天の審判者 <34>



居を移して始まった新しい生活は、スーリャにとって今まで以上に充実したものだった。午前中はザクトを師として色々習い、午後は夕食前まで自由時間となっていた。
王宮に併設された図書館で調べ物をしたり、街に下りて出店を見て回ったり。
奥宮を訪れたり、武官達の訓練場でキリアに剣の稽古をつけてもらったり。
奥宮にこもっていた時とは比べ物にならないほど、できることも人と接する機会も増えた。
そんな日々の中で、スーリャはふとした瞬間、ある一つの考えに囚われていた。

いい加減、シリスに返事をしなければいけない。

返事というのは、例の返事なわけで。
このままいつまでも保留にしていて良いわけないのだが、スーリャはずっと言えずにいた。時が経てば経つほどに、答えがわからなくなる。
シリスのことは嫌いじゃない。
でも、そういう意味で好きかと問われても答えられない。
スーリャは否定も肯定もできなかった。
そもそもシリスは男なのだ。この国ではどうだか知らないが、スーリャの持っている常識が男は恋愛対象外だと告げている。自分自身の記憶は無くても、その辺のことは覚えているのだ。
だから、シリスは対象外なはずなのに……。
色々な考えと想いが絡まって、スーリャは自分の気持ちをとらえ損ねていた。

「……スーリャ、大丈夫か?」
ヒラヒラと目の前で振られる手の平に、スーリャはハッと正気に返った。
「……何が?」
動揺しながら問えば、
「何がって。急に難しい顔して考え込むからさ。その本、そんなに難しいのかと――」
心配そうな顔をしたキリアがスーリャの顔を覗き込んだ。

今日の午後は、図書館で調べ物をしていた。お目当ての本を探し当てたスーリャは閲覧席に座ってその本を読んでいたのだが、いつの間にか思考があらぬ方に飛んでいたらしい。
従者、実際は護衛として一緒にいるキリアは、彼の様子がおかしいのことに気づいて声をかけたのだろう。
「難しくはないよ。これ、古代神話が書かれたものだから、小説を読んでるのと同じ感じ。心配かけて、ごめん」
誤魔化し笑いを浮かべるスーリャを、キリアが胡乱に見る。
「じゃあ、何か悩みでもあるんだろ。ここ最近ずっと様子が変だからな。言ってみろよ。相談にのるからさ」
好奇心からではなく、本気で心配しているらしいキリアの様子に、スーリャはここ数日の自分の態度を振り返った。
そんなにあからさまな不審行動を取っていたつもりはなかったのだが……浮かんだ出来事の数々に思わず納得してしまった。

確かにここ数日、キリアのこんな顔をよく目にしていた気がする。けれど、今までキリアが深く踏み込んでくることはなかった。今回の言葉は、見るに見兼ねてのことだろう。
口が堅く、信用できるキリアになら言っても大丈夫かもしれないと思い、スーリャは口を開いたのだが。

「……キリアは好きな人いる?」

するりと飛び出た言葉にスーリャも驚いたが、キリアはそれ以上だったらしい。

「は、あ?」

キリアの驚きの声が静かな図書館の中に響いた。何事かと周りにいた人間が、迷惑そうにキリアを見た。
己の失態に気づき、キリアは首を竦めて小声で言った。
「場所を変えよう」
スーリャは頷き、二人は連れ立って憩いの場として隣に作られた休憩所に移動したのだった。



「それでいったい何を悩んでるんだ?」
そう訊きながらも、キリアはスーリャの悩みを察していた。初めこそ驚き、つい場所も考えずに声を上げてしまったが、あんな問い方をされれば何に悩んでいるかわかってしまった。
「俺の質問に答えてない」
本題には入らず、スーリャが不満を呈すれば、
「俺の話じゃないだろ。好きな人間でもできたのか?」
問いの形を取りながらもキリアの脳裏に浮んでいたのは、兄の友人であり、この国の王である人物の顔だった。

今まで一度も核心に触れたことはなかったが、今ではもう立ち消えになった例の噂の相手がスーリャであることは、彼とこうして接していればわざわざ訊ねなくても明白だ。
けれど、二人がそういう関係ではないと今のキリアは知っている。ただし、それには“まだ”という単語が付くだけだとは思っていたのが――。

スーリャは眉をひそめ、曖昧に首を振る。
「教えてくれないわけ?」
それでも本題を話さないスーリャに、キリアは息を吐き出した。
仕方なく彼の望む答えを口にする。
「いるよ。今、付き合ってる。いずれそいつと結婚するつもり」
さすがに照れくさくなって、ぶっきらぼうな言葉になってしまったが、それを気にするスーリャではなかった。

「……結婚まで考えてるの」
呆気に取られたような呟きに、キリアが苦笑する。
「長い付き合いだからな。とりあえず俺が成人した時に婚約したんだ。結婚するのは俺が一人前になるまで、数年待ってくれって言ってさ」
「へ〜。もしかして相手は年上?」
スーリャの蒼色の瞳が好奇心でキラキラと輝いている。
「年上」
「可愛い人? それとも大人なお姉さんって感じ?」
矢継ぎ早に質問され、キリアは苦笑を深くした。
「どれも違うな。そもそもお姉さんじゃない」
「は?」
キリアの言葉の意味をとらえ損ねて、スーリャが首を傾げる。それを気にした風でもなく、何を想像したのかキリアはクククっと笑う。
「相手は男だ。言うなれば、お兄さんだな」
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げ、マジマジと見つめるスーリャを、キリアは人の悪い笑みを浮かべて見つめ返したのだった。

「……男同士は結婚できないって聞いたけど、違うの?」
「違わないさ」
「ならなんで?」
「俺が男じゃないから」
「………」
スーリャは改めて自分の目の前にいるキリアを観察した。
顔はどことなく中性的だけれど、華奢に見えても、しなやかな身のこなしをする身体は女性には到底見えない。
スーリャの目に映るキリアの姿はどう見ても男だった。
それに。
「弟だって、言われてなかった?」
ナイーシャはデイルの弟だと紹介した。彼女が嘘を言ったとは思えない。
「便宜上な」
困惑するスーリャの反応を楽しんでいるらしく、キリアはまだ答えを教えるつもりはないらしい。

「キリアは女の子には見えないんだけど」
ぼやくスーリャに、
「女でもないからな。いや、半分くらいはそうなるのか」
キリアはヒントのつもりで呟いた。
その言葉でやっと一つの可能性に気づいたスーリャが恐る恐る問い掛ける。
「もしかして両性、とか?」
「正解」
満足気な笑みを浮かべるキリアを、スーリャが軽く睨みつけた。
「男じゃないなんて言うから、本気で自分の目を疑ったじゃないか」

「両方だから、男でも女でもないだろ?」
「両方だから、男でも女でもあるんだ」

即座に反論したスーリャに、
「まあ、そうともいうか」
キリアは否定することなくそれを受け止め、本題を切り出す。

「俺は言ったぞ。今度はスーリャの番だ」

次の瞬間、スーリャの表情が固く強張ったのだった。





*************************************************************
2006/09/03
修正 2012/02/02



back / novel / next


Copyright (C) 2006-2012 SAKAKI All Rights Reserved.