天の審判者 <14> |
スーリャがこの世界に来て、一月が経とうとしていた。 奥宮での生活は至って平和だった。スーリャがシリスに言われた、命を狙われるようなことも今の所は無い。 この一月ばかり、スーリャは色々なことを習った。 言葉も文字も理解できたが、彼はこの世界のことを何も知らない。世界が違えば常識も、世情も、環境も、何もかもが違う。 彼は何も知らない赤子と同じだった。 けれど、いつまでも無知でいるわけにもいかなかった。人は異質な存在に敏感で、不自然な行動は不審に繋がり、いつ自分が『天の審判者』だと知られるかわからない。 そんな事態を招かないためにも、スーリャは必至で学んだ。その中には自分の身を守る術も、当然ながら含まれていた。 初めの言葉通り、主にナイーシャがスーリャにそれらのことを教えてくれた。 ただ彼女は多忙で、そんな中、多くの時間をスーリャのために割いてくれたが、それでもすべての時間を彼の勉強に当てることは不可能だった。 そういう時には、ラシャが彼女の代わりをした。彼女は教師として申し分ない知識を持っていた。 そうして知ったこと。 この世界はカイナと呼ばれ、この国はジーン王国と呼ばれていること。 ジーン王国は長い間続いてきた、歴史ある王国であること。 豊かな資源と整備された街道があり、他国との交易が盛んに行われているということ、等。 奥宮から出られないスーリャでは、実際にその様子を見ることはできない。残念だったけれど、それでも知ることは楽しかった。 勉強一日目。 ナイーシャの都合が合わず、ラシャが教師を務めたその日。 これ幸いとスーリャはナイーシャの問題発言について、どうしても気になっていたことを初めに訊ねた。 相手は奥宮の主。 権力を振りかざすような人間だとは思わないが、それでも力を持っていることに変わりはない。あれだけ嬉々としていたナイーシャに訊ねる勇気は、スーリャになかった。 「昨日のナイーシャさんの発言、覚えてるよね?」 当たり障りなく、言葉を紡いだ。 「……どの言葉でしょうか?」 少し考えてから、ラシャは訊ね返した。 「嫁、発言」 スーリャは自分で言った単語に顔をしかめる。ラシャは彼が何を言いたいのか、なんとなく察したようで苦笑した。 「今日は別の話をしようと考えていましたが。ジーン王国の婚姻制度について、まずはお話しましょうか」 スーリャはコクンと頷いたのだった。 「たぶんスーリャさまの聞きたい話はこのことだと思いますが、我が国、ジーン王国では同性同士の婚姻は認められておりません」 スーリャの顔が目に見えてホッとしたものになった。 それを目に留め、ラシャが複雑な顔になる。 「ただし――」 言いかけて、彼女は少し迷った。 「ただし?」 スーリャの表情が曇り、ラシャを不安げに見つめた。 「ただし、例外がございます」 「例外?」 訝しげなスーリャの声に、ラシャは頷いた。 「スーリャさまが着ていらっしゃる衣は、男女兼用の衣だと説明ましたのは覚えておいででしょうか。その衣が成人前の者が身につける一般的な物ですが、なぜ男女の区別がないのか、わかりますか?」 唐突に話が変わって、スーリャは首を傾げた。 何か関係があるのかと考えてみたものの、答えが見つからずに彼は首を振る。 「ジーン王国では、約三分の一の割合で中性の子供が生まれます。そして、至極稀ですが、両性の子供が生まれることもあります。だからこそ、性別の有無に関わらず子供の内は男女の差なく育てられます。男女兼用の衣を身に着けるのはそのためです」 「……中性?」 聞き慣れない単語に、スーリャは不思議そうな顔になった。 両性はたぶん、男女両方の性を持っている人間のことだろうと想像できる。 元の世界でそんな人物に会った記憶はないけれど、ここは異世界だ。 不思議だと思うことが常識として存在していてもおかしくはない。 でも、中性とは? 「中性とは男女どちらの性も持たない者のことです。時期が来れば、ほとんどの者がどちらかの性に分化します。分化の時期は人によって異なりますが、だいたい成人後数年の間に変わります」 その説明で、中性のことはわかった。 けれど。 「ラシャ。それと結婚の例外と、どう関係があるの?」 自分の頭の中でも考えを巡らしつつ、スーリャが眉間を寄せて訊ねれば。 「成人を迎えれば、婚姻が出来ます。それは中性の人間でも可能です。例えその後に性別が変化しようと――」 そこまで言われて、スーリャはやっとそれの意味する所がわかった。 「もしかして結婚した中性の人が、性別が変わって相手と同性になってしまうこともあるの?」 「ええ。そうです」 回答を見つけたスーリャに、ラシャはにっこり微笑んだ。 「でも、同性同士の結婚は認められていないって……」 「ですから、例外なのです。もし同性に変わってしまった場合、双方の意思で応が出れば婚姻の継続を。片方でも否が出れば、婚姻はなかったことになります」 「離婚するってことか」 へ〜と感心してスーリャが言えば、ラシャが首を振った。 「少し違います。初めから結婚していないことになりますから、離婚したことにはなりません」 「だから、例外なんだ」 フムフムと頷いているスーリャに、ラシャは言い辛そうに言葉を続けた。 「婚姻とは話は変わりますが、中性についてもう少しお話しておきますね」 「まだ何かあるの?」 スーリャが不思議そうにラシャを見れば、彼女はどことなく居心地悪そうな顔をしている。なぜだろうとスーリャが思っていると、彼女が続きを口にした。 「中性には二通りあります」 「二通り?」 意味がわからず、スーリャが訊き返す。 「生まれた時から中性の方がほとんどですが、生まれた時に男女どちらかの性を持っていた方が、成人前後数年の間に中性に変わることもあるのです。中性ですのでそこからまた新たに変わるのですが、ほとんどが元々あった性とは別の性別に変化します。男なら女に。女なら男に。たまに両性になる方もいます」 「……う、そ」 目まぐるしく色々な考えが頭を過ぎり、スーリャは呆然と呟いた。 「こちらは両性が生まれる割合よりも、少ないことではありますが……」 そう付け足されたラシャの言葉が、どの程度スーリャに伝わっていたかはわからない。 「俺も変わるとか言わないよ、ね?」 自分は異世界の人間なのだから違うはず、だよね? 断定出来ずに、哀願の表情で縋るようにスーリャはラシャを見た。 そんな彼の様子に、ラシャは困った。 返答次第ではスーリャを傷つけることになるかもしれない。けれど、可能性がまったく無いわけでもない。 「それはわかりません」 スーリャの問いに、ラシャはこう答えるしかなかった。 「ナイーシャさまは本人の意思を無視して、事を進めるようなお方ではありません。だから、大丈夫ですよ」 そんなことを言っても気休めにしか聞こえないだろう。それでも俯いてしまったスーリャを放って置けなかった。 実際、彼女の主人は本気で嫌がることを相手に強制するような人間ではない。 スーリャを気に入っているナイーシャが、そんな強行手段に出ることはないだろうとラシャは思っている。 しかも、今の段階では事を進める以前の問題がある。 なにせスーリャは男なのだから。 しばらく二人は無言だった。 「……そうだよね。そもそも俺の性別が今のままだったら関係ないことだし」 ラシャの考えていたことをスーリャも自分で見出した。 それは、単純明快なこと。 スーリャは顔を上げて、にっこりと笑った。 「俺にも選ぶ権利はあるけど、シリスにだって選ぶ権利はあるよな」 心配して損した〜と呟くスーリャの様子に、ラシャはほっとした。とりあえず浮上したらしい彼の姿に安堵する。 けれど、とラシャは内心で思う。 スーリャと接する時のシリスは本当に楽しそうで、その瞳はとてもやさしい色を宿して彼を見つめていた。 それは今は亡きラシャの夫が、自分に向けていた瞳の色とよく似ていた。 いずれは熱を帯び、恋する者の瞳に変わるだろう。 ラシャにはそのことが十分に予測できた。たぶんナイーシャも気づいている。 だからこそ、スーリャにああ言ったのだ。 でも、ともラシャは思う。 スーリャの心を捕らえるのは、シリスのすること。 今はまだ、ゆっくり育つのを見守る時なのだ。 「とりあえずの疑問も解消したことだし、勉強を始めよう」 ラシャはスーリャに向かって微笑み、初めから脱線してしまった勉強を再開したのだった。 |
************************************************************* 2006/07/08
修正 2012/01/17 |