天の審判者 <31>



「全部、あんたが悪い」

それがスーリャが目覚めてシリスの瞳と目が合った瞬間、開口一番に言った台詞だった。眉間には完全に皺が寄り、シリスを睨みつけている。
その様子からも、彼が非常に不機嫌であることは間違いなかった。
シリスはその怒りを静かに受け止め、ため息をついた。
「すまなかった」
苦い表情で、簡潔に謝る。

何に対しての謝罪かと聞かれれば多少答えに困るが、襲われる前に手を打てなかったのはシリスの不手際だ。素直に謝る彼の姿は殊勝であったが、スーリャの怒りを静めるまでにはいたらなかった。
「俺が、いつ、あんたの、妃候補なんてモノになった!」
言葉の端々から、スーリャの怒りの深さが見え隠れしている。
寝起きとはとても思えないほど、はっきりとした怒りにシリスは我が身に降りかかった不幸を呪った。
噂はスーリャの耳には入っていない。その点の情報隔離は完璧だったはずだ。
なのに、その話を本人が知っているということは、対峙した時にでも刺客の男に聞いたのだろう。
そう結論を出し、シリスは再度つきたくなったため息を謝罪に変えた。
「本当にすまなかった。これは言い訳だが、まさかあんな噂が立つとは予想外で、それを真に受けてこんな行動を取る人間がいるとは考えもしなかったんだ。俺の不注意でスーリャには怖い思いをさせてしまった」

シリスの言葉に、スーリャは昨夜のことを思い出していた。
刃を振り上げられた時、自分の心を支配していたものは恐怖よりも怒り。
抑えようもない、色々な想いでないまぜになった怒りの感情だった。
その原因の大本が――。
「噂? なんの話? すべて洗いざらい説明してくれるよね?」
不穏に訊ねるスーリャに、シリスは今回の原因についてすべて説明した。
肝心な隠しておきたかった部分を知られてしまったのだから、これ以上隠し立てする必要もない。それどころか逆に誤魔化す方が誤解を与えかねない。
とつとつと話すシリスを、スーリャはじっと見つめていた。
その顔に幾分疲労の影が見えるのは、話の内容のせいか。はたまた別の要因によるものか。
少しだけ怒りの冷えた頭で彼の話を聞きつつ、スーリャは考えていた。

シリスが説明を終えた後、物問いたげに彼を見る。スーリャは疲れたように息を吐き出し、
「それじゃあ俺は単なる噂話に踊らされた、どこかの誰かのせいで襲われたと。そういうこと?」
「……まあ、そうなるか」
こんなことになるとはまったく予想もしていなかったシリスの返事は、どこまでも歯切れが悪かった。
「要するに、俺はあんたの嫁取り問題に巻き込まれたんだよな?」
確認するように問われて、気まずそうにシリスが視線をそらす。
それをスーリャが睨みつけた。
「間違いないよな?」
念を押すように再度問われて、シリスはしぶしぶ頷いた。
「そうだ。その問題はとうの昔に方は付いたと思っていたんだがな。そう思っていたのは、俺とその周りの一部だけだったらしい」

苦々しく吐き出された言葉に、スーリャがいぶかしげな顔をした。
「あんた、なんで結婚しないんだ? この国の王さまなんだから、王位を継ぐ子供だって必要だろ? 正室の他に側室だっていてもおかしくないんじゃないか?」
正論を言われ、シリスの顔が複雑に歪んだ。
「それも王の義務と言えばそうだろう。もともと王家は子供が生まれにくい。だから、側室を持つ王も歴代の中にはかなりいた。でも、俺は義務で結婚なんてしたくない。腹に一物も二物も抱えた女なんて願い下げだ。政略結婚なんてもっての外。いざとなれば、リマの子を王位につければいい。それで丸く納まるはずだ。過去にも子供が生まれなくて、王族内から養子をもらった王がいるからな」

「え? リマって結婚してるの?」
意外な事実を知って、スーリャは驚いた。
「ああ。もうすぐ子供も生まれる」
「へ〜。そうなんだ」
「だから、俺に子供がいなくても問題ない」
シリスは不機嫌に言い切った。
なぜスーリャに他の女との結婚を勧められなければならないのか。
普段と変わりないスーリャの様子と言葉に、自分の結婚話は彼にとってはそれほど気にすべきものでもないのかとシリスの心は痛み、悲しくなる。

シリスは早くこの話を打ち切りたかったが、
「そういうものでもないだろう」
スーリャは彼の思いとは裏腹に食い下がった。
それほど結婚させたいのかと増した痛みに、シリスが本音をポロリともらす。
「それでいいんだ。そんなことをスーリャに言われると傷つく」
それは力ない小さな呟きだったが、スーリャの耳にはしっかり届いて。
「なんで? 確かに俺が口出しする問題じゃないとは思うけど」
男心をまったく理解していない彼は、心底不思議そうな顔をして首を傾げていた。
「俺は政略結婚など、するつもりはまったくない。そんなもの関係なしに、結婚したいと思った相手とする」
「そんなこと言ってるとじきに婚期を逃すよ。いい歳してさ、嫁に来てくれる内に結婚した方がいいと思うけどな、俺は」
「……おまえ、俺を幾つだと思っている。俺は今、二十五だ」

シリスの非難がましい視線を受け、スーリャは誤魔化し笑いを浮かべた。そして、話題を戻すように問い掛けた。
「今までそう思える人はいなかったの? ずっと側にいて欲しいと思った人とか」
例えを出したスーリャに、ふとシリスが黙った。
顎に手を当て考える素振りを見せた彼を、スーリャが興味深げに見つめる。
内心、何か見つかったかと、シリスがどういう反応をするか楽しげに待っていた。
そんなスーリャの胸の内を知ってか知らずか。
シリスが意味ありげな笑みをその顔に浮かべた。
どことなく色気を感じさせるそれに、スーリャの内で警戒心がわきあがる。

「そういう相手ならいる」

断言したシリスの表情は男のスーリャから見ても、見惚れるものだった。
惜しみない愛情をたたえた、やさしい表情。その相手が大切で大切で仕方ないとでもいうように緩められた口元に浮ぶ笑みと瞳を目にして、スーリャの心の奥底がざわめく。
忘れていたモヤモヤが再燃して、よりいっそう強くなった気がした。けれど、そのよくわからない感覚に今は無理矢理蓋をした。
「……いるってことは、現在進行形で今もいるってことだよな。それならその人と結婚すればいいじゃないか」
自分に活を入れ、スーリャが提案すれば、
「そうだな。できたらいいが、今の状態ならいくら経っても無理だな。そもそも俺の気持ちなんてこれっぽっちも伝わっていないからな、スーリャ」

なぜそこで自分の名前を呼ぶ?

スーリャがキョトンとした顔になり、不思議そうに問い掛けた。
「なんで俺の名前を呼ぶの?」
「当たり前だろ。俺が側にいて欲しいのは、スーリャだからな」
率直な飾らない言葉に、スーリャの顔が赤くなった。
「ふざけるな! 俺は今、あんたの結婚相手の話をしてるのに、なんで俺の話になるんだよ」
怒りが再燃焼してスーリャは怒鳴ったが、シリスの真剣な表情に怯む。
「真面目な話だ。俺はスーリャに側にいて欲しい。それが俺の正直な気持ちだ」
「俺は男だ!」
「そんな事は初めから知っている。それでも俺はおまえを望む。スーリャ以外いらない」

「……俺にそんなプロポーズまがいの言葉を使ってどうするんだよ。そういう言葉は女の人に言うのが普通だろ。男の俺に言っても無意味だ」
「無意味じゃないさ。それにまがいじゃない。俺は真剣だからな。性別なんて関係ない。スーリャだから側にいて欲しい」
シリスの言葉を認めないスーリャを言い負かした結果、スーリャは黙った。彼は俯いて、言葉もなく唇を噛み締める。
「返事は急がない。ただ、これだけは覚えておいてくれ。俺はシリスとして、スーリャを望んだ。王ではない、唯の一人の男としておまえの存在を欲した。だから、王という肩書きを抜きにして考えてくれ」

それがどれほど難しいことかシリスはわかっていた。けれど、最後の言葉は彼の切実な思いだった。
スーリャの言葉は正論で、王である以上、子孫を残す義務が生じる。
今の状態が完全に自分の我が侭の上に成り立っていることを、シリスは嫌になるほど自覚している。それでも、どうしてもその点だけは譲歩できなかった。
そして、シリスがスーリャだけを選ぶということは、性別が変わらない限り、その義務を完全に放棄するということだ。

現在、次代の王位を継ぐ者は本当に誰もいない。
スーリャは知らないだろうが、この国の王位に就くには一つの条件があった。
それは生まれながらに判断できるもの。
稀にしか外れる者はいないが、それでもありえること。
力を持たない王族に王位継承権は与えられない。
だから、リマは王位継承権を持たない。
もしこれから生まれてくるリマの子に権利がなかったら――。

後顧の憂いを無くしたいなら、シリスは自分の想いをスーリャに告げるべきではなかったのかもしれない。
そんな重荷をスーリャに背負わせたくないと思う自分がいる。
それと同じぐらい、否、それ以上に我侭な自分がいる。

スーリャが―― 欲しい。
彼以外、いらない。

シリスは俯いてしまったスーリャの頭を、怯えさせないようにそっと撫でる。
拒絶がないことに少しだけ安心した。
「スーリャ、顔を上げてくれ。悪いが、おまえからも昨夜の状況を聞きたい。それと、おまえの扱いを今後どうするかの話もする必要がある」
シリスの言葉にうながされるように、スーリャがそろそろと顔を上げた。
そして、口を開きかけた時。

グウゥゥ〜〜〜。

今までの雰囲気をぶち壊すような音に、シリスは苦笑し、スーリャは恥ずかしくて真っ赤になった。
「そうだな。とりあえず先に朝食としようか」
せっかく上げた顔をまた俯かせ、スーリャは小さく頷いたのだった。





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2006/08/06



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