天の審判者 <12>



「将来の希望はとりあえず置いておくとして、そうでないならどういうことなのか説明して頂戴」
ナイーシャの言葉にうっかり忘れていた本来の目的を思い出し、リマはシリスとスーリャに視線を移した。
二人はいまだに言い合いの最中だった。
というか、スーリャが一方的に食ってかかっているだけなのだが。
近くで話していたというのに、先程のとんでもない話は互いのことに夢中な二人には聞こえていなかったらしい。
確かにお似合いですよねと心の中で思いつつも、表面には出さず、リマはシリスに向けて手元にあった本を投げつけた。

シリスが反射的に受け止めたので、直撃という災難は免れる。
「……リマ。おまえはその手近にある物を凶器にする癖を直せ。いずれ確実に死人が出る」
引きつった顔でシリスは受け止めた本を見た。
どう考えても分厚いそれは、人に投げつけて良い代物ではない。
否、本自体投げる物ではない。

シリスは背中にいや〜な汗が滑り落ちていったことを感じていた。確実に急所を狙われていただけに、もしも受け止めそこねたら―― と考え、身震いする。
「凶器だなんて、人聞きの悪い」
リマはシリスの非難を物ともせずに、さも心外という顔になる。
「こんなことをするのはあなたぐらいのものですよ。殺気は隠さず投げたんですから、シリスなら防げて当然でしょう。これぐらいで当たっていたら、身体が怠けている証拠です。私直々に鍛え直さなければ――」
「いい! 遠慮する。 断固拒否する。だから、何だ。用があるんだろ」
リマの言葉を遮り、シリスは叫んだ。その顔は完全に引きつり、青ざめている。
隣でその様子をつぶさに観察していたスーリャはシリスに同情し、少しだけ不思議に思った。

リマってもしかして物凄く強い、とか。
色々な意味で。

長身細身で、いかにもデスクワーク専門みたいな印象がリマにはあったけれど、改めるべきかもしれないとスーリャは考えたのだった。

こうしてスーリャが自分の思考にふけっている間にも、話は進んでいく。
「用件を忘れているのはあなたの方よ、シリス。もうそろそろ私の疑問に答えてくれてもいいでしょう? あなたがスーリャをわざわざ私の元で預かって欲しいと言った理由は何?」
その声にスーリャがハッとしてナイーシャを見た。
シリスとの言い合いに気を取られ、うっかり彼女の存在を失念していた。
そのことを気にしている風でもなく、彼女はスーリャの視線に気づきにっこり笑いかけてきた。
「話す前に人払いを」
「ラシャはいいでしょ? その他はあなた達が来た時点で下がらせたわ。その時に遮断もしておいたから、この部屋の話はいっさい外にもれない。私の腕はあなたもよく知っているでしょう。だから、安心して遠慮なく話しなさい」
シリスの言葉を遮り、ナイーシャは言った。
やんわりとした言葉とは裏腹に、誤魔化しは許さないとその瞳が語っている。

シリスは深く息を吐いて、覚悟を決めた。
「スーリャをここで預かって欲しいと頼んだのは、ナイーシャさんの所が信用できて、一番安全だからだ」
それでも直接的な単語は言い辛く、シリスは言葉を濁した。
「そう。じゃあ単刀直入に訊くけど、この子は何者なの? その様子だとそこらの貴族の子とかじゃないんでしょ」
ナイーシャにもシリスがどう言えばいいか困っていることはわかっていた。けれど、この点をはっきりさせなければ今後の対応にも困る。
だからこそ、曖昧にすることなく彼の口からはっきりとした答えが欲しかった。

「……スーリャは、審判者だ」

しばらく待ってやっと吐き出された簡潔な言葉は、ナイーシャにとって予想外だった。目を見開き、彼女にしては珍しく動揺して訊き返す。
「……『天の審判者』のこと?」
「ええ。そうです」
リマが頷いた。
「空から降ってきて、湖の上で浮いていた。そんなことが出来る存在は審判者しか思いつかない。たぶん間違いない」
シリスがそう付け足せば、ナイーシャは無意識に詰めていたらしい息をふうっと吐き出した。
自分を落ち着かせるようにお茶を一口含み、ゆっくり飲み下す。
そして、スーリャの顔を見た。

「ちょっと確かめさせてもらっても良いかしら?」
ナイーシャはスーリャに右手を出すよう言った。拒否する理由もないので、スーリャは素直に右手を彼女に差し出した。
彼の手を取り、ナイーシャは上衣の袖を少しだけまくり、手首を露わにさせる。そっと指先でその部分に触れ、彼女は小さく呟いた。
「スー・リャ・ハール・メイ・イーリ・ルー・ディナ・シェ・イオ」
じんわりと触れられていた部分が温かくなる。
そして、変化は起こった。

スーリャの手首を一周するように突如、現れた不可思議な紋様。
驚いて、彼は手を引っ込めた。
「……本物なのね」
現れた紋様を目にして、ナイーシャは嘆息した。
「空の祝福を受けし、地上に降りた月の女神の愛し子、か」
「その印は古代神の一人、月の女神を示す物ですね」
シリスとリマが訝しげにナイーシャを見る。
「今でこそ『天の審判者』と呼ばれているけれど、遥か昔はそう呼ばれていたの。これは、その証」
「審判者は月の女神が遣わした者だったのか。知らなかった」
そう言うシリスの心境と同じ思いをリマも抱いていた。
今まで見たどの文献にもそれらしき話は載っていなかったし、聞いたこともなかったからだ。
「それが一概にそうとも言えないのよ」
疲れたように首を振って、ナイーシャは否定した。物問いたげな三つの視線を受け、彼女は物憂げな表情で己の知る事実を語る覚悟を決めるのだった。





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2006/06/27
修正 2012/01/17



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