天の審判者 <11> |
その様子に事情を察したナイーシャは、責めるようにシリスを見た。 「シリス。あなた、この子に何も説明してないわね」 その瞳と声はいたいけな子供をいじめちゃ駄目でしょ、と訴えていた。シリスは苦笑いで誤魔化して、何も言わない。 ナイーシャは深く息を吐いた。 「母さん。とりあえずは自分の名前を名乗らなければ失礼ですよ。肝心なこれからのことをシリスはまったく話していないみたいですから」 横から口を挟んだリマの言葉に、ナイーシャは額に手を当てた。 まるで頭が痛いとでもいうように。 「そうでしょうね。この子の今の様子を見ればわかるわ。そんな状態なら、とても不安だったでしょう」 ナイーシャはスーリャと目線を合わせて、安心させるように微笑んだ。 「私はナイーシャ。奥宮の主で、リマの母親よ。主といっても、奥宮には私しか先王の妃は残っていないけど。あなたのお名前は?」 そう言われてみれば、確かにナイーシャはリマによく似ていた。 髪の色も眼の色も同じで、男女の違いはあるけれど顔立ちも似ている。 「……スーリャです。本当の名前は思い出せないからわからないけど、今はそう呼ばれているから」 「そうなの。スーリャ、いい名前ね。誰につけてもらったのかしら?」 「シリス」 スーリャの答えにナイーシャは意外そうな顔をした。 ナイーシャが意外そうな顔をした理由は二つ。 一つは、シリスにそんな風情のある名前がつけれれたのかという、本人が知ったら思い切り顔をしかめそうなことを思ったから。 もう一つは、シリスが二つ名の方を、しかも呼び捨てで呼ばせていることに少なからず驚いたからだった。 二つ名とは王族の直系のみに与えられる特別な名前で、余程親しい間柄、大切な相手でもない限り呼ぶことは許されない。 その名は本質を示し、許してもいない人間に呼ばれると非常に不愉快な気分になるらしい。 昔、どのくらい不愉快か訊いたことがある。 いつも穏やかで朗らかだったあの人が、衝動で反射的にその人間を殴り飛ばしたくなるぐらいには不愉快だと言っていたから、よほどのことなのねと思ったものだけれど。 疑問には思ったが、それに対して今すぐに訊ねる必要性も感じない。 まずはスーリャの不安を取り除くことの方が先だろうと考えたからだ。 「何か聞きたいことはない? 遠慮せずに言って御覧なさい」 その言葉に背を押されるように、オズオズといった感じでスーリャが口を開く。 「ナイーシャさんは王妃さまなんだよね?」 「正妃ではないし、先代の王のではあるけれど。そうよ」 「リマのお母さんってことは、リマは王さまの子供になるの?」 「……ええ」 これは後で色々訊く必要がある、とナイーシャは内心思った。 シリスだけでなくリマも二つ名を呼び捨てで呼ばせているということは、スーリャには何かあるのだ。 それにスーリャはこの国の人間なら誰でも知っていそうなことを訊いてくる。 この国の人間ではないのだろうか? 彼の問いに答えつつ、ナイーシャは考えを巡らせていた。 「リマはシリスの叔父さんだって聞いたけど……」 「その通りよ。腹違いだけど、シリスの父親はリマの兄。歳はだいぶ離れていたけれど、違えようのない事実よ」 「さっきシリスが王だって……」 「本来ならシリスの父親が王位を継ぐはずだったの。けれど、あの方は王位を継ぐ前に亡くなられてしまった。だから、その息子のシリスが継いだの」 「ホントのホントにシリスが王さま?」 疑心暗鬼に満ちたスーリャの眼差しに、ナイーシャは苦笑を返す。 「疑いたくなる気持ちもわからなくはないけれど、シリスが今は王よ」 そこで今まで黙って事の成り行きを見守っていた、シリスが口を挟んだ。 「ナイーシャさん、その言葉はあんまりだ。スーリャもスーリャだ。訊くなら俺に訊けばいいだろ。本人がここにいるんだから」 憮然とするシリスを見て、スーリャが顔をしかめた。 「あんたを見て、誰がそんなことを考えるか! あんたの態度のどこをどう見て、王さまだなんて思いつくんだよ」 悪態つくスーリャの頭をグリグリと撫で回し、シリスはわざとらしくため息をつく。 「かなり傷つくんだけど、その台詞」 「離せ! 俺は子供じゃない」 頭の上のシリスの手を払い退けて、スーリャは彼を睨みつけた。 「どう見ても子供だろうが」 それを気にした風でもなく、シリスはおかしそうにスーリャを見つめる。 「もしかしたらあんたより年上かもしれないじゃないか。俺は思い出せないんだから、その可能性だってある」 「……それはないだろ。どう見ても、おまえは俺より年下。もしそんなことがあるとしたなら、スーリャはかなりの童顔だな。くっ、くっ、くっ」 堪え切れなくなって笑い出したシリスを、スーリャがさらにきつく睨みつける。 だが、効果はまったくない。 「うぅ〜、腹が立つ。だいたい――」 突然、目の前で始まったおかしな言い合いに、ナイーシャは目を丸くする。 けれど、すぐに気を取り直して、とりあえず傍観者になった。 止めるよりも見物に回った方が面白そうだ。 それにこの光景は実に微笑ましい。 「なんだかんだ言いつつも、この二人は気が合うんでしょうね」 同じく傍観者となっていたリマが、ナイーシャに話し掛けた。 「ええ。そうね。本当に気が合うみたいで。よかったわ。シリスも良い相手を見つけたわね」 少し温くなったお茶を飲み、ナイーシャが相槌を打った。 「……母さん。それはどういう意味で言ってますか?」 微笑を浮かべ、二人の様子を見守っているナイーシャの言葉に、妙な含みを感じてリマが問えば、 「結婚相手を見つけたから、紹介に来たのでしょ?」 返ってきたとんでもない勘違いに、リマは小さく呻いた。 お茶を飲んでいない時でよかったと心底思う。確実に噴出していたはずだ。 「初めに預かって欲しい、と言いましたよね?」 ナイーシャの誤解を解くべく、リマは姿勢を正して言った。 どこをどう見てそう感じたのかわからないが、このままでは色々な方面に波紋が及ぶ。当事者二人が喧喧囂囂の態で聞こえていない、今の内ならまだ間に合うはずだ。 「ええ。今から王妃教育をさせるためでしょ? 結婚するにはまだ早いから」 話が噛み合っていないことに気づいたらしく、ナイーシャは不思議そうに息子を見た。 「……違います。それに彼は男性です」 根本的な問題の部分を、リマは訂正した。 男同士では結婚できない。 「中性ではなく?」 「ええ。男性です」 少し考えるような素振りをした後、 「……そう。あんなに可愛らしいのに、勿体無いわ」 ナイーシャは呟くように言った。 けれど、諦めたかとリマがホッと息をついた時。 「男性でも稀に性変化する子もいるし、そうならないかしら。ぜひともシリスのお嫁さんに欲しいわ」 期待とは裏腹なナイーシャの言葉に、リマはどっと疲れを感じた。 「……彼らの意見は無視ですか」 「あんなに気が合う二人だもの。大丈夫でしょ」 にっこり微笑まれては、リマもそれ以上強く言えない。 我を張るわけでもないのに何も言えなくさせてしまう力が、ナイーシャの笑みにはあった。 今後、彼女の思いに二人がどのように巻き込まれるかはわからないが。 とりあえず傍観することを、固く心に決めたリマだった。 ま、害はないでしょう。 そう結論を出し、彼はそのことについて考えるのを放棄した。 |
************************************************************* 2006/06/23
修正 2012/01/17 |