天の審判者 <32>



話し合いの結果。
スーリャは居を奥宮から王宮に移すことになった。
彼を襲った男は、なぜか術の作用を遮る物を身につけていた。
そういう物があるとはあまり知られておらず、市場に出回る代物でもないので、入手は困難なのだ。
そんな珍しい代物を男は持っていた。それが偶然だとは思えない。

ナイーシャの住む奥宮は不可侵の宮。彼女の立場から、そう言われていた。
先王の妃ではなく、守護師という立場を持つ者として。
奥宮は女の宮であり、警備の人員は少数精鋭だが必要最低限だった。
もしものことを考え、害意ある者が侵入できないようナイーシャが術をかけていたが、まさかそれをかわす侵入者が出るとは考えていなかった。
けれど、一度あることは二度あってもおかしくない。
スーリャを奥宮の外に出す頃合かもしれないと、シリスは考えたのだった。

そのためにスーリャが初めにしたのは、成人の儀をすることだった。
奥宮にいた彼の存在は明るみになってしまったものの、どんな人間かはまだ知れ渡っていない。スーリャが男だと、実際は違うとしてもナイーシャの血族だと周囲に知れれば、すぐに噂は立ち消えになる。
それがシリスの考えだった。

「なあ。こんな格好、本当にする必要があるの?」
着替え終わった頃合を見計らったかのように現れた、正装のシリスにスーリャは詰め寄った。
「これはこれでいいが……やはり惜しいな」
シリスはスーリャを上から下まで眺め、考え深げにぼそりと呟いた。
「わけわからないこと言ってないで、人の話を聞けよ。ここまで飾り立てる必要がどこにある」
「成人の儀は一生に一度の大切な儀式だからな。おめでたい行事だ。飾り立てるのは当たり前だろ」
疑わしげな眼差しを向けるスーリャに、シリスは上機嫌で答えた。
「それにしたって髪まで飾り立てるのはおかしいだろ。俺は男だ。男は普通、髪に飾りなんか挿さない」

この世界に来てから一度も髪を切っていないので、そこそこスーリャの髪は長くなっていた。それでもシリスの髪よりはだいぶ短い。
彼は長い黒髪をシンプルに首の後ろでまとめ、組み紐で結んでいるだけだ。
「いいだろ、似合っているんだから。返す返すも惜しいのは、衣が男物だってことだよな。スーリャなら女物でも十分似合う」
シリスは本気でそう思っているらしく、いやにしみじみとした声だった。
彼の本気を感じ取ったスーリャの顔が引きつる。
「ふざけるな! これ以上くだらないことを言うなら、俺は行かない。こんな茶番に付き合ってられるか」
怒鳴り、おもむろに整えられた髪にささる飾りを引き抜こうと手を伸ばす。その手を空中で掴み、シリスは言った。
「せっかくラシャが丹精込めて結い上げたものを壊すのか? そんなことをしたら彼女が悲しむぞ。それでいいのか?」
痛い所を指摘され、スーリャは言葉に詰まる。

シリスが現れた時に、ラシャは部屋から退室していてこの場にはもういない。
けれど、スーリャの正装の仕度をする間、ラシャがとてもうれしそうな顔をしていたことを鏡越しに彼は知っていた。
髪を整えている時、よりいっそう楽しそうにしていたことも。すべてが完了して後に浮かべた満足そうな笑みも。
ラシャはスーリャの晴れ舞台のために、この姿を整えてくれたのだ。彼女を悲しませることをスーリャはしたくなかった。

「これも噂を打ち消すためだ。奥宮から出るために必要なものだと思って、嫌でも少しの間我慢してくれ」
「……元はといえば、あんたが原因だろ」
言い包めようとするシリスに、最後の悪あがきでスーリャがぼそっと呟いた。
「あ〜。まあそうだが……。その点については、本当にすまない」
シリスは気まずげな表情になり、自分の非を認めたが。
「でも、成人の儀くらいやってもいいだろ? 本当の歳は知らないが、外見で判断するならそういう年頃だ。これからのためにもやっておいた方が良い」
開き直ったシリスは意味ありげな笑みをその顔に浮かべ、
「それにスーリャの晴れ姿を一度、見ておきたかったからな。いつも素っ気ない格好ばかりで、もったいないと思っていたんだ。こういう機会でもないと、スーリャはこんな風に着飾ったりしないだろ?」

同意を求められても答えられないことをさらりと言われ、スーリャが顔を赤くした。そして、それを隠すように俯く。
シリスはそれを止めるように自然な動作でスーリャの顎に手をかけ、困惑する彼を他所にそっとついばむような口付けを落とす。スーリャの顔がいっそう赤みを増した。
その様子に笑みを深くし、シリスはうやうやしく、まるで壊れ物でも扱うかのようにスーリャの手を取った。

「お姫さま。では、行きますか」

まったく悪気の見えない笑顔と口調。そして、スーリャをエスコートするかのように引く手。ついつられるように足を踏み出していたスーリャは我に返り、その手を振り払った。
「そんなに俺をからかって楽しいか。そのふざけた根性、いつか叩き直してやる!」
怒気を含んだ、普段より低いスーリャの声にシリスは苦笑する。
「別にふざけてないさ。叩き直されるのも困るな。スーリャが俺にとって唯一無二のお姫さまであることに変わりはない」
「俺は男だ!」
「そうだな。でも、俺にとっては大切な人だ」
まったく照れることなく言い切り、やさしい光を宿した瞳で笑みを浮かべるシリスに、スーリャはいたたまれない気分におちいった。

ふとした瞬間に、シリスはこうした言葉を口にする。そういった時は大抵、同じ瞳をしていた。
その瞳がスーリャが本当に大切でしかたないと言っているから。
やさしく穏やかな色を宿しているから。
スーリャは否定の言葉を口にできなくなる。心が不可思議な想いに囚われ、身動きができなくなる。

「これ以上遅くなると苦情がきそうだ。行くか」
一度は払われたスーリャの手を取り直し、シリスは歩き出した。今度はスーリャもその手を払おうとはしない。
繋がれた手から伝わってくる熱が、スーリャの心をほんのり暖めていた。



シリスにつれられて行った先は、神殿のような建物だった。儀式の間のような部屋には祭壇のようなものが置かれており、その前でナイーシャが待っていた。彼女もまた、正装している。
部屋にはナイーシャの他にも数人がいた。その中にはリマやラシャの姿もある。
シリスが立ち止まり、気後れしているスーリャの背中を押す。その励ますような動作に気を取り直して、スーリャは事前に言われた通り、祭壇の前にいるナイーシャの前まで一人で歩いていった。
そして、立て膝になり、緩く手を組む。

「祝福を受けし者の名は、スーリャ。大地と共に歩む者。彼の者にメイ・ディクスの加護を与えたまえ」
ピンと張り詰めた空気の中、厳かにナイーシャが言葉を紡ぎ、スーリャの頭や肩に触れていく。その箇所から光がわき出し、彼の全身を覆った。
淡い若草色の柔らかな光はスーリャを包み込み、一度だけ主張するように煌き、彼の身体に吸い込まれるように消える。

その瞬間、スーリャは誰かの声を聞いた気がした。
小さな小さな、消えてしまいそうなほど微かな声。男の人とも女の人とも判別できないその声は、確かに「おかえり」と言っていた。
そこから感じ取れた思いは、慈愛に満ちた無償の愛情のみ。
込み上げてきた切なさに―― 眦から一粒だけ、涙がこぼれ落ちた。





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2006/08/27
修正 2012/02/02



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