天の審判者 <13>



「あなた達の知る審判者は降り立った国に滅び、または繁栄をもたらす者と言われているでしょう?」
それぞれの顔を見て、ナイーシャは確認するように言葉を紡ぐ。
頷く面々に、
「そうよね。私もそう教えたのだから、それ以外の話が出回ってない以上そう思うわよね」
一人納得するように呟いた。

「違うのか?」
訝しげにシリスが訊ねた。
「違うとは言えない。でも、それってかなりある人達にとっては都合の良い話よね。審判者にすべて押しつけて、国の簒奪者が自分達を正当化するのには好都合な話。そう思わない?」
「まあな」
「ということは、過去の審判者は偽者ですか?」
「すべてではないけど、何割かはそうよ」
「では、審判者の話はデマなのですね?」
リマの問いに、ナイーシャは首を振った。
聞き分けのない子供を諭すような顔になって、
「何割かは、と言ったでしょう。すべてが本当だとは言えないわ。でもね」
ナイーシャがお茶を口に運んだ。
ゆっくりと飲み下し、言葉を続ける。
「月の女神が何を考えて彼らをこの世界に送ったのか私にはわからないけど、その存在を蔑ろにはできないの。彼らは月の女神の愛し子。女神の嘆きは、それをもたらした地に災いを呼ぶわ」

なんともいえない沈黙がしばらく続いた。
シリスがそれを破り、訊ねる。
「ナイーシャさんはどうしてそのことを――」
先程の言葉といい、この話といい。
なぜナイーシャがそのような話を知っているのか不思議だった。それはリマもスーリャも同じで。
「シリスもリマも、私の家系のことは知っているでしょ? そういうことよ」
スーリャには意味がさっぱりわからなかった。
けれど、シリスとリマにはそれで十分だったらしく、なにやら納得したような顔で頷く。



「辛気臭い話はここまでよ。しばらくの間、スーリャは私が預かる。それでいいんでしょ?」
「ああ。そうしてもらえると助かる」
「世話係にはラシャをつけるわ。そのつもりであなたも昨日、引き合わせたんでしょうし。他の女官にはスーリャは私の遠縁の子で、社会勉強のためにしばらく預かることになった、とでも言っておく。このくらいの歳ならそこそこあることだし、それならたぶん不審には思われない。実際、スーリャにはこの世界のことについて勉強してもらう必要があるし、その他に色々覚えて欲しいこともあるから嘘にはならないでしょ。勉強は時間が許す限り、私が見るわ。ある程度のことならラシャも教えられるだろうし。何か他に言うことはある?」
「ない。それで進めてくれていい」
「スーリャもそれでいい?」
トントン拍子に話は進められ、スーリャはただ頷いた。
自分は居候で、どうこう言えるような立場ではない。

「では、決まりですね。だいぶ長居してしまいました。そろそろ戻りましょう、シリス」
話に切りがつくのを待っていたリマが、シリスに声を掛けた。
暇を告げて、リマは扉へと歩いていく。
「……ああ。そうだな」
そう答えるも、シリスはなかなか腰を上げなかった。
俯いて表情のわからないスーリャの頭を見つめる。
「シリス」
決して強くはないけれど、有無を言わさぬリマの呼び声に彼はやっと立ち上がった。スーリャの頭をポンポンと軽く撫でるように叩く。
「また来る」
スーリャにそう言い残し、ナイーシャに暇を告げて、シリスは扉へと向かった。その背にナイーシャが声を掛ける。
「来るのはいいけど、隠れて来なさいよ。それとやることを終えてからでないと入れないから、そのつもりでね」
パタンと軽い音を立てて、扉は閉まった。
「相変わらずナイーシャさんは厳しい」
シリスの小さな呟きと苦笑に、リマは肩を竦めるだけだった。



「さて。過保護な保護者は居なくなったわ。言いたいことがいっぱいあるでしょ。遠慮しないで、私に言って御覧なさい」
スーリャは顔を上げ、ナイーシャを見た。
「愚痴でも文句でも、何でもいいわ。一人で抱えていないで、心に溜まっていることを吐き出してしまいなさい。きっとすっきりするわよ」
再度促されるが、スーリャは口を噤んだままナイーシャを見つめるだけだった。
その様子にナイーシャは苦笑する。そっと立ち上がり、先程までシリスが座っていた所に腰を下ろしてスーリャの手を取った。
ナイーシャの膝の上で、彼女の両手に包まれるようにして、スーリャの両手がある。スーリャは困惑した表情を浮かべ、自分の手とナイーシャの顔を交互に見比べた。
やんわりと自分の手を取り戻そうと身動きするも、彼女に阻まれてしまった。

「あなたはシリスが思うよりも、その外見よりも、よほど大人だと私は思う。けどね、私からすればあなたも十分に子供。だから、甘えていいのよ」

割り切ろうとしても割り切れず、押さえても押さえ切れなかった思い。
シリスに気づかれ宥められた思いは、いまだスーリャの心の奥底に止まり、ふとした拍子に浮かび上がる。
それをナイーシャにも知られて、スーリャは居心地が悪かった。
彼女の言葉に甘えて吐き出せば、その瞬間は楽になれるかもしれない。
けれど。
ここで弱音は吐きたくなかった。
そんな自分を知られることが、スーリャはとても嫌だった。

頑ななその様子に、ナイーシャが息を吐き出す。
「あなたもシリスに劣らず頑固ね。……頼ってくれた方がこっちは心配も半減して、うれしさは倍増なのに」
少し淋しそうな表情を浮かべて、彼女は告げる。
「……シリスが頑固?」
何か言わなければと思い、スーリャは引っ掛かった台詞を繰り返す。

自分をからかい意地悪をするかと思えば、妙にやさしい所があったりする変な男は、頑固というよりも掴み所がなく、何事も軽くかわす人間のように思えた。
短時間でスーリャがシリスに対して思ったことをナイーシャに告げれば、彼女は笑いを懸命に堪えるような表情になった。
「よくわかってるわね。それもまた、シリスの一面よ。でも、根本は頑固なの。ある意味、意固地ね。あの子は必要最低限以上、他人に頼ることを嫌うの。弱みを見せることをとことん嫌がるのよ。しかも、ほとんど自分で解決出来てしまうから、それに拍車がかかるばかり」
本当に困った子と笑うナイーシャの表情は、母の顔に見えた。その瞬間、スーリャはナイーシャに好感を覚えのだが。
「そんなあの子が事情が事情とはいえ、あなたを私の所にわざわざ自分で預けに来るんだから――」
ブツブツと呟く彼女に少しだけ不穏なものを感じて、スーリャは訝しげな顔になる。

しばらくしてとりあえず物思いから脱却したのか。
ナイーシャがスーリャを見た。その顔には笑みが浮かんでいる。だが、彼の中ではむくむくと警戒心がわき上がった。
そう。これと酷似したモノをシリスから感じたことがある。
悪意はまったくない。けれど、気を抜けない笑顔。
絶対に何かある。
「出来れば、あの子の支えにあなたがなって欲しいの」
ナイーシャはスーリャの変化に気づいているのか、いないのか。
「あなた達がいるのに?」
どうしてそういう話に変化したのか理解できず、スーリャの声に訝しげなものが混じる。
面倒事を抱えて右も左もわからない、出会ったばかりの無力な自分に、先程会ったばかりの彼女がなぜそんなことを言えるのか。
スーリャには、ナイーシャの考えていることがまったくわからなかった。
「私達ではあの子の心の底までは踏み込めない。踏み込ませてはもらえないの」
何か事情があるのかもしれない。
立ち入ったことを訊けるはずもなく、スーリャは沈黙した。

次の瞬間。
ナイーシャはにっこりと微笑んだ。邪気のないように見えた笑みで、
「あなたなら大丈夫。だから、いつかシリスのお嫁さんになって支えてあげてね」
彼女は爆弾を投下したのだった。

「………」

スーリャは固まった。
ピシッと音が出そうな勢いで硬直した。

聞き間違い、だよね?

自問自答する。
そうだ。聞き間違いに決まっている。
そう結論を出しかけた時、
「スーリャならシリスを任せられると思ったの。というか、たぶんあなた以上に任せられる人はいないと思うの。だから、よろしくね」
脆くもその思いは崩れ去った。
そして、スーリャは混乱の極みに立たされたのだった。

よろしくって。
えっと。聞き間違いじゃないの?
本気で言ってる、とか。
場を和ますための、たちの悪い冗談だよね……。

ナイーシャの顔を恐る恐る見れば、相も変わらず邪気のない笑みを浮かべてスーリャを見ていた。
彼女と目が合い、バッと勢いよくそらす。
どう見ても彼女は本気だ。
それを感じ取り、スーリャは鳥肌を立てた。

シリスのお嫁さんって……なんでそうなる!
絶対に、無理。
無理ったら、無理。
ウエディングドレスなんか着てたまるか!
いや。ここの場合は、別かも。洋装じゃなく、和装に近そうだし白無――。
って、違う。
そもそも男は嫁に行かんだろ!



こうしてスーリャの異世界での本格的な生活は、始まったのだった。





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2006/07/01
修正 2012/01/17



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