天の審判者 <4>



「あのさ。質問、いい?」
とりあえず話に区切りがついたようなので、遠慮がちにスーリャは口を挟んだ。
シリスが視線だけで、言葉の続きを促す。

「さっきも聞いたんだけど、審判者って俺のこと、だよね。それって何か重要なことなの?」

「あぁ、まあ、その……重要っていうか。ある意味、重大事だよ、な?」
シリスは返答に困り、リマに話を振った。
「ええ、そうですね。スーリャは『天の審判者』がどういう者かまったく知りませんか? 聞いたこともないですか?」
「全然。―― それってかなり有名人なの? 俺がそれ?」
「この世界の人間なら、大人から子供まで誰でも知っているくらい有名ですね」
リマの渋い顔に、スーリャの顔も渋くなる。
「あなたは異世界から来た方ですから知らなくても当たり前でしょうが。とりあえずあなたが『天の審判者』であることには変わりありません。審判者とは異世界から現れた者のこと。そして、その者が現れた国はその時期に必ず転機を迎えます」

リマが深く息を吐いた。
これ以上言っていいのか迷い、シリスを見る。
何も知らない目の前のまだ幼い少年に。
知らない場所、知らない人間の中に放り出され、自分の記憶さえ思い出せないような状態の、たぶんまだ混乱している少年に、より残酷な現実を今突きつけて良いものか。
口を閉ざしたリマの代わりに、シリスが言葉を繋ぐ。

「その転機の鍵を握るのが『天の審判者』。スーリャ、おまえだ」

シリスもリマと同じく迷った。悩んだ末に、今は曖昧な言葉で済ませしまった。
スーリャの少し強張った顔を見るに、それでよかったのだと思う。でも。今日は無理でも、早めに本当の事を話さなければならない。そのことを現実として受け入れてもらわなくては……。
それを思うとシリスはとても憂鬱になった。
背に腹は変えられないとはいえ。

「……俺、そんな大層な人間じゃないと思う。何かの間違いじゃ――」
ふたりの真剣な表情は、嘘や冗談を言っているようなものではなかった。
けれど、スーリャはそう言わずにはいられなかった。
「間違いだったら、それはそれでよかったんだけどな……」
否定するスーリャの言葉を、吐息交じりのシリスの声が遮った。
憂いを含んだ眼差しで見つめられ、スーリャは言葉を無くし、見つめ返す。
「スーリャは空から降ってきた。そんな芸当が出来て、生きている人間は審判者くらいだ」
静かな、諭すような声が、惑い波打つスーリャの心を撫でていく。

「俺が空から降ってきた?」
自分の中にある一般常識と照らし合わせても、普通の人間は空から降ってきたりしない。
「そう。空から降ってきて、俺が見つけた時には月沙湖の水面すれすれで浮いていた」
「浮いてたって。俺、溺れた気がするんだけど……」
スーリャが小さく反論する。
浮くなんて、どう考えても人間業ではない。自分が覚えているのは水の冷たさで、そんなことをした覚えはまったくない。
けれど、シリスがそんな突拍子もない嘘をつくとも思えない。
訳がわからずスーリャの眉間に皺が寄った。

その時のことを思い出し、シリスが憂いを消して苦笑した。
「あの時は驚いた。浮いていたかと思えば、いきなり湖に落ちて、そのまま上がってこない。まさか溺れているとは予想もしてなかったからな。慌てて湖に飛び込んで、スーリャを引きずり上げた」
シリスの瞳はまっすぐにスーリャを見ている。
スーリャはそれから逃れるように俯いた。
「俺は普通の人間だ。今、浮けって言われてもそんなこと出来ないし、そんな方法も知らない。たぶんあんた達となんら変わりないただの人間だ。審判者なんて言われても困る」
小さな声で否定の言葉を吐いた。

最後の足掻きだとでもいうように、力なく首を振る。
「確かにいきなりそんなことを言われても困るよな。でも、スーリャが審判者であることは違えようがない」
シリスが手を伸ばし、宥めるようにスーリャの頭を撫でた。
「とは言っても、俺は審判者と会ったことがないから、実際、審判者とはどういう者か知らない。どこまで信憑性がある話か、わからないからな。スーリャが普通の人間って言うならそうなんだろうよ」
顔を上げたスーリャに、シリスは微笑みかけた。
予想外の肯定の言葉に、スーリャはマジマジと彼を見る。
シリスの手はいまだにスーリャの頭の上にあり、ゆっくりと髪を梳いていた。触り心地良い柔らかい髪は短く、少し物足りないと場違いなことをぼんやり思う。

「今日はここまでにするか。後の話は明日にしよう」
「明日?」
スーリャの訝しげな声と顔がなぜ? と言っていた。
ポンポンと頭を撫で、苦笑しながらシリスが手を離す。
「おまえ、自分の顔色わかってないだろ。まるで病人のように青白い。溺れたこともあるし、環境が急激に変わって、身体も心もついていってない。今日はここでゆっくり休めばいい」
なんとなくスーリャは手で自分の頬に触れる。ひんやりした感触は指摘されたように血の気が引けているのかもしれないと思った。
「今の状態で話を続けたとしても、これ以上は頭に入らないだろ。大事な話だから、しっかり理解して欲しい。何度も話すのは面倒だしな」
最後の一言が本音だなと思い、スーリャは胡乱にシリスを見た。
それに気づいているだろうに、シリスは素知らぬ顔でリマの方を向く。

「顔を貸せ」
簡潔に言って椅子から立ち上がり、リマの返答を待つことなく、シリスは扉から寝室の外へと出ていった。それに慣れた様子でリマは肩を竦め嘆息し、スーリャを見て安心させるように微笑む。
「では、私はこれで失礼しますね。今日はこちらでゆっくり休んでください」
軽くスーリャの頭をひと撫でして、リマも姿を消す。
「……子供扱いするな」
スーリャの小さな憮然とした呟きは出ていった二人に聞こえるわはずもなく、静かな室内に消えた。





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2006/06/12
修正 2012/01/16



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