天の審判者 <2>



四苦八苦しながらもなんとか脱がせ、清潔な布で濡れた全身を拭い、乾いた衣を着せる。その間も目を覚ますことはなく、シリスは少年をベッドに寝かせた。
そこまでやってから、今度は自分のことに取り掛かる。
春先の今、濡れたままで長時間いれば本気で風邪を引きかねない。
さっぱりとした乾いた衣に着替え、シリスはベッドの傍らに椅子を引き寄せ座り、そこで横たわる人物の様子を見る。
これといった変化もなく、穏やかな表情で眠っているその様子に内心安堵した。

黒髪の少年。
ここら近辺では黒髪は少ない。とはいえ、いないわけでもない。
現に、シリスの髪も黒色だ。
少年の顔立ちはそこそこ整っているものの、それでも飛び抜けてそうだとは言えない。幼さを残した可愛らしい、どちらかというと少女めいた容姿を少年はしていた。

無防備に眠る少年からは、先程までの強烈な異質感は無い。
そのことを不思議に思いつつ、シリスは濡れた己の長い髪の水気を拭う。
こういう時、長い髪は不便だよなぁ〜と思いつつ。
事情があって切れないのだから仕方ないとため息をつく。
そうしてどのくらいの時間が経っただろう。
シリスは館によく見知った人物が入って来たことを感じ取ったのだった。
ちょうど良い所に訪れた人物に、彼はほくそ笑む。
この少年の正体が自分の考える通りの人物なら、これから今以上に慌ただしくなるはずだ。そこに初めから巻き込むつもりでいた人間が自らやって来た。
これぞ飛んで火にいるなんとやら、だ。
待つことしばし。侵入者は確実に主の居場所を見つけ出し、慌ただしく寝室の扉を開けたのだった。



「よっ。遅かったな、リマ」
ニヤリと愉快そうに笑い、シリスは侵入者、もとい己を探しにきたリマを見た。
「……それが執務を勝手に放り出して雲隠れした人間の言葉ですか」
扉を開けた状態で固まっていたリマが地を這うような低い声で唸り、シリスを睨みつける。けれど、シリスは慣れたもので、堪えた様子はまったくない。
「しっかり書き置きがあったろ」
「あれのどこが書き置きですか。『ちょっとそこまで出掛けてくる』って、あなた、自分の立場わかってます? そんな書き置きがありますか! いい大人が子供みたいなことをしないでください。だいたい――」
リマはツカツカとシリスの隣まで来て立ち、上から見下ろし、途切れることなく言葉を紡ぐ。

しばらく右から左に聞き流していたシリスだったが、このままではいつまで経っても終わらないし進まないことは経験上、知っていた。
中途半端に途切れさすと、後で思い出したようにチクチクと言われるので嫌なのだが、本題に入るべく仕方なく無理矢理口を挟む。
「わかった。わかったからとりあえず黙れ。俺の話を聞け」
シリスの有無を言わさぬ口調に、とりあえずリマの説教が止んだ。
「なんですか、薮から棒に」
いつもと様子の違うシリスにやっと気づいたらしく、リマは訝しげに訊いた。
「……というか、そちらで眠っている方はどなたですか?」
やっとベッドに誰かいることに気づき、不審げな視線で寝かされている人物を観察する。

「拾った」
シリスの答えは簡潔だった。
だが、簡潔すぎてわからない。これで理解しろという方が無理な話だった。
「は、あ?」
リマの眉間に皺が寄る。
確かシリスに拾い癖はなかったはずだと的外れなことを考えていると、
「というか、降ってきたんだ」
これまた簡潔にシリスは言葉を繋げた。
真剣な表情で話している所を見るに、ふざけているわけでも冗談を言っているわけでもないのだろう。
それでも。

「……何か悪いものでも食べました? 拾い食いは駄目ですよ」
そう言いたくなるリマだった。
別に本気で疑っているわけではなかったが――。
二人はお互いの顔を見る。
そのまましばし無言でいたが、
「……おまえなぁ〜、俺をなんだと思ってやがる」
沈黙はシリスの項垂れた声で破られた。
ガックリ肩を落とし思い切り顔をしかめるシリスに、リマはにっこり笑顔で答えたのだった。



とりあえず気は済んだので、リマは表情を引き締めた。
事と次第よっては、国を揺るがす大事になる。
「冗談ですよ、冗談。それでどういうことですか。詳しく説明してください」
「詳しくも何も、俺もよくわからない。なにせずっとこのままだからな。話が出来ない以上どうにもならない」
「あなたのわかる範囲内だけで結構。すべて話してください」
反論を許さない頑とした声。
シリスは肩を竦め、これまでの経緯を語った。
まあ、初めからリマに隠す気などまったくなかったが。

すべてを聞きリマはしばしの沈黙の後、深く息を吐き出した。
「それでは、そこで眠っている方が我が国始まって以来、初の『天の審判者』となるのですか……。信じられませんね」
猜疑の目でシリスと少年を交互に見て、ため息をつく。
ベッドの上で昏々と眠る少年はまだ幼く、とてもそんな人物には見えなかった。
「初でもないだろ。初代の伴侶が『天の審判者』だったことは王史に残っている」
「茶化さないでください。私は国始まって以来初めて、と言いました。その方は範疇外です」
リマが睨みつけると、今度はシリスがため息をついた。
「信じられなくてもたぶん間違いない。俺だって自分の目が信じられなかった。まさか自分の時に降ってくるなんて誰が考える……厄介で面倒なことだ」
「シリス! あなた自分の立場、本当にわかってますか。この国の王はあなたなんですよ。『天の審判者』が現れたということは、国の存亡が問われたということ。この国が残るも滅びるも、審判者次第。あなたの手腕にかかってるんですよ」

「そんなに怒鳴るなって。俺だって国を滅ぼす気はない。まあ慌てるな。審判者が来たからって確実に国が滅ぼされるわけじゃない。残った国だってけっこうあるの、おまえだって知ってるだろ?」
「ええ。ええ! 知ってますよ。その倍以上の国が滅びたことも知ってます。我が国の内情を考えてください。現状で審判者の裁きを待つまでもなく潰れる可能性を抱えているんです。審判者が現れたことでよりいっそう情勢は怪しくなる。これで慌てなくてどうします。ある意味、審判者どころの話ではないんですよ」
「そうかもな」
一息にまくし立てるリマを面白そうに眺め、シリスはどこまでも飄々としていた。
「他人事みたいに言わないでください!」
「……いい機会だと思わないか? 潰れるなら俺に力がなかっただけ。このままあいつらに食いモノにされるぐらいなら、審判者の裁きで潰れた方が後腐れもなくていい。まあ、そうならないように最大限の努力はするけどな。苦しんでいるのは俺じゃなく民だ。民あっての国だからな」

リマは返す言葉もなく沈黙した。
すべてわかっていてこういう態度を取れるシリスに、内心で感心する。
それと同じく、少しだけ呆れて、淋しくも思う。

今の言葉が何を意味しているか十分わかっているだろうに、そのサバサバした反応は何なのか、と。

「さ〜て。辛気臭い話はこれで終わりだ」
シリスが意味ありげにリマに目配せを寄こした。
それは、余計な口は出すなという合図。

「狸寝入りのお姫さま。目を開ける気はあるかい?」





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2006/06/04
修正 2012/01/15



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