天の審判者 <17> |
ニヤリと笑うシリスを見て、口から零れそうになったため息をザクトは気力で止めて言葉に変えた。 「火のない所に煙は立ちません。即刻、審判者を保護すべきです。もう手は打ったのでございましょうね?」 シリスは曖昧な笑みを浮べ、しみじみと呟く。 「おまえならそう考えるよな」 その言葉が聞こえて、ザクトが訝しげな顔になる。 「他に何か方法がございましょうか?」 さすがにあの連中もそこまでは言わなかったか、とシリスは思った。 苦々しい存在ではあるが、それでも一応はこの国の重職を担う一部の人間達だ。若造だとなめている王には強く出れても、前王の信頼厚く、現役時代は辣腕を振るっていた元宰相のザクトには言えなかったとみえる。 「どこかの阿呆な連中は、禍となる審判者は見つけ次第捕らえるなりして、即刻処刑しろと俺に言いやがった」 不愉快極まりないといった感じで顔をしかめ、お茶に口をつけるシリスに、げんなりとした表情になったザクトは、 「どこの愚か者ですか、そんな恥知らずな発言をあなたにしたのは」 心底疲れたと言わんばかりの声で呟いた。 「我が国の使えない大臣の中の一人だ。その他、二、三人は同意見だったようだぞ」 吐き捨てられた言葉に、ザクトはそう言いそうな気がする数人の顔を思い浮かべて深々と頭を下げた。 「申し訳ありません。わたしの監督不行き届きで、陛下には要らぬ手間と不愉快な思いをさせてしまいました」 「そんなこと今更だ。それを含めて俺は王座を引き継いだ。引退したおまえが謝ることでもない。あの連中の尻尾をとっとと掴んでクビにできなかった俺自身が一番悪い。だから、頭を上げろ」 シリスの言葉にうながされ頭を上げたザクトは、頭が痛いとでもいうように米神を揉み解しながら呟いた。 「なんと愚かな。そんなことを実行しようものなら、自ら禍を招くと同じこと。審判者の存在を吉とするも凶とするも、人次第。初めから決めつければ、それ以外の道など見つかるはずもないというのに……。なぜそれがわからないのか」 シリスは肩を竦めて、沈黙した。 ザクトも答えなど求めていなかったので、シリスの方に向き直り、姿勢を正す。 「今、あなたがそれだけ落ち着いているということは、もう保護されたということなのですか?」 「ああ。なにせ俺が第一発見者だからな。拾って保護したさ」 「……また、執務中に勝手に脱走しましたね」 低くなった声に、シリスはギクリと肩を揺らした。 「今は俺のことはどうでもいいだろ。それよりも詳しく知りたくないか?」 「ええ。そうですね。その御方は今、どちらに? 可能であれば、ぜひ一度御目通り願いたい」 「信用できて、この国でたぶん一番安全な所に預けてある」 ザクトはふむと顎に手をやり、しばし考えた。 「ナイーシャさまの所ですか。確かに彼女の側なら、滅多なことは起きないでしょう」 納得したと頷いて、ザクトはそういえばと切り出した。 「数日前、ナイーシャさまからお手紙をいただきましてね。陛下に会う機会がありましたら、ぜひとも教えていただきたいと思っていた事柄がありました。お答えいただけますでしょうか?」 ザクトは今、思い出したと言わんばかりの表情をしているが、これが本気か演技かシリスには見抜けなかった。 「内容にもよるな。何が訊きたいんだ。まずはそれを言え」 食えない爺であることを知っているだけに、安請け合いをするほどシリスもお人好しではない。 内容如何では黙秘するつもりだった。 「いえ。純然たる好奇心でして、今このような時にお訊ねするのは不謹慎かとも思いましたが」 そう前置きして好々爺然とした態度で、ザクトは言った。 「陛下は今、奥宮に通う御方がいらっしゃるとか。それはもう熱心に、今までとは類を見ないほどにご執心であらせられると手紙には書かれておりましてね。実際の所はどうなのかと」 「………」 「陛下もやっと身を固める気になっていただけたのかと、わたくしめは大変うれしく思っておりますよ」 よよよとハンカチまで取り出して泣き真似をするザクトに、シリスは引きつった笑みを向けた。 「ナイーシャさんが何を書いたか知らんが、それはでっち上げの大嘘だ! 間に受けるな!」 大袈裟にバシンとテーブルを叩いて反論するも、 「ナイ−シャさまがそんな嘘をわたしにつく必要はございませんでしょう。陛下はこっそり忍んで奥宮へと行かれていらっしゃる。相違ありませんね?」 「うっ」 それは、事実だった。 スーリャに会いに行くのを知られるわけにはいかない。急に奥宮に頻繁に通い出したことが知られたら絶対にあやしまれる。 色々と勘繰る人間が、ここには大勢いるのだ。 余計なことまで探られてスーリャが審判者だとばれた時、もしその人間に害意があったら―― スーリャの身の危険がいっきに増すことになる。 だから、こっそり隠れて会いにいっていた。 そのことを知っているのは、ナイーシャ、ラシャ、そしてリマくらいだ。 「その目的は一人の御方。そうですね?」 「ううっ」 シリスは否定できなかった。これもまた、嘘ではない。 彼が言葉に詰まるのを是と解釈して、ザクトはさらに言葉を重ねる。 「それはもう熱心に通っていらっしゃるとか。一日も欠かすことのない、ここまでマメな陛下は初めて見るとナイーシャさまの手紙には書かれておりましたよ」 「うううっ」 過去の自分の所業を振り返り、比べて―― 返す言葉もなかった。 どれ一つ嘘ではないのに、なぜここまでとらえ方が婉曲しているのか。 誤解は早めに取り除いておくに限る。 そう思い、シリスは反論に出た。 「おまえは根本が間違っている。スーリャは男だ」 だから、範疇外だと。そういう間柄ではないと。 シリスはそう示したつもりだったが。 「お名前はスーリャさまとおっしゃるのですね」 それは墓穴を掘るだけとなり、シリスはザクトに新たな情報を与えてしまったのだった。 コンコン。 扉を叩く音と共に、入室の許可を求めるリマの声がした。これ幸いと、シリスはリマに入るよう許可を出す。一礼して入ってきたリマの手には、幾つもの書類がのっていた。 思わずシリスは顔をしかめる。 リマはそんなシリスの顔を気にするでもなく、室内に彼以外の人間がいることに気づいて足を止めた。 「来客中でしたか。また出直して参ります」 そう言って踵を返そうとした所を、当の客から呼び止められた。 「殿下。お久しぶりでござます」 椅子から立ち上がり、向き直って挨拶をしたザクトに、リマは微笑んだ。 「ザクトさまでしたか。お久しぶりです。お元気そうですね。やはりあの無能どもはあなたに泣きつきましたか」 穏やかな声に不似合いの辛辣な言葉に、ザクトは苦笑した。 「相も変わらず、お変わりなきようで」 リマにうながされ、再度、ザクトは椅子に腰掛ける。 手に持った書類をシリスの執務机の上に置いて、リマはシリスの斜め後ろに控えるように立った。 「今度は二人で何を企んでいらっしゃるのか、確かめに参りました」 「企むだなんて、人聞きの悪い。シリスから話は聞きましたか?」 「ええ。お話いただきました。それで今、陛下がお忍びで通っていらっしゃる奥宮の意中の御方について訊ねていたのですが。殿下は何かご存知ですか?」 ザクトの問いに考えるまでもなく、リマはスーリャの顔を思い浮べた。 意中の御方、ですか……。 今の所、そういう意味合いをして良いか微妙ですけどね。 そう思いつつリマがそっとシリスの顔色をうかがえば、目に見えて引きつっていることがわかった。 「ちなみに、その情報の発生源はどなたで?」 「ナイーシャさまですよ」 リマはため息を懸命に堪えた。 進展のまったくない二人に業を煮やして、外堀から埋める作戦に変えたといった所でしょうが……。 「……母がなんと言ったか知りませんが、二人はそういう関係ではありませんよ。彼が審判者です」 ナイーシャの思惑にのってもいいとは思ったが、たぶん、この二人の場合は放っておく方がいい。 そんな気がして、リマは当り障りのない言葉を選んで否定した。下手に口を挟んで、シリスの恨みを買うのは避けたい。 これもまた、一つの理由ではあったが。 「審判者、ですか。なるほど、それで――」 リマの思惑を他所に、ザクトはすんなりと納得した。 その様子にシリスは脱力する。 先程の返す言葉も無かった自分の存在が悲しい。 あの苦労はなんだったのかと、シリスはあらぬ方を見て、ため息をついたのだった。 |
************************************************************* 2006/07/12
修正 2012/02/01 |