求婚 <6>



いつもと同じように仕事に行き、いつとも同じように家に帰る生活。
家に帰れば、当然の如く、烙が居る。それが聖の日常。
変化のない単調な日々で、最近ではこれが当たり前になっていた。

そこに変化が訪れる。烙が姿をまったく見せなくなったのだ。
朝はともかく夕方、仕事を終えて帰宅しても烙の姿が無いというのは、彼がこの部屋に入り浸ってから初めてのことだった。
あくまで烙は不法侵入者であって、この部屋の住人でも居候でもないのだから、本来なら居なくて当たり前の存在だ。だから、急に姿を見せなくなったからといって、それがなんだというのか。
ようやく元の平和な日々に戻ったのだから、清々したと言っても過言ではない。
そう自分に言い聞かせつつも、聖は習慣で二人分の食事を作ってしまった食卓を見つめ、ため息をつく。

「……何やってんだろ、俺」

いつの間にか烙がこの部屋にいることが当然になっていたのだと、改めて思い知らされた。
食事を始めても、以前よりも美味しく感じない。
ひとりで食べる夕食は味気なくて……箸を止めて、無意識にため息をつく。

そんな日々が一週間も続けば、さすがに自分で自分を呆れもする。
淋しい、なんて……そんなはずない。
これが今まで普通だったのだから、それに戻っただけだ。
頑なにそう思い込み、もそもそと夕食を食べ、片付けをして風呂に入り、自室のベッドに潜り込んだ。頭まで掛け布団を被り、丸まって目を閉じる。
こうすれば自然と眠れる。眠れば何も考えないで済む。

そうしてうつらうつらとしていた聖は、張ったままだった結界内に侵入者が現れたことを感知して飛び起きた。
そのまま自室のドアを蹴り飛ばす勢いで開け、居間に直行し、その入口のドアを開け放った所で我に返って固まる。
視線の先では驚いたようにわずかに目を見張った烙が所在無げに立ち、こちらを見ていた。

「……寝ていた所を起こしたか」

その呟きに、聖の硬直が解ける。
「そうだよ。こんな遅くに来るな」
眉間に皺を寄せ、口を小さく尖らせる聖に、烙は器用に片眉を上げてみせた。
室内の明かりは天井の豆電灯しかないが、夜目の利く二人にはそれだけあれば昼間と同じくらい見える。

「遅くでなければ来ても良いのか ? 」
あげ足を取った烙を聖がきつく睨みつける。
「俺がどうこう言おうと、あんたは勝手に出入りしてるじゃないか。だいたい今までどこに……」
そこまで言い掛けて聖は己の失言に気づき、口を噤む。その顔が一瞬、しまったとしかめられたことを見逃す烙ではない。
だが、ここで追い詰めては聖の態度が頑なになるだけなのも理解していた。

「長の仕事をしてきただけだ。一言告げて行けばよかったな」
聖が求めているだろう答えを告げて、彼の様子を観察する。聖は少しだけ気まずそうに視線をそらし、フローリングの木目を意味無く見つめた。
「……そうだよ。習慣でうっかり夕飯作り過ぎて困ったんだからな。ま、次の日の昼の弁当に回してなんとかやりくりしたけど」
ブツブツと言い訳がましく呟く聖の言葉に、烙の顔に笑みが浮かぶ。
どうやら自分の存在は、聖の中である程度の価値を持つ存在になっていたらしい。

最近は、だいぶ警戒心が緩くなっていることに気づいてはいた。聖の生活空間に半ば強引に割り込み居座る内に、彼が一族の中では珍しい性質を持っていることも知った。

ウイの一族は基本的に他への関心が薄い。唯一、強く関心を持つ存在が伴侶であり、出会ったら最後。それ以外はどうでもいいとも言える。
烙にもその性質が強く現れている。けれど、聖は好奇心が強く世話焼きで、感受性が豊かという真逆とでも言えそうな性質を持っていた。
力が強い者ほど一族の性質が強くなるのは確かだが、それでもこれほどその性質から外れる存在というのも珍しい。

自分に対する世話焼き具合もその辺からきているのだろうと、烙は思っていた。
それは間違いではないだろうが、それでも自分が彼のテリトリーに居るのが当然と、そういう風に思われているとわかるのは悪い気はしない。むしろ、かなり気分が良い。

聖は正直だが、けして素直ではない。
この言葉も無意識に出たものだろう。

近づく気配に、聖は顔を上げた。目の前に烙が立っている。
烙の方が背は高いので、その顔を見るために聖は自然と少し上を向くことになる。
「ただいま」
子供のようにグリグリと頭を撫でられて、聖はその手を咄嗟に払い落とし、烙を睨み上げたのだが――。

「…………おかえり」

早口に小さく呟き、脱兎の如く寝室へと駆け戻り、ベッドへと直行する。
掛け布団を頭まで被り、小さく身を縮め、聖は己の変化に混乱していた。
彼はかつてなく跳ね上がって早鐘を打つ心臓と、勝手に熱くなった頬を持て余す。だが、それも時が経てば次第に落ち着きを取り戻した。
よくわからない身体の変化に戸惑いつつも、それが何を起因にしているかなんて答えは見つからない。こんな感覚は初めてのことなのだ。

そうこうしている内に睡魔に襲われ、聖はいつの間にか眠りにつく。
翌朝、すっきりと目覚めた彼の中で、昨夜の混乱は忘れ去られていた。





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2012/03/09
修正 2013/12/29



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