天の審判者 <33> |
「……驚いた。これほど反応したのは、私が記憶する限り初めてよ」 スーリャを立たせ、ナイーシャはその頬を伝った涙の後をぬぐう。 「スーリャ。あなたは大地の神にも愛されているのね」 「大地の神?」 不思議そうに首を傾げるスーリャに、ナイーシャは頷いた。 「そう。大地の神メイ・ディクス。ルー・ディナと同じ、古代神の一人よ」 その言葉にスーリャは微かに聞こえてきた言葉の意味を理解した。 たぶんメイ・ディクスがルー・ディナの言うあの人なのだ。 長い間、彼が目覚めを待ち続けている唯一の人。 そして、自分が持つ魂に連なる人。 ルー・ディナの言葉の意味が、やっと理解できた。 そこには目に見えなくても、確固たる繋がりが存在していたのだ。 この世界に居ても良いのだと。 ずっと自分の存在を異質に感じていたスーリャは、わだかまりから解放されて無意識に微笑んだのだった。 「ナイーシャさま。そろそろ我々を紹介していただけますでしょうか?」 そんな二人に声をかけたのは、一人の老人だった。 「ええ、そうね」 ナイーシャにうながされるように、スーリャは彼女と一緒に彼らのいる場所まで歩いていった。 「こちらの方はザクトというの。今は引退したけれど、元は宰相をしていたのよ」 ナイーシャの言葉に、好々爺然としたザクトが軽く頭を下げた。 「その隣がデイル。リマの元学友で、今は将軍職についているわ」 デイルがニカッと笑う。 「そのまた隣が彼の弟でキリア。あなたの従者をしてもらうことになっているの」 一人、少し居心地悪そうにしていたスーリャよりほんの少し年上に見えるキリアが、ペコリと頭を下げた。 「さて。簡単に紹介はしたから、後は各自で話してね。悪いけど、私はこれでお暇させてもらうわ。スーリャ、困ったことがあったら遠慮しないで私の所に来なさい。あなたならいつでも歓迎するわ」 子供に対するようにさほど背の変わらないスーリャの頭を軽くひと撫でして、ナイーシャは慌しく出て行った。 「すみませんが、私も退室させていただきます。仕事がまだ残ってますので……。シリス、あなたはしばらく戻ってこなくていいですよ。ラシャを少し借ります」 リマもまた、ナイーシャ同様早足に、部屋から姿を消した。その後を遅れずにラシャが追っていく。 その場に残されたのは、シリスとスーリャ。そして、初顔合わせな三人のみ。 「これほど早く紹介してもらえるとは思ってなかったな」 デイルが口火を切って言った。 「シリスの奴、出し惜しみしてな。なかなか会わせてくれなさそうだったんだ。よろしく」 親しみのもてそうな笑顔に、スーリャも笑い返した。 「よろしくお願いします。スーリャです」 ペコリと頭を下げた彼に、デイルがヒュウと口笛を吹いた。 「可愛い子じゃないか。シリスの相手じゃなければ俺が立候補したいぐらいだが……男か。もったいないな。おまえ、どうする気だ。このままだと――」 前半分ぐらいはスーリャに、後ろ半分ぐらいはシリスに向けて話したのだろう。 デイルは問答無用でシリスに口を塞がれ、スーリャの目の前で部屋の外へ引きずられていった。 キョトンと事の成り行きを見送ったスーリャに、ザクトが声をかける。 「陛下とデイルはいつもあのようなものですから、気になさらなくてよろしいですよ。それよりも。スーリャさまはもっと学びたいとおっしゃったと陛下から聞きしました。僭越ながら、今後は私が先生を勤めさせていただきます」 「本当ですか? よろしくお願いします。でも、あの、俺に"さま"はいりません。スーリャでいいです」 「いいえ。審判者である方を呼び捨てなどできません」 はっきりと『審判者』と言われたことに、スーリャは目を見張った。けれど、こうして紹介されるということは、この人は信用できる人なのだろうと思い直す。 「俺、全然偉くないし。審判者って言われても普通の人間だし。どこも変わらないから、普通に接してもらえるのが一番良いんですけど」 年配者で、元偉い人だったザクトから丁寧な言葉遣いをされるのは、非常に居心地が悪くて困惑する。 スーリャは自分が彼から上位の、そういう扱い受ける人間だとはまったく思っていない。 「スーリャさまは『天の審判者』。ジーン王国にとって、国の転機の鍵を握る大切な御方でございます。ですから、そのようなことはおっしゃらないでください」 ザクトはスーリャの言い分をやんわりといさめたが、彼はそれで自分の考えを覆す人間ではない。なんとか「さま」扱いだけでも回避できないかと思考を巡らし、口を開いたのだった。 一方、デイルを引きずって室内から出たシリスは、そのまま近くの誰もいない小部屋に潜り込み、やっと彼を解放した。 遮断を施して、話し声が外にもれないようにしてから口を開く。 「余計なことを言うな!」 唸るように吐き出された言葉。シリスの顔はずいぶんと険しかった。 「悪い。つい口が滑った。審判者だとは聞いていたが、まさか男だとは思わなかったからな」 己の失言を素直にわびたものの、デイルの表情はどことなく硬い。 「おまえ。自分の立場、わかってるよな。わかった上でそれを望むのか?」 デイルの言いたいことはシリスの内で何度も繰り返された言葉だった。 シリスは深く息を吐き出し、 「……わかっているさ。それでも俺は、スーリャ以外いらない」 真情を吐露したのだった。 シリスの表情と言葉にデイルが苦笑した。 自分がどうこう言っても彼が意思を変えるとは思わないし、端から言うつもりもない。ただ、確認したかっただけなのだ。 「……まあ仕方ないか。惚れたものはしょうがない。おまえはそれで良いとして、相手は―― 知ってるわけないか」 知っているなら、俺をここまで連れ出しはしないよな。 そう目線でデイルが問えば、 「王位継承問題の詳しい話は教えてない。まだ口説いてる途中にそんな話をしてみろ。そこで終りだ。俺に他の女との結婚を勧めるようなやつだからな」 ムッとした様子でシリスは言い、ため息をついた。 それを目にしたデイルが、奇妙なモノでも見るかのように表情を変える。 「まだ落としてなかったのか! しかも、結婚を勧められたなんて、脈が無いんじゃないか?」 「悪かったな。相手は子供なんだよ!」 心底嫌そうに顔をしかめて言い返したシリスを、デイルは面白そうに見ていた。 「手強そうだな。でも、おまえにはそれくらいでちょうどいいかもな。ま、がんばれ」 ポンッと肩を叩かれ、シリスは肩を竦める。 言葉ではなんと言おうが、デイルの顔は明らかに楽しんでいる。 シリスは遮断を解き、スーリャの元へ戻るために踵を返したのだった。 そうしてシリスが戻った所、スーリャがザクトと熱戦を繰り広げていた。 どうやら丁寧な言葉遣いを止めてくれという主張を通そうと奮闘しているようだが、相手はあのザクトだ。スーリャの方がかなり分が悪い。 というか、その言い分を通すのは彼には不可能だろう。 「諦めろ、スーリャ。ザクトの言葉が丁寧なのは誰に対してもだ。「さま」扱いも似たり寄ったりだからな。気にする必要はない」 そう言ってシリスは二人の間に割って入った。 「俺は偉くない。普通の人間だ」 ムッとした様子で訴えたスーリャの頭を、シリスがなだめるように撫でる。 「わかっているさ。とりあえず落ち着け。ザクトの言葉遣いは長年の癖みたいなものだ。それを今更直せって言うのは酷な話だろ?」 シリスの言い分に、スーリャは黙った。心情的にはまだ納得しきれていなくても、とりあえず諦めたらしい彼の態度にシリスは苦笑する。 「ザクトから話は聞いたか?」 「俺の新しい先生だって話?」 「そうだ。今は隠居の身だが、元々は宰相をしていたからな。色々と聞いてみるといい」 「そのお供にも、こいつをよろしく」 シリスの後からゆっくりと戻ってきたデイルが、ずっと所在無げにしていたキリアの背中をバンと叩いて前面に押し出した。 「……何するんだよ、兄貴!」 叩かれた背中が痛かったのだろう。 キリアは顔をしかめて、デイルを非難するように睨んだ。まったくそれにこたえた様子もなく、デイルはニヤニヤと笑い返す。 「らしくなく緊張してるようだから、それをほぐしてやっただけだろ」 悪びれのない言葉に、キリアの眦が更につりあがった。 「いかにも善意です、みたいな言葉を使うなよ。兄貴はただ単に面白がってるだけだろうが」 的を射た言葉に、シリスが思わずといった感じで頷いている。デイルはそれらを無視して、スーリャに向き直った。 「従者の形を借りた護衛だが、扱き使っていいぞ。ただ、一緒に勉強させてやってくれ。こいつは武官より文官に興味があるらしくてな」 スーリャがキリアに視線を移せば、彼は困惑した様子でそこにたたずんでいた。 「とはいっても、うちは武官の家だからな。こいつの腕は保証する。俺には負けるがな。そんじょそこらの人間では太刀打ちできないはずだ。ま、そういうことだから安心していいぞ」 キリアが居心地悪そうに見えるのは、スーリャにどう接していいか戸惑っているからかもしれない。 そう思い、スーリャは笑顔で話しかけた。 「これからよろしく。色々と迷惑かけるかもしれないけど、仲良くしてくれるとうれしい。歳も近そうだし」 そこで初めてまっすぐにキリアとスーリャの視線が合わさった。 「ただし、敬語禁止で」 そう付け足すと、キリアの目が丸くなる。 「さっきから言ってるけど、俺、全然偉くないし。普通の人間だし。単なる居候なんだから、普通に接して欲しい」 スーリャが正直に理由を述べれば、キリアが噴出した。他の面々も噴出しはしなかったものの、その顔には笑みが浮んでいる。 いたって真面目に言ったスーリャはその反応に少しムッとした。 「……悪い。審判者だって言うからどんなやつかと思っていたから――。よろしくな。キリアって呼び捨てでいい」 笑いを残した顔で言われ、スーリャは肩を竦めた。 けれど、すぐにキリアに笑い返す。 「よろしく、キリア。俺のこともスーリャって呼び捨てでいいから」 こうしてスーリャはこの世界で初めて同年代の友人を持ったのだった。 |
************************************************************* 2006/09/01
修正 2012/02/02 |