天の審判者 <10>



「下ろせ! 自分で歩ける!」
スーリャは真っ赤になって、怒鳴った。
そうしている間もシリスはどんどん進んでいく。
「いいから大人しくしていろ。口も閉じていろよ」
スーリャを抱えて歩いているというのに、シリスは平然とした様子だった。
彼の抵抗をものともしないで歩いている。
「下ろせったら、下ろせ! 俺は歩ける」
抵抗することも喚くことも止めないスーリャに、シリスがため息をつく。
足を止めないまま、
「あまり喚くと、強制的に口を閉じるぞ」
不穏な言葉にスーリャがシリスの顔を見上げると、その顔には何かを企んでいるような笑みが浮かんでいた。

嫌な予感がする。

スーリャが抵抗を止めて、口を閉ざした。
リマがいたら間に割って入って止めてくれるかもしれないが、あいにく先程途中で別れてしまった。
ラシャもそれについて行ったので、ここにはシリスとスーリャしかいない。
「両手が塞がっていても、口を塞ぐ方法があるのを知っているか?」
スーリャが大人しくなったことはわかっているだろうに、シリスは言葉を続けた。
嫌な予感は強くなり、スーリャは思い切り首を横に振る。
先程とは別の意味で、シリスから離れようと無言でもがいたが、シリスの腕から逃れられない。

「ついでに抵抗する気も削げるかもな」
シリスは飄々と言って、
「……実行してやろうか?」
ガラリと印象を変えた低い声で言葉を紡ぎ、その耳元に囁く。
スーリャの肩がビクリと震えた。いつの間にかシリスは立ち止まっていたのだが、それに気づく余裕すらなかった。
彼の顔がゆっくりと近づいてくるのに身体を強張らせ、スーリャは顔を出来るだけ背けて目をギュッと瞑る。

どのくらい経っただろう。
たぶんほんの少しの間だろうが、スーリャにはそれがとても長く感じられた。

「くっ、くっ、くっ」

上から降ってきたのは、堪えても堪え切れなかったとでも言いたげな笑い声。
スーリャが恐る恐る目を開けて見れば、笑顔のシリスがそこには居た。そこでやっと自分がからかわれていたことに気づいて、スーリャが顔を紅くする。

そうだった。
シリスはそういう奴だった。

学習しない自分に腹が立つ。
まんまとのせられからかわれた自分を、スーリャは呪いたくなった。
「そんな顔をするな」
唇を噛んで俯いたスーリャの不意をつくように、ふわりとやわらかい感触が額を掠めていった。
覚えのある感触に、スーリャは音の出そうな勢いで顔を上げる。
文句の一つでも言ってやろうと思ったのに、その思いはすぐに消えてしまった。
シリスが何を考えて、そうするのかスーリャにはさっぱりわからない。
けれど、彼の瞳を見つめると何も言えなくなってしまう。
なぜかなんて理由はわからない。
シリスは今もやさしい穏やかな光をたたえる金色の瞳でスーリャを見ていた。

「どうやらからかい過ぎたらしい。悪かったな」
謝罪の言葉に、スーリャは小さく頷いた。
「さて、お姫さま。目的地に着いたんだが、下りるか?」
舌の根も乾かないうちに懲りずに茶化すシリスを、スーリャは睨みつけた。
けれど、相手にしていて疲れるのは自分だと思い知ったので、その点に関しては何も言わず、
「下りる」
簡潔に用件だけを言った。

いつの間にか目の前に大きな扉があった。
この先にいったい何があるのだろう。
地に足を下ろして、スーリャは無駄に大きい扉を見上げた。
その横で、シリスはコンコンと扉をノックする。
「俺だ」
慇懃な言葉に、スーリャは呆れたように隣を見た。
物問いたげな彼の視線を気にした風でもなく、シリスは飄々と立っている。

すぐに扉は開き、そこにラシャが居たことにスーリャは驚いた。
「ナイーシャさまがお待ちです。どうぞお入りください」
先に到着していたらしい。
部屋の中には年配の女性とリマがいた。
この人がたぶんこの部屋の主で、ナイーシャなのだろう。
リマの説明によれば、ここは奥宮で、先代の王さまのお妃さまがいる所。
ということは、この人は――。

「いらっしゃい。ひさしぶりね、シリス。元気そうでよかったわ」
勧められるままナイーシャに対面する長椅子に、シリスとスーリャが腰を下ろす。
ずいぶんとくだけた物言いに、スーリャは気が抜けてしまった。
「ええ。そうですね。ナイーシャさまもお元気そうでなによりです」
シリスが丁寧な口調でにこやかに答えれば、
「……あなたにそうかしこまられると歳を取ったと思い知らされるわ」
ナイーシャは心底嫌そうな顔になり、
「いつも通りにしなさい。あなたがそういう態度を取れば、私もそれ相応の対応をしないといけなくなるわ。仮にもあなたは王でしょう」

スーリャはギョッとした。
声もなく驚くが、それを気に留める者はこの場にはいない。
「仮にもって……。相変わらずきついなぁ〜、ナイーシャさんは」
いつもの口調に戻ったシリスは、そう言いながらも笑顔だった。
「それであなたがここまできた用件だけど。その子をここで預かればいいのよね?」
「は?」
訊かれたシリスより、隣にいたスーリャの方がいち早く反応した。
その声にナイーシャがスーリャを見る。その顔は今にも泣き出しそうなほど歪み、困惑しきっていた。
ラシャがスーリャの前に香りのよいお茶を置いたが、それにも気づかない様子で彼は縋るようにナイーシャを見つめていた。





*************************************************************
2006/06/18
修正 2012/01/16



back / novel / next


Copyright (C) 2006-2012 SAKAKI All Rights Reserved.