天の審判者 <26>



スーリャに出掛ける宣言をしたシリスは、翌日には王宮を出発していた。
彼の目指す先は国境。
目立つ長い黒髪はジーン王国の民が多く持つ薄茶色に染め、後ろで一つにまとめた。そして、髪よりもいっそう目立つ金色の瞳は、髪と同じ色に見えるように幻術をかけた。
瞳も染めれるならそうしたのだが、さすがにそれは無理で諦めた。

なぜそんな変装をするかと言えば、これがお忍びだからだ。その他大勢に王の居場所を簡単に悟られないためには、こうするのが一番だった。
黒い髪の者は少数とはいえ国内にいる。目立つことに変わりはないとしても、だ。けれど、金色の瞳を持つ者はジーン王国で唯一人。
シリスのみだった。
この二つを併せ持てば、すぐに己の立場がわかってしまう。要らん騒ぎが起こること、間違い無しだ。

それらはどちらも先祖譲りの物だ。
黒い髪は異国から嫁いできた母方の祖母より、金色の瞳は父方の遠い祖先、初代の国王より。
今まで一度もその色彩を瞳を持つ者は生まれなかったというのに、なぜかシリスはそれを持って生まれてきた。
類をみない強い力と共に――。
王族が力を持って生まれる事実は、一部の人間しか知らない。けれど、そのことを抜きにしてもシリスの髪と瞳はジーン王国にとって異彩で異質だった。
顔はあまり知られていなくとも、彼の持つ色は近隣諸国まで広く知れ渡っている。異色の彩を持つ王として。

生まれ持った色はどうしようもない。
目立つそれらを隠すのは面倒な作業だったから、毎回うんざりするだけで。
シリスのその思いを的確に察し、その割にはよくこうして行動するのだから呆れて物も言えないと、それによく付き合わされる同行者の一人、デイルは毎度のごとく今回もそう思っていた。
馬上から隣に並んで馬を走らせるシリスの顔を見る。

「今回はリマの許可を取ってきたって? あいつが許可を出すのも珍しいが、おまえが許可を取るもの珍しいよな。何かあったのか?」
ヴィア帝国との話し合いの使者、という立場を取ったシリスの護衛としてつけられたデイルが小声で訊いた。
将軍の地位を持つデイルはリマの元学友で、その縁でシリスとも付き合いが長く、唯一この場で彼の正体を知っている人物だった。
「……別に。ただこの件は今後の我が国の命運を握るものだからな。自分で処理したかっただけだ」

表面的にはいつもと変わりなく見えるシリスだったが、デイルはそんなことでは引き下がらなかった。
「そうかもしれないが。わざわざおまえが出向くことでもないだろう。今はそこまで人手不足でもない。リマに何を言ったんだ?」
「そんなことどうだっていいだろ」
ぶすっとして見るからに不機嫌になったシリスからデイルは視線を外し、遠くの空へと向けて、しばし理由を考える。
久しぶりに王都に戻ったと思ったら、数日後にはまた旅立つ羽目になった。
だが、その短い期間に仕入れた情報に抜かりはない。
ふとシリスの叔父、自分の友人であるリマの言葉とそれを語った時の彼の表情を思い出してピンときた。

「もしかしてコレ関係か?」
デイルが小指を立てて意味深な笑みを浮かべた。シリスが嫌そうな顔をするのに、その笑みを深める。どうやら当たりを引いたらしい。
「やっとおまえにもまともな春が来たって聞いたが、振られたか?」
「………」
「ほ〜、図星か。おまえを振った人間に一度会ってみたいぜ」
ニヤニヤと笑うデイルをシリスが睨みつける。
「振られてない!」
小さな、それでも鋭い声でシリスは反論した。
それにますます笑みを深めて、デイルが言う。
「相手は秘密裏に隠されたお姫さまだって?」
茶化すデイルに、シリスの柳眉がさらにつり上がった。
「リマに聞いたぜ。ずいぶんご執心だって。可愛い子なんだろ? 今度紹介しろよ」

デイルがどこまで事情をリマから聞いたか、シリスは知らなかった。ただ、彼が信用できる人間であること、スーリャが審判者である事実を知っていても害がないことだけはわかる。けれど、それとこれとは別だ。
「誰がおまえに会わすか」
からかわれるのも嫌だが、少しだけ危惧があるのも本当だった。
リマと同い年のデイルだが、いまだ独身。別にもてないわけじゃない。
その逆で、彼の周りはいつだって華やかだった。
身を固めないのは、彼にその気がないだけなのだ。
シリスの心境を読んだ彼は、心底おかしそうに声を出して笑った。
「本気なんだな。別に取りはしないさ。ただ、おまえが本気になった相手ってのに、純粋に興味があるだけだ。会わせてくれないか?」
馬上でなければ、子供のように頭をグリグリやりたい所だ。
そんなことをすればシリスが怒り狂うのは十分過ぎる程わかっていたが、それでもデイルは弟のように思っている彼がやっと見つけた恋が素直にうれしかった。

王という立場上、シリスには色々な責務がある。
結婚もまた、その一つだ。
結婚して、子を成す。
本来ならシリスは当に結婚していてもおかしくない。
そろそろ子供の一人ぐらいと、王に結婚を望む人間も少なくない。
国民の大半がそう考えていた。
ただ表立って、今、シリスにそのことを進言する人間はいないが。
それは彼が激しく抵抗し、政略的なものを一切拒絶したからに過ぎない。
彼が望む人間は、今まで誰一人現れなかった。
その逆は多数存在したというのに。
だから、いまだ王の妃の地位は空白のまま。
シリスと同じ高さに立ち、隣から支えられる人間はいなかった。

それがやっと。
やっとシリスが本気になれる、望む相手が見つかった。
快挙と言っても良かった。
まあ相手が審判者だと聞いた時はさすがに驚いたが、そんな事実はデイルにとって些末事だ。
それに王の結婚相手としては、並みの相手よりもよほど相応しい。初代国王の伴侶が審判者だったという史実は有名な話なのだから。
「……今度な」
ぼそりと呟かれた応えに、デイルは肩を竦める。そして、話の続きを語るような何気ない様子で言った。
「気づいてるか? 招かれざるお客さんのお出ましだ」
「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
シリスもまた、緊張をまったく感じさせない声で答えた。
他の護衛達も気づいたようで、あたりを緊迫した気配が包む。

「全部で十二人だ。内二人は樹の上で弓を構えている。術使いはいないな」
端的な敵の分析に、デイルは感心した。
「いつものことだが、よくそこまでわかるな」
「……使えるものは使う。それだけだ」
本気で嫌そうに顔をしかめるシリスに、デイルは自分が失言したことを悟った。
けれど、ここでそのことを謝れば、余計にシリスの機嫌が降下するのも長い付き合いでわかっている。

「弓の方はおまえがなんとかしてくれ。できるだろ?」
今、必要な段取りを話していく。
「誰に言っている? そっちこそ、へまするなよ。ここで怪我でもしてみろ。腹抱えて大笑いしてやる」
シリスはニヤリと好戦的に笑った。
それに笑みを返して、デイルは言った。
「……売られた喧嘩は買う主義だが、今は止めといてやる。わかってるだろうが、殺すなよ」
「ああ」
その言葉を最後に、戦闘開始となったのだった。



「ずいぶんあっけなかったな」
生きたまま捕らえた十二人を逃げられないように縛り、自害防止に猿ぐつわをかませて、シリスはポツリともらした。
「まあな。単なる物取りだったのかもな」
デイルはまだ目では確認できない国境にある街の方を見ていた。

捕まえた人間を放置するわけにもいかず、かといってこんな大荷物を自分達で引っ立てていくこともできない。仕方なく、あと少しでたどり着く目的の街へと護衛の一人を伝令として送った。
じきに警吏隊が何人か送られてくるだろう。
彼らが到着するまで、自分達はこの場で足止めだ。

デイルと同じ方角に視線を向けて、シリスがデイルの言葉を否定する。
「それはないだろう。こいつらは俺達を初めから狙っていた。一目で国に仕える騎士だとわかる姿をしたおまえ達を、わざわざ普通の物取りが襲うはずがない。そんなものを襲うより、商人の馬車を襲ったほうが、リスクは少なく実入りは良いに決まっている」
「おまえ、それは褒めてるのか、それとも貶してるのか」
「どっちでもない。事実を言っただけだ」
冷やかなシリスの物言いに、デイルは彼の顔を見た。
「不機嫌だな」
そう呟けば、シリスがデイルを睨みつけた。

「当たり前じゃないか。ヴィア帝国の刺客だという確たる証拠はこいつらから出なかった。おまえはなんとも思わないのか。こんな奴らでどうにかなると思われているんだぞ。まったく甘くみられたものだ」
シリスの言葉を否定する気はない。デイルは肩を竦めた。
「うちは平和主義で通ってきた国だからな。ここ百数十年は戦知らずだし。平和ボケした国だと思われても仕方ないだろ。実際はそうじゃなくても……。ちょうど良いじゃないか。甘く見ている国がどんな牙を隠し持ってるか見せてやれば、当分は何も仕掛けてこんだろ」
その顔に浮かべていた不穏な笑みを消し、デイルは真剣な表情になって言葉を続ける。
「とは言っても、本当にこいつらがヴィア帝国の送った刺客だと決め付けるのは早計だと思うがな。あそことの会合は秘密裏なものじゃない。今、あちらとの関係が微妙なことを知った上で、完全に決裂するように誰かが仕組んだとも考えられる。まあどっちにせよ、必要なら早々に潰すべきだ」

「……過激な発言だな。その平和ボケした国の、将軍位にいる者の言葉とは思えん」
「そういうおまえだって似たようなことを考えてるじゃないか」
揶揄するデイルに向かって、シリスは意味深に笑んだ。
「それは最終手段にしておくさ。今回は軽く釘を刺しに来ただけだからな」
そううそぶくシリスの様子がよく知る誰かさんと同じに見えて、デイルはため息をついた。
「うちが平和主義だなんて、誰が言い出した空言だろうな。おまえらと付き合っていると、つくづくその言葉を疑いたくなる」
「心外だな。俺は自ら争そおうと思ったことはない。ただ、周りがそうは思ってくれないだけでな。すべて正当防衛だ。次を期待しないよう完膚無きまでに叩きのめしたとしてもな。それに俺をリマと一緒にするな」

あらぬ方を向いて、何かを思い出すようにデイルは遠い目をした。
「あ〜。まぁ……な。あいつはおまえより容赦ないよな……敵として認識したら。俺も絶対にあいつだけは敵に回したくない。でも、ほとんど似てないってのに、おまえらはそういう部分がよく似てるんだよ。これはどう考えても血筋じゃないか?」
問い掛けられても、シリスは答えない。ただその顔を苦虫を噛み潰したかのようにしかめただけだった。





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王宮を離れたシリスの動向その1。しばらくスーリャはお休みです。
ここで補足しておきますが、この時点のデイルはスーリャの性別を知りません。
2006/07/28
修正 2012/02/02



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