天の審判者 <29>



ドサッと音を立て、最後の男が地面に倒れた。フィルズが剣の刃についた血を布で拭ってから鞘に仕舞い、シリスの方へゆっくりと歩いてくる。
周りは血の臭いが充満し男達のうめき声がそこかしこからするというのに、フィルズは何事もなかったかのように静かな冷えた雰囲気をまとい、彼の周りだけが別空間のようだった。

「お節介でしたか?」
「いいえ。ありがとうございました」
気軽に訊ねたシリスに、感情をうかがわせない声でフィルズが返事をする。
「こんな時間に散歩ですか?」
まったくそうは思っていないだろうに、そう訊ねた彼にシリスが苦笑を返す。
「野暮な話は無しにしましょう。あなただってこんな時間に何をしていたか、聞かれたくないでしょう?」
お互いさまだというシリスに、フィルズの表情が微かに動いた。その瞳に初めて感情らしきものが浮んでいる。
いぶかしげな、それでいて驚きを含んだ瞳。
なぜそんな目で見られるのかと考え、シリスは自分の迂闊さに内心唸った。
瞳を正面から見られないように、さりげなく少しだけ顔を背ける。それも今更だとはわかっていたが、やらないよりはマシだろう。

「ジーン王国の国王は、金色の瞳と黒髪をお持ちだそうですね」
その言葉にシリスは舌打ちをしたくなる思いを隠して、
「ええ。そうですが、それがどうかしましたか?」
冷静に言葉を返す。
無表情な顔と今はもう感情を消してしまった瞳が、しばしシリスの様子を観察していたが。
「……いいえ。月の光の錯覚でしょうね。あなたの瞳が金色に見えたので」
否定の言葉であろうとも、感情をうかがわせない声ではどこまで本気で言っているかもわからない。
「金色ですか? 王と同じ色に見えたとは恐れ多いことです。それとも光栄と答えた方がよろしいでしょうか。私の瞳の色は薄茶ですよ。月の光に惑わされたのでしょう」

瞳に幻術をかけ直すために心の中で言葉を呟き、完全にかかったことを確信してからシリスは少しだけそらした視線を元に戻し、フィルズをまっすぐに見た。
これで誤魔化されてくれと本気で願いながら、彼の視線を正面に受け止める。
「……そうですね。そうかもしれません」
完全な無表情で無感情な声では、そこから彼の考えはまったくわからない。
誤魔化せたのかもわからないまま、シリスは別の話題を振ることにしたのだが。
「とりあえずこの場から動きませんか?」
血生臭い現場から姿を見咎められる前に離れる方が先決だった。フィルズにも異存はないらしく、さっさと歩を進める。

その後をシリスは追った。
「先程の男達ですが、命を狙われるような心辺りでもありますか?」
明らかにあれは誘い出し、待ち伏せていたように思えた。そうでなければ弓衆があの位置にいる説明がつかない。
「詮索無用、と言いたい所ですが、それで納得はしていただけないでしょうね」
頷くシリスに、その様を横目で確認したフィルズは、変わらぬ平坦な声で謝罪した。
「国内の問題なので詳しくは語れません。ただ、この地にまでそれを持ち込んでしまったことはこちらの不手際です。巻き込んでしまって申し訳ない」
「いいえ。謝罪は不要です。巻き込まれたというより、自分で望んでしたことですから。それにここであなたに怪我でもされたら、こちらも困りますので」

シリスが笑顔で含みを持たせた言葉を紡げば、
「見事な剣技でした。文官にしておくには惜しいほど」
素直に賛辞と受け止めるには、フィルズの声に感情がなかった。
「そうですか? 皇帝補佐殿も見事な腕前でした。あの場に割って入る必要はなかったかもしれません。余計なお節介でしたね」
「いいえ。先程は助かりました。弓衆の存在をあなたが気づかなければ、私は今、五体満足でいられなかったかもしれません。そういえば放たれた矢が不自然にそれた気がしたのですが、あれもあなたの仕業ですか?」
瞳の色と同じくらいまずい部分を指摘され、シリスは内心、頭を抱えた。

さすが皇帝補佐だけあって、観察力の鋭い男だと改めて思う。
あの最中にそこまで見て分析できる冷静さは、場慣れした者でなければできない。この無表情で、感情をまったくといっていいほど表に出さない男を、本格的に敵には回したくないとシリスは本気で思った。
内心の葛藤を知られるわけにもいかず、彼は顔に笑みを貼り付ける。
「私は弓衆の方に注意を向けていましたから、矢の軌跡まではなんとも……」
やんわりと自分は知らない、無関係だと否定したシリスの顔を少し見て、
「そうですか」
フィルズは言葉少なく、その答えに納得したのかしなかったのかよくわからない返事をしたのだった。

「私はこちらですので、それでは」
互いに違う館に滞在しているので、ここで別れる必要がある。
「では、また明日」
すでに今日かもしれないとシリスは頭の片隅で考えつつ、フィルズに背を向けた。去っていくシリスの背を、フィルズは見つめていた。
しばらく無表情な顔で佇んでいたが、視線の先からシリスが消えると、己の滞在する館へと足を向けたのだった。



自分に与えられた部屋に戻ったシリスを待っていたのは、仁王立ちしたデイルの姿だった。思わず開いた扉を閉め直そうとして、強引に止められ室内に引きずり込まれる。
「血の臭いがするな。いったい何をやってきた?」
まさかそこまでばれるとは思っていなかっただけに、シリスは驚きに目を見張る。返り血はまったく浴びていないというのに、場に充満した臭いが衣に移ってしまったのかもしれない。
行儀悪く袖を鼻に持ってきて臭いを嗅いでみるが、鼻が麻痺しているのかよくわからなかった。

「そんなに臭うか?」
「俺は鼻が良いんだ。はぐらかさないで、俺の問いに答えろ」
脱走がばれることは初めからある程度予想していたが、乱闘に自ら首を挟んだことまでばれるとは考えていなかった。血の臭いでデイルの機嫌がさらに降下したことを悟って、シリスは嘆息する。
「リマには黙っててくれないか?」
答える前に、リマへの口止めを頼めば、
「状況によるな。必要なことだったら、俺はリマに報告する義務がある。約束はできない」
にべもない答えがデイルから返ってきた。

よほど今回は腹にすえかねたらしい。
仕方なくシリスは重い口を開いた。
「ヴィア帝国の皇帝補佐殿が襲われている現場に遭遇したんだ。多勢に無勢。放っておくわけにもいかなくて手を出した」
簡潔に事実を伝えれば、デイルの表情がいぶかしげなものに変化した。
「一人だったのか?」
「そう。護衛もつけないで、いったい何やってたんだかな。詳しい話はまったく教えてもらえなかったが、襲われる原因も相手もわかっているようだった。うちは関係ない」
肩を竦めたシリスに、デイルの片眉が上がった。
「自分のことを棚上げするな。おまえも一人でこんな時間に何をやっていたんだ? 自分の立場がわかっているのか? もしものことがあったらどうする!」
シリスは言葉に詰まった。

「一人で行動するな。せめて俺を一緒に連れて行け。そう昨日も言ったはずだが、おまえの耳は節穴か?」
子供にするように耳を引っ張るデイルに、シリスは顔をしかめた。手を払い、痛みから解放された耳を擦りながら、
「……時々、リマと同じぐらい口煩いよな」
ぼそりと呟いた。
「反省がまったくないようだな。リマにきっちりお説教しておくように頼んでおくか」
嘆息して吐き出された言葉に、シリスが勢いよく首を横に振る。
「十分反省している。この通り悪かったと思っているから、それだけは勘弁してくれ」
プライドをかなぐり捨てて謝る姿に、デイルがため息をつく。
「そう思うなら、全部話せ。すべて、包み隠さず、誤魔化すな」

リマに比べれば、デイルの方が融通がきく。
シリスは一人で出掛けた理由をデイルに説明し、彼の出方をうかがった。
「おまえの言い分はわかった。この件はリマに報告する」
下された決断に、気分が滅入った。リマの説教が決定したのだから、それも仕方のないことだ。
項垂れるシリスを哀れに思ったのか、デイルが言葉を続けた。
「ただ、乱闘に関しては黙っていてもいい。双方事無きを得たわけだし、こちらには関係ないことだというなら、今はなかったことにしてもいいだろう。ま、本来ならこれも報告の必要性があるものではあるがな」
説教の具合がまだ軽いものになることを悟って、シリスの顔は目に見えるほど明るくなった。あからさまに喜ぶ彼にデイルは苦笑する。
「湯を用意してある。さっさとその臭いを落として休め」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
まだ十分に湯が温かいことを確かめ、用意周到なデイルの気遣いに、シリスは感謝したのだった。





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シリスの動向その4。
次でシリスの動向は終わりです。
2006/08/02
修正 2012/02/02



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