求婚 <9>



「なんかあんたの存在って反則だよな」

ドンとグラスをテーブルに置き、聖は据わった目でテーブルを挟んで向かいのソファに座る烙を睨みつける。
面白そうな顔をしてその視線を受け止めた烙が、空になった聖のグラスに酒を注いだ。すると聖は、それをまた勢いよく飲み干す。
見事な飲みっぷりだが、その頬はアルコールによってほんのり赤く色付き、酔ってくだを巻いている状態だ。

今まで聖は頑なに烙の誘いを断り続け、彼の前で酒をまったく飲まなかった。
烙の方も無理強いするつもりはなく、断り続ける聖の様子に好まないのかと思っていたのだが、この様子でそれは違うことが判明した。
本日、初めて烙の晩酌に付き合った聖だったが―― 彼はすごく酒に弱かった。しかも、絡み酒だ。

「そりゃあさ、力が強いのはあんたの生まれ持った資質だよ。でもさ、あれはさ……ずるい。絶対にず、る、い」

先日の協会での一件を言っているのだろう。
ふくれっ面で新たに酒の注がれたグラスを両手に持ち、心持ち上目使いで睨む聖の姿は無自覚だろうが色気がある。けれど、その言動は聞き分けのない子供のようだった。

その妙なギャップが、逆に烙の好奇心を刺激する。
「そうか ? 」
ひょいと片眉を器用に上げて短く問う烙に、聖がコクリと頷いた。
「…………おかわり」
コクコクと酒を飲み干したグラスを両手で差し出し、聖は酒を要求した。それに苦笑しながら、烙は彼のグラスに酒を注ぐ。

「あんた無敵じゃん。……俺じゃあ、無理」

聖の本音がポツリと零れ落ちた。
俯き、グラスの中で揺れる酒を見つめる彼の唇が、不満を示すようにわずかに尖っている。

「無敵、か。俺を生かすも殺すも聖次第だが ? 」

キョトンとした表情で烙を見た聖に、彼は微笑みかける。
こんな風に無防備な感情をさらす聖が愛おしい。

「俺の名は ? 」
「らく」

酒が回ったトロンとした瞳で烙を見て、舌足らずな発音で聖は彼の呼び名を口にする。コテンと不思議そうに傾げられた首に、烙の笑みが深まった。
「真名の方だ」
その言葉に促され、
「し、らく ? 」
聖が出会ったあの日以来、一度も呼ぶことのなかった真名を口にする。

真名は己を縛る。ウイの一族にとっては、制約以上の絶大な拘束力を持つ。
だからこそ、真名を捧げるのは伴侶のみ。
伴侶以外に呼ばれることなど、屈辱以外の何物でもなく―― 真名を愛しい伴侶に呼ばれることは、この上無く甘美で至福なことだった。

よくできましたというように微笑まれ、聖の頬が酒とは別の影響で赤みを増す。
顔立ちが整い過ぎているために、無表情でいると近寄りがたい雰囲気の烙だが、こうしてやわらかく微笑むときれいなだけに聖はドギマギしてしまうのだ。

「おまえだけが、俺を殺すことができる」

烙の言葉を聖は理解しようと視線をさまよわせて考える。

殺す ?  この男を…… ?
殺せるわけがない。……殺す理由も、ない。
それなのになぜ、そんなことを言うのか。

考えれば考えるほど、疑問がわき上がってまとまらない。
眉間に寄った皺から、聖が言葉の意味を理解できていないことを悟った烙が言葉を変える。

「おまえだけが、俺を支配できるということだ」

言い直された言葉はすとんと聖の中で理解されたが、
「嘘だ !  あんた俺の言うこと、まったく聞かないじゃないか」
プリプリと怒り出し、彼は烙を睨む。

勝手に不法侵入して、勝手に居座って。
部屋は改造するし、物は増やすし、……無言で来なくなるし。
聖の日常に入り込んで、それが当然のように馴染んでしまった烙。
聖の思う通りになんかまったくならない。

「まあ、そうかもな。だが、初めはともかく、おまえがどうしても嫌がることを強要した覚えもないはずだが――」
聖は無意識にフラフラと上体を揺らし、烙と出会ってからの記憶を探る。
思う通りになんかまったくならないけれど、烙は聖のお願いを聞いてくれる。
互いに譲れない部分がある。だから、聖が譲歩する部分もあるけれど、それでも烙が彼の意思を汲んでくれていることには気づいていた。
「……そうかも」
ぽつりと呟き、聖はヘラリと笑う。
強要されたことなどない。ただ一日の内の数時間を、共に過ごしていただけだ。そのやり方が多少強引だったとしても、烙は聖に無理強いすることはなかった。

何が楽しいのか、聖はそのままニコニコと笑っている。

このままもう少し酔った聖と話していたい。
素直な言葉を口にする彼を堪能したい。

そんな思いが烙の胸中を渦巻いていたが、飲ませ過ぎはやはりよくない。特にこんな状態の彼に、これ以上の酒は色々な意味で危険だった。
ちょうど酒瓶が空になったこともあり、烙は今日の晩酌を終わりにする。
酒瓶を片付けた烙が動作すら怪しくなってきた聖の隣に移動し、不意を突くようにその手からグラスを取り上げた。

「いや。もっと飲む」

聖の手が完全に届かない位置に彼のグラスを置き、烙はふうと息を吐き出した。聖はグラスを取ろうと、座ったまま手を伸ばしている。これでは本当に聞き分けの無い子供だ。

「もうやめておけ。明日、二日酔いになるぞ」

面白くて、ついつい飲ませてしまった覚えがある。いくら体質的に頑丈だとはいえ、ここまでアルコールに免疫がないとなると明日は二日酔いになる可能性だってある。
烙はフラフラと上体を揺らす聖の額を小突き、その背をソファに預けさせる。
聖には自分が酔っ払っている自覚など皆無だろう。烙がこれほど傍に近付いても無警戒など、普段の彼の態度からすれば考えられないことだ。

ようやく己のグラスには手が届かないと理解した聖が、次に目をつけたのは烙のグラスだった。彼はふらりと立ち上がり、左手をテーブルについてふらつく身体を危うい感じで支え、向かい側にあるグラスに右手を伸ばす。
聖の手がグラスに届く前に、烙はひょいと己のグラスを手に取り、残りの酒をあおった。

物が無ければどうしようもない。
グラスが空になれば、聖もこれ以上飲むとは言わないはずだ。

烙は単純にそう考えた。だが、相手は酔っ払いだ。
その予想は見事、裏切られた。

烙の膝にまたがるように乗った聖が彼の肩に手を置き、グラスの離れた烙の唇に自分のそれを重ね合わせたのだ。
さすがに驚いた烙が目を見開き、動きを止める。
聖はそのまま口内に舌を差し入れ、烙の舌をチロリと舐めてから唇を離し……。

「……ない」

不満そうに呟いた彼はぺろりと己の唇を舐め、不機嫌そうに唇を尖らせる。
烙は深く長く息を吐き出し、己を落ち着かせる。
さすがにこの不意打ちは想定外で―― 不本意だった。唇だけとはいえ、襲う予定の相手にまさか襲われるとは思わなかったのだ。

「酔っ払いはさっさと寝ろ」

くしゃくしゃと聖の髪をかき混ぜる。
一族としては別に二、三日、睡眠を取らなくても支障はない。ただ、聖は人間のようにしっかり毎日睡眠を取る生活をしていたし、この状態の彼をなんとかするにはそれが一番都合がよかったのだ。
本人も眠くなってきたらしく、子供のように目元を擦っている。

「……寝る」

そう宣言し、自分の寝室に引き上げるかと思えば、ごそごそと烙の膝の上で身動きし、具合の良い体勢を探り当てた聖は、そのまま彼にもたれかかるようにして眠ってしまう。
安らかな寝息に重なるように深いため息がその頬をかすめるが、そのくらいで目を覚ますような浅い眠りではないようだ。

「……手に負えんな」
とんでもない酒癖の悪さだ。

ぼそりと呟き、己が乱した聖の髪を手櫛で丁寧に整える。
言葉とは裏腹に、その顔はおかしそうに笑っていた。

「明日の朝が楽しみだ」

今夜のことを聖がどの程度覚えているかわからないが、この状況を作り出したのは烙ではなく彼自身だ。普段は警戒して不必要に寄ってこないというのに、酒の力とはいえ、自ら擦り寄ってきたこの僥倖を逃すわけがない。

明日の朝、目覚めた聖はどんな反応を示すのか。
手に入れるならば、身も心もすべて手に入れる。そうでなければ意味がない。

このまま据え膳を食べてしまいたい衝動を抑えながら聖の身体を支え、その髪を梳いて烙は笑う。
腕の中の温もりは存外心地良く、手放し難いものだった。





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2012/03/18
修正 2013/12/29



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