天の審判者 <24> |
「スーリャが元気なのは十分わかったが、本当にどこもなんともないのか?」 「何が?」 焼き菓子を頬張りスーリャが、不思議そうな顔をして首を傾げる。 「ルー・ディナの力を受け入れただろ。あんな強大な力を受け入れたなら、何か変化があってもおかしくない」 今は完全に馴染んだのか、あの時に感じた異質感はまったく感じられなかった。 けれど、シリスはあの時感じた力の大きさを覚えている。 人には過ぎた力だと言ったナイーシャの言葉は、シリスも感じていたことだった。 焼き菓子をお茶で飲み下し、口の中に何もなくなってからスーリャは言った。 「変化といえばだんだん妙な物がはっきり見えてきたくらいかな。ふわふわした物が空気中を漂ってる」 これといった動揺もなくなんでもないことのように言うスーリャに、シリスはそこはかとなく心配になった。 「全然驚いていないみたいだが……」 そう言いかけて、口を噤む。 スーリャは嘆息した。 「どうせこれもルー・ディナのせいだろ。悪い感じはしないし、気にしている方が疲れるから、あるがままを受け入れることにしたんだ」 肩を竦めるスーリャの悟ったような言葉に、シリスは呆れを通り越して感心し、 「その割り切りの良さはどこから来るんだ」 ぼそりと呟く。 それを聞きとがめ、スーリャが目尻をつり上げた。 「俺だって好きでこうなったんじゃない。これだけ振り回されれば、自然とこうなるんだよ」 「……まあ、そうかもな」 スーリャの身に降りかかった出来事を思って、シリスは神妙に頷いた。これ以上その点を突くのは止めた方がいいだろうと判断して、別の話題を振る。 「スーリャが見えるようになった物体だが、そのテーブルの上に乗っている物だよな?」 シリスが指し示した先には、確かにそれが存在していた。けれど、まさか彼にもそれが見えていたとは思わなかったので、スーリャは驚いた。 「そうだよ。なんか触り心地よさそうなのに、触れないやつ。そこのは水色っぽいふわふわだけど、他にも色々浮いてるだろ。てっきり俺にしか見えないと思っていた」 「俺も自分しか見えないと思っていた。これは自然に漂う気の塊だ。これがたくさん存在するから、この国は自然に恵まれている」 「気の塊? これのお陰で恵まれるって、なんで?」 「そうだな。生きるのに必要な物、簡単に人間風に言えば食事と同じだ。木々や大地、水や空気、自然の中に取り入れられて、巡り巡って人に恩恵をもたらし、また巡って自然に還る。これはそういう物だ。俺達のような力を使う者は、その恩恵を他人より少しばかり多くもらっている。気の塊まで見える人間はほぼ皆無らしいが、見えてよかったな。これなら力をとらえやすいだろ」 スーリャは首を傾げた。 「なんで?」 シリスの言葉を頭の中で繰り返すが、考えてもわからくて素直に訊く。 「ナイーシャさんは言わなかったか? 『己が力とは働きかけるもの。気の流れをとらえて、その力を貸してもらうだけ。決して驕ってはいけないの。あくまで貸してもらっていることを忘れてはいけないのよ』ってさ」 ナイーシャの口真似をしてニヤッと笑うシリスに、スーリャも笑い返す。 「……耳がタコになりそうなくぐらい聞いた」 「だろ? これが俺達が力を使うための基本だからな。その気の流れを作る根源が、そこの塊だ。スーリャは今まで働きかける物がよくわかっていなかっただろ。それが目で見えるようになったんだから、使えるんじゃないか?」 試してみろと言うシリスに、スーリャは戸惑った。先程と変わらずに、テーブルの上でふわふわしたしている物体を指差す。 「これに働きかけるの?」 今まで四苦八苦していたものが使えるというのなら、喜ばしいことだ。自由に使えるようになれば、自分の身を守ることもできるようになる。けれど、これのお陰で使えるようになると言われても――。 「疑うな。疑えば使えるものも使えない。俺の言葉を信じて、まずはやってみろ」 スーリャの表情から考えていることを読み取ったシリスが、彼を宥めてうながした。真剣なその姿に、スーリャは吐息をつく。 そして、ナイーシャから教わったことを頭に思い浮かべた。 気の流れを感じたら、働きかける。 今は見えているので、なんとなくスーリャは水色のふわふわに手で触れるようにした。感触はなくても、感覚で確かに存在していることが感じられる。 そこから流れてくる何か。気の力だろうそれを、自分の中に止め。 「シエル」 イメージと共に言葉を呟く。 一番簡単な防壁を張る単語。 目に見えない壁が自分の周りにできているはずなので、スーリャはそっと手を伸ばす。透明で見えないものの、そこに確かに壁のようなものが張られていた。その感触に驚き、慌てて手を引っ込める。 「できたな。成功、おめでとう」 満面の笑みを浮かべるシリスに、スーリャがはにかむ。 「……ありがと」 照れたように腕を振り、彼は防壁を消した。 その様子を見てから、シリスは立ち上がった。 「さてと。俺の休憩時間は終わりだ。戻って、仕事に励むとするか」 「しっかり仕事しろよ。さぼって周りに迷惑かけるなよ」 さも心外といった感じでわざとらしくシリスは肩を竦め、スーリャの頭を撫でた。 「子供扱いするな!」 クシャクシャと髪をかき混ぜるように撫でるシリスの手を払い、スーリャは睨みつけたが、 「大人扱いして欲しいか?」 そこに普段の雰囲気を瞬時に払拭して、昨夜のような雰囲気をまとったシリスを見つけて言葉に詰まった。微かに怯えの混じった表情で自分を見上げ固まるスーリャに、シリスは苦笑する。 「……なるべく早く大人になってくれ」 ポンポンとあやすように、一度は払われた手でスーリャの頭をやさしく撫でる。 普段のシリスに戻ったことを感じて、スーリャは無意識に強張っていた身体の力を抜いた。 「でも、これくらいはさせてくれてもいいだろ?」 囁きを残して、スーリャの唇をついばむようにそっと触れてすぐに離れていったのは、シリスの唇で。 不意打ちで避ける間もなく、スーリャは口に手を当て真っ赤になった。 その肩が羞恥にか、怒りにか、小刻みに震え出す。 怒鳴りだす前に、シリスは先手を打った。 「明日からしばらく来れない。ちょっと出掛けてくるから、スーリャは大人しく勉強してろよ」 言いたいことだけ言って、さっさと彼の部屋から退散した。 「二度と来るな―――!」 そんな怒声が後ほど彼の背中を追いかけたが、果たして届いたことか。 スーリャの大声に何事かと部屋に入ったラシャは、そこに赤い顔をして仁王立ちした彼を見つけ、不思議そうに首を傾げたのだった。 |
************************************************************* 2006/07/23
修正 2012/02/01 |