背負うには重すぎるものまで抱えることになった。元はなんの関係もなかったはずなのに、だ。どうしてスーリャでなければいけなかったんだ?」

「……あの子しか適任者がいなかった。僕はあの子のやさしさにつけ込んだ。あの子はそうだとはまったく思ってないけどね。本当に良い子なんだ。だから、幸せになって欲しい」
ルー・ディナが浮かべた笑みはひどく悲しげに見え、シリスは沈黙した。
「ああ、もう時間だ。あと一つだけ。たぶんあなたにとっては良いことを教えてあげる。もし、もしもだよ。あの子があなたの子を産んでも良いと本気で望むなら、あの子は性を変えることができる。それが可能なんだ。僕がその変化を手伝う。でも、そのことはまだ内緒だよ。あの子はまだ知るべき時じゃないから」
かすんでいく視界と意識の中で、シリスはその言葉を聞いた。



気がつけばシリスは自室のベッドの上で横になっていた。
「夢か……」
ゆっくりと上半身を起こし、鬱陶しげに邪魔な髪を払いのける。
息を吐き出し……。
違うな。
すぐにその言葉を否定した。
夢には違いない。けれど、あれは単なる夢ではない。
自分はなんらかの方法であの空間に呼ばれ、ルー・ディナに会ったのだ。けれど、神であるルー・ディナに会ったことよりも、話した内容の方がシリスには何倍も重要だった。

外はうっすらと明るくなってい る。もうじき日も昇るだろう。
手早く身支度を整え、シリスはスーリャの元に向かった。その頭には彼がまだ眠っているという考えはなくて、一刻も早く彼に会い、話がしたいという思いしかなかった。





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2006/09/27
修正 2012/02/04



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