天の審判者 <36>



その夜。
いつものようにスーリャはシリスと夕食を共にした。彼が奥宮を出て以来、二人が会う時間は自然とその時間になっていた。スーリャの行動範囲が広がったことが原因だ。
シリスがよく訪れていた午後のお茶の時間に、いつも一つ所にいるわけではなくなったからだ。けれど、その時間が夕食時に変わったとしても、これといった変化はなかった。
いつもその日の出来事など、他愛ない話をして時間を過ごすだけだ。

夕方、キリアと別れる直前に、
「しっかり訊けよ」
と念を押され、スーリャはあからさまに落ち着きを無くしていた。
知りたい。けれど、知りたくない。
相反する思いと、どう切り出せばいいのかわからない、そんな途方に暮れた思いとで、スーリャは心ここにあらずだった。
そんな彼の様子に、シリスが気がつかないはずもなく。

シリスは食後のお茶の段階になった時、スーリャに問い掛けた。
「今日は何かあったのか?」
気遣わしげな声にスーリャは顔を上げ、向かいに座るシリスを見た。
金色の瞳がまっすぐ自分に向けられている。心配そうに少しだけ曇った瞳と目が合って、スーリャは動揺した。
「別に。何もない。なんで?」
動揺を隠すように素っ気なく答えれば、
「今日は落ち着きがないというか、ずいぶんと気もそぞろみたいだからな。気になるだろ?」
シリスがスーリャの額に手を伸ばす。
「熱はなさそうだな。風邪じゃないか」
う〜んと考え込むシリスの手から、スーリャがすっと逃げるように離れた。その頬にほんのりと赤みがさしている。

その様子を目の当たりにして、いつもと違う反応にシリスはおやっと片眉を器用に上げた。
「なんでもない。病気でもないから――。おやすみ」
さっとスーリャが席を立った。傍を通り抜けて部屋から出て行こうとした彼の腕を、シリスがつかんで引き止める。
「なんでもなくないだろ。絶対におかしい。何があった? 何か悩みごとか?」
スーリャの肩がピクリと反応した。
「何か困ったことがあるなら、遠慮しないで言えばいい」

スーリャの心境を知らないシリスは、純粋に心配でそう言っただけだった。
けれど、彼にしてみればその言葉は余計なお世話以外の何物でもない。
人の気も知らないで、と腹の底から怒りがわいてくる。
それが八つ当たりだとはわかっていたが、悩みの原因にそんなことを言われて、いったいどうしろと。
このまま今の心境をシリスにぶつけてしまえばいいのか。
「シリス。あんたは――」
そう言いかけた時、タイミング悪く扉を誰かが叩いた。

「なんだ?」
口を噤んだスーリャの頭を撫で、シリスが扉に向かって声をかける。
「ナイーシャさまから、緊急のお手紙でございます」
その言葉にシリスはハッとなり、素早く立ち上がり扉を開けて手紙を受け取った。手紙を持ってきた人間を下がらせ扉を閉めてから、シリスはその場で手紙を開封する。
読み終わった後、懐に手紙を仕舞った彼はスーリャの側に戻ってきた。
「悪い。話は後にしてもいいか? 出掛けてくる」
本当にすまなそうな顔をして謝るシリスに、スーリャは首を振った。

「何かあったの?」
「ああ。リマの子が生まれた」
良い知らせのはずなのに、なぜか浮かない顔をしているシリスを、スーリャは不思議そうに見た。
「今からリマの所に行くんだよね。おめでとうって伝えておいて」
「ああ。わかった。とりあえずスーリャを部屋に送る」
「大丈夫だよ。緊急だっていうんだから、急いでるだろ? ひとりで自分に宛がわれた部屋に戻ることくらいできるよ。心配しないで良いから、早く行けば?」
「それくらいの時間はあるさ。それに俺は少しでも長くおまえの側にいたいからな」
そう言いながらも子供扱いをするように頭を撫でるシリスの手から逃れ、スーリャは彼を軽く睨みつけた。
「時間、ないんだろ?」
シリスに背を向けて、スーリャは扉に向かう。
背後で笑う気配を感じたが、黙殺した。

結局、訊けなかった。

それを少し残念に思いながらも、どこかほっとしている自分にスーリャは小さくため息をついた。その様子をシリスは後ろから見ていた。
やはり今日の彼はどこかおかしい。
そう確信して明日にでも理由を聞こうと、シリスは心を決める。だが、今はこの国の未来、王として今後の話し合いに行く必要があった。
気がかりな一文の確認をするために……。



シリスに送られ部屋に戻ったスーリャだったが、眠気はいっこうに訪れなかった。しばらくはそれでも眠ろうとベッドの上で何度も寝返りを打っていた。
けれど、ついに寝ることを諦めて起き上がり、庭に面した窓辺の長椅子に移動して、外を眺めることにした。
相変わらず夜間外出禁止令は出たままで、庭にも出るなと言われている。それでもこういう気分の時には、短時間でいいから外の空気でも吸って気を紛らわしたかった。
このままではとても眠れそうにない。

どうしようかと迷っていると、視界の端でヒラリヒラリと揺れるモノがあった。
なんだと目を凝らせば、そこにはだいぶ前に目撃したきりの赤黒い羽根を持つ蝶が、夜の闇に紛れるように舞っていた。
あの蝶の出現からシリスとの関係が変わった。
そんな気がして、スーリャは蝶を恨みがましく見つめる。今はもう、あの時感じた目が離せないといった感覚はない。
ただ――。

アレは、ここに居てはいけない。

自然と浮かんだ言葉に。
なぜそう思ったのか。
自分でも説明できない意思。
それは、明確な拒絶を訴えていた。

スーリャが見つめる先では、闇の中を蝶が優雅に舞っている。
ヒラリヒラリと。ユラリユラリと。
シリスが自然に漂う気の塊だと言ったふわふわの物体に蝶が触れた瞬間、それは泡のように弾けて消える。そこに明確な意思でもあるかのように、蝶は次々とそれに触れて消していく。

ヒラヒラリ。ユラユラリ。

その様子を見ていたスーリャはひどく不愉快だった。
シリスの言葉を思い出す。
あのふわふわは、木々や大地、水や空気、自然の中に取り入れられて、巡り巡って人に恩恵をもたらし、また巡って自然に還る、というのだ。
だが、アレのした行為は違う。真逆だ。巡らすのではなく、その流れを完全に断ち切る行為。
その時、蝶が一瞬ぼやけた。気づけば、赤黒い羽根の蝶が二匹になっていた。
背筋を気味の悪いものがザワリと駆け抜けていく。
スーリャは窓を開け、心の赴くまま外に飛び出した。

これは禍。
これこそ禍の芽の一部。
自分が消すべきモノ。

伸ばした手が一匹の蝶の羽に触れた。
ただ、それだけだった。
けれど、蝶は砂塵と化す。
サラサラと風に流され、キラキラと輝く砂に変わったそれは、空気にとけるように消えた。その姿が完全に無くなるまで、スーリャは黙って見ていた。
それは儚く、きれいで、けれど物寂しい光景。
もう一匹の蝶はその間に姿を消したのだろう。
もうどこにも見つけられない。
しんと静まり返った庭にたたずんでいたスーリャは、やっと訪れた眠気に室内へと戻った。ベッドに横になり、眠りに落ちる寸前に思う。

アレをいくら消してもダメなのだ、と。
所詮アレは一部でしかない、と。

けれど。

まだ、ダメなのだ。
まだ――。

そうしてスーリャは夢も見ない深い眠りに落ちた。





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色々動き出しました。ホントに色々と……。
二人の関係も、スーリャの本来の役割も、シリスの後継者問題も。
2006/09/10
修正 2012/02/03



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