天の審判者 <37>



翌日の午後の自由時間に、スーリャはシリスの執務室を訪れた。普段なら仕事の邪魔になるこの時間に彼を訪ねることはしないのだが、今日は昨夜の様子がおかしかったこともあってどうにも気になったのだ。
少し様子を見るくらいならと思い、室内をうかがうと―― そこには微妙な空気が流れていた。

執務机を前にして座るシリスは、スーリャが来たことにも気づかずに何事か考え込んでいる。その様から真面目に仕事をしているようにも見えるのだが、机の上にのっているはずの書類は一つもない。
シリスはらしくなく頬杖をついて、う〜んと唸っていた。
相対するリマの表情も冴えない。どこか曇って見えるその顔は、一児の父になったばかりの人間がする表情ではなかった。

「……どうかしたの?」

心配になってそう声をかけ、首を傾げたスーリャに、二人はハッとしたように表情を取り繕った。そのあからさまな態度に、彼の眉間に皺が寄る。
「なんでもない! それよりどうした?」
とてもなんでもないと言えるような表情をしているようにはみえなかったが、シリスはその内容を語るつもりはないようだ。
誤魔化し笑いを浮かべた彼を、スーリャはムッとして見返し、
「別に。ただ昨夜のあんたの様子が少しおかしかったから気になっただけ。俺が聞いて良い話でもなさそうだし、別にいいよ。リマ、子供が生まれたって。おめでとう。今度、会わせてね」
それだけを言って、さっさとシリスの執務室から退出した。

引き止めることもできずにその後姿を見送ったシリスは、扉が重々しい音を立てて閉まった後、深々とため息をついた。
「シリス。言い方が悪いですよ」
リマに同情するような眼差しを向けられ、シリスは頭を抱える。指摘されるまでもなく、自分でもそれは十分わかっていた。
けれど……。
「どう言えって? 本当のことなんて言えるわけがない」
それは途方に暮れた、小さな呟きだった。
近い内に話す必要がある。できれば、人伝ではなく自分で話したい。
でも、今はまだ、こちらも心の準備ができていない。
シリスの心情が手に取るようにわかるから、リマは何も言えなかった。

二人が深刻な顔をしている理由。それは昨夜生まれたリマの子供、次期王位継承者になるかもしれなかった子供のことだった。
母子共に、無事に出産。
その報告はとても喜ばしいことだったが、問題は子の性別。
生まれた子供は女児だった。

ジーン王国には、女が王位に就けないという決まりはない。
過去、非常に少ないが、女王が立った時もあった。
幸い、生まれた子供には力がある。
条件は満たされていた。

これらを鑑みると、一見なんの問題もないように思えるのだが、ここに一つの問題がある。彼女はリマの子、ナイーシャの孫だった。
守護師と呼ばれる、ナイーシャの。
その位は王位と同じく、血によって受け継がれるもの。
直系の、しかも女だけに。

王と守護師、両方の位を受け継ぐことはできない。
二つの役割は別々にあるべきもの。
そして、子供が女児ならば、それはナイーシャの後継ということだ。
王位継承権を持とうと、彼女が王位に就く可能性はゼロだった。

結局、王位継承問題は振り出しに戻り、じきにシリスの結婚話が重役達の間で再燃するだろう。それに対して、スーリャの取る反応は?
彼はシリスに一度、結婚を勧めた前例がある。今度も同じ反応をされたら――。
シリスの口から零れたのは、深いため息だった。

「シリス」
気遣わしげなリマの声に、シリスは顔を上げた。
「悪い。気にするな。無事元気に生まれてきた赤子に罪はない。直系を継ぐ者はもういないだろうと言われていた守護師に後継ができたんだ。喜ばしいことだろ?」
それがシリスの本心だとわかっている。
だからこそ、彼の心中を思うとリマは心配だった。
「俺のことより、自分の子供のことを心配しろ。王にならなくとも、いずれ守護師の位を継ぐことになるあの子に普通の平穏な生活は望めない。それでもたくさんの愛情を注ぐことはできるだろ?」
ナイーシャがそうしたように。
憂いを消して笑んだシリスに、リマも笑い返した。

生まれて間もなく母を、数年後には父も亡くしたシリス。彼を母親として育て上げたのは、ナイーシャだ。リマは立場上は叔父だが、シリスと兄弟のように育った。
彼女は二人を平等に扱い、惜しみない愛情を与えた。
時に厳しく接したとしても、それは二人を思ってのこと。
シリスは王になる立場から、そして、彼の持つ色彩から。リマは数少ない王族でありながら王位継承権を持たないという立場から、そして、ナイーシャの子なのに男という事実から。二人とも平穏とはあまり言えない日々を送ってきた。
それでもナイーシャだけは変わらない。彼女は母としてあるがままを受け止め、間違えば正した。それを当たり前として行った。
多くの人間が二人を腫れ物のように扱う中で――。
「……そうですね」
色々な思いを込めて、リマは呟いたのだった。



扉の前で待っていたキリアは、予想以上に早く執務室から飛び出してきたスーリャの後を追った。普段とは比べ物にならないほど荒々しい仕草と早足に、彼が不機嫌だということはわかったが。
いったい王は何をやったんだ?
事情がさっぱりわからないキリアは疑問符を頭に浮かべ、スーリャがどこに向かっているかを思案した。どうやら王宮にある中庭の一つ。奥まった場所にある、あまり人の訪れることのない夜光草の庭に行くつもりらしい。

夜に訪れれば幻想的だと言われる庭も、昼間は素っ気ない。夜光草はある一定の時期の、夜にしか花をつけないと言われている。だから、他の庭とは違い、昼間のこの庭に花らしい花はほぼ皆無だった。
見る物のない庭を訪れる人はあまりいない。そして、それに拍車が掛かる要因は、場所にもあった。庭は王宮の奥にあり、人の出入りが制限される区画内にあったのだ。
今の時期は一年の中で唯一、昼間にこの庭で花が見られる時期。庭の中央では一本の木が見ごろを迎えていた。
朝、白い小さな花が咲き、夜を待たずにすべて散る。ハラリハラリと風に舞う、小さな花びらは粉雪のようだった。
その木の下が、最近のスーリャのお気に入りだ。他人が来ず、静かで落ち着いた雰囲気のある、そこそこの自然に囲まれた場所。
スーリャは根本に腰を下ろし、背を木の幹にあずけて息を吐き出す。

「何があった?」
スーリャの横に腰掛け、同じく木に背をあずけながらキリアは訊ねた。
その際、周囲への警戒はおこたらない。人目の無いこういう場所ほど何か起こる可能性が高く、助けが入りにくい。
避けられる危険は早めに対処するに限るのだ。
「何も」
スーリャは誰かが近くに来たらわかるように、自分を中心とした一定間に術を展開する。どこかふてくされたような顔をしている彼に、キリアがため息をつく。

「何もって顔じゃないだろ。昨日、俺が言ったこと、実行したか?」
「うッ」
あからさまに動揺し、言葉を詰まらせたスーリャのわかりやすい反応にキリアが苦笑する。
「訊かなかったのか。それで機嫌が悪いんだな」
「違う!」
「じゃあ訊いたのか?」
わざと胡乱な目で見れば、
「……訊いてない」
スーリャは小さく呟くように言って、膝を抱えて俯いた。

「訊こうとはしたんだ。でも、タイミングが悪くて訊けなかった」
言い訳するようにぼそぼそと話すスーリャの言葉に、キリアは首を傾げた。
「何かあったのか?」
「リマの子供が生まれたって連絡が来たんだ。その後すぐにシリスは出掛けたから」
ハラリハラリと白い花びらが二人の上に降り注ぐ。スーリャの黒い髪に絡むそれを払ってやりながらキリアは思った。
なんともタイミングが悪い。否、良いと言うべきか。
「その時シリスの様子が変だったから、気になって見に行ったんだ。案の定、シリスもリマも変だった。なのに訊いたら、なんでもないって。俺に何か隠すみたいに笑ってさ」

言い方がまずいだろ、それは。

思わずキリアは心の中で突っ込みを入れた。
いくら隠しておきたいことがあろうと、心配している人間にそんな言葉で拒絶されてしまったら良い気はしない。 ましてや、スーリャはシリスに好意を持っているのだから尚更だ。いまだ無自覚であろうとも。

「別に話せってわけじゃない。俺に話せないことなんてたくさんあると思う。それは仕方のないことだ。誰だって隠し事の一つや二つ、あるだろ? ましてや、シリスは王さまなんだからさ。でも、あの言葉と態度はなんだよ。誤魔化さなくたって、聞いてまずいことならそう言ってくれればそれ以上聞かない。俺はシリスが思ってるほど、子供じゃない!」
自分の中のわだかまりを吐き出すように、スーリャはまくし立てた。抱えた膝をいっそう引き寄せ、小さく身を縮める。
「成人の儀なんてして、とりあえず大人の仲間入りしたはずなのにさ。シリスは俺をいつも子供扱いする。俺はシリスと対等になりたい。そう扱って欲しいのに。だって……」
ぽつりぽつりと語る声は徐々に小さくなり、スーリャは言葉を詰まらせた。

自分はこの後、何を言いかけた?
シリスが好きだから……。

必要とされたい。
傍にいたい。
愛されたい。

溢れ出した想いに、スーリャは泣き笑いのような表情になった。ずっと心の奥底でくすぶっていたモヤモヤの答えがやっと見つかった。否。本当はとうの昔に出ていたのだ。ただそれを認めることができなかっただけで。

恋愛対象として、シリスが好き。

それは、とても単純な答え。

彼と会えない日々は淋しかった。
彼と過ごせる時間がうれしかった。
与えられる温もりに安心した。
穏やかな金色の瞳に見つめられると、戸惑いはしても心は温かかった。

これらすべての想いは、一つの気持ちによるもの。だから、さっきのシリスの態度にひどく腹が立ち、それと同じぐらい悲しかったのだ。
キリアは無言でスーリャの頭を撫でる。
頭上で咲く小さな白い花びらが、変わることなくハラリハラリと風に揺られ、二人の上にいくつも降りていった。





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37話の補足を入れますと、王の家系はあまり女が生まれず、その逆に守護師の家系はあまり男が生まれません。なので、リマの立場も微妙、と……。
2006/09/17
修正 2012/02/03



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