求婚 <3> |
聖の今の仕事は品出しやレジなどの店内業務全般、要するに店員である。 種族の特性上、聖は不老である。 ウイの一族でも少年期から青年期にかけては、人間のように外見も歳を取る。けれど、青年期に入ってしばらくするとそれも止まる。 聖の場合もそうで、外見上の年齢が止まってだいぶ経っていた。外見上は十代後半から二十代前半に見える彼だが、実年齢はその何十倍にもなる。それでも一族の中では若い部類に入った。 人外の生活圏で暮らす分には外見を気にする必要もないのだが、ここは人間の生活圏だ。外見は同じだろうと、歳を取らない人間などいない。 ここで暮らすためには、彼らに怪しまれないためにも、数年から十数年の単位で職と住処を変える暮らしをするしかなかった。 それをしなくても済む職もあるにはあるのだが―― あれは少し別格で、今の聖が求める職とは少し違う。 種々の事情はあれど今日も仕事に励んでいた聖だったが、品出しをしていてふと顔を上げた時に目の端に映った人物に首を傾げた。 なんとなく違和感があり、よく見ればどうやら姿を隠すために身の周りに小規模の結界を張っていることがわかる。力関係が上位である聖には普通に見えるが、他の人間には見えていないようだ。 中年に見える男は聖の視線に気づきもせずに、周囲をキョロキョロと忙しなく見回している。その様は何かを警戒しているようにも見えた。 姿は人間の中年男だが、その正体は人間の姿に擬態した人外の者だ。こんな人間の客を対象にした人間専門店の客にしては少し奇妙である。 ただ、稀に擬態した人外が、素知らぬ顔で人間に混じって買い物をしていくこともある。だから、絶対とは言えない。 言えないのだが、買い物をするなら人外専門店もあるし、種族にこだわらない店もある。 わざわざ人間専門店に入って、買い物する人外は余程の物好きだ。 自分のことはすっかり棚に上げて、聖はそう思っていた。 他人から見ればその物好きに彼自身も含まれているのだが、そんなことは露とも考えない。 今、聖が目で追っている中年男は、彼の考える物好きとは様子が違った。 擬態した上で、わざわざ姿を隠しているのだ。買い物をするならば、そんな必要はない。その行動を怪しむなという方が無理だった。 聖は何気なさを装って持ち場を離れ、気配を消して男に近づく。 「お客さま、何かお探しでしょうか ? よろしければ、わたくしめがご案内いたしますが」 男の後を付け、周りに客がいない棚の間に入った所で声を掛ける。 怪しすぎるが単なる客の可能性もわずかに残っている。だから、営業用の笑みも浮かべて、丁寧に問い掛けたのだが――。 「 ! ! 」 間近で聞こえた声に驚き、男は立ち止まった。周囲をキョロキョロと見回し、他に誰もいないことを確認する。 その言葉が自分に向けられたものだと認識した男は、聖を睨みつけた。 「なんで俺が見える。協会の手の者か ? 」 警戒して瞬時に聖から離れた男に、彼は肩を竦めてみせた。 「協会、ねぇ。あんた、なんか追われるようなことでもやったの ? 」 どうやら客でない上に、厄介事を抱えているらしい。そんな男にわざわざ気を遣って丁寧に対応する必要もない。 男の態度からそう判断した聖は、普段の口調に戻り、小さく嘆息する。 男が口走った" 協会 "という単語は、聖にもけして馴染みがない場所ではない。だから、そこがどんな所で、どんな生業をしているかもよく知っている。 そして、この男の怪しい行動とその単語は、無関係ではないはずだ。それくらいの推測はつく。 「……ん ? こんな場所に居るから人間かと思えば。おまえ、お仲間じゃないか」 聖が人外の者だと悟った男の警戒心がわずかに緩む。 「その外見は擬態じゃないな。ということは、あの一族か。珍しいこともあるもんだ。それにしてはえらく力が感じられないが、隠しているのか ? 」 男が聖との距離を少しだけ縮める。ニヤついた嫌な笑み浮かべた男は、上から下まで下卑た目で聖を眺め、不躾な言葉で彼の地雷を踏んだ。 聖の顔が一瞬、引きつる。だが、男はそれに気づかなかった。 確かに聖は、ウイの一族としては微弱な力しか持ってない。本人もそれは重々承知している。 己の力量の把握は、生きる上で重要だ。否定した所で、事実の前ではなんの意味もない。何ができて何ができないか把握していなければ、いざという時に生き残れない。 だから、一族内では微弱だろうと、他の種族よりは力を持っていることも知っていた。この目の前の男よりも、自分の方が強いと聖は断言できる。 だが、困ったことにこの男は、相手と自分の力量の違いも理解できないほど小物だった。こんな低級な奴を相手に、真面目に対応する必要はない。追われているだろう協会に、通報してやればそれで済む。 幸いなことに、この店舗は協会の支部から近距離に建っている。通報すれば、すぐに捕獲要員が派遣されてくるはずだ。 理屈ではわかっている。わかっているのだが――。 聖は力を隠しているのではない。これが彼の普通だ。 そして、他人にソレを指摘されることが、彼は昔から大っ嫌いだった。 「お仲間、ねぇ。俺は協会に追われるような奴の仲間になったつもりは、これっぽっちもないよ。おまえ、食人鬼だろう。ここはおまえの来るような場所じゃない。さっさと去りな」 目の前の男は食人鬼。これは正式な種族名ではなく俗称なのだが、彼らはこの呼び名をひどく嫌っていた。 肉食で、特に人肉や血が大好物な彼らの呼び名としては間違っていないと思うのだが、本人達にすればそんな低俗なモノではないということになるらしい。 聖はそれを理解した上で、わざとそう言った。内心の苛立ちを抑えて男を見下すような態度を取り、嘲笑する。すべてはこの気にくわない男を店外に出して、手っ取り早く協会に放り込むためだ。 実年齢はともかく。外見は未成年にも見えそうな聖から、いかにも馬鹿にしているような態度をされると、相手の方はいっそう癪に障るらしい。長年の経験から、聖はそのことも知っていた。 そして、思考がどこまでも単純だった男は、彼の思惑通りにその挑発に易々と引っ掛かった。 「一族だかなんだか知らんがな、そんなカスみたいな力で粋がるんじゃねぇよ。だが、そんなんでもあの一族だ。おまえを食えば俺の箔が付くってもんか」 この発言は聖が挑発したためでもあるのだろう。だが、更に彼の地雷を踏んだ男に、情状酌量の余地はない。 半殺し、決定。 この瞬間、男の運命は決まった。 半殺しにしてから、追われているだろう協会に放り込んでやる。 聖は心の中で誓った。 本当なら殺ってしまいたい。ただ協会に追われているなら、そうすると後々面倒な事になる可能性がある。それは忌避するべきだと、最後に残った理性でそれだけは諦めた。 この時、ここが自分の職場で仕事中だということは、聖の頭の中から吹き飛んでいた。だから、襲いかかってきた男に彼は、自身の力で強化した拳を突き出そうとして……目前に突如発生した異様な空気に動きを止めた。 目の前の空間が歪み、黒い渦が発生する。 勢いよく渦にぶつかった男の姿は吸い込まれて消え、すぐに渦も消滅する。 それらはほんの一瞬の出来事だった。 聖の目には人気の無い、陳列棚の間にある通路が見えるだけだ。それは、瞬きを繰り返しても変わらなかった。 行き場を無くした拳を開き、聖は深く息を吐き出す。 「なんだよ、あれ」 目の前で何が起こったのか、彼にもよくわからなかった。けれど、アレを施した人物に心当たりがないわけでもない。 「……仕事に戻るか」 考えるだけ無駄だ。早々に聖は考えることを放棄する。 答えを知っていそうな奴は、家に帰れば絶対に居るのだ。何が起こったのか気になるけれど、今、大慌てで帰っても単に奴を喜ばすだけ。 そんな確信があった。それこそ、うれしくない事態だ。 おかしそうに笑う男の顔まで想像してしまい、聖は思わず顔をしかめる。 それらを振り払うようにブンブンと首を横に振り、我に返ってそんな自分の行動にため息をついた。 結論を先送りにした彼は、重い足取りで仕事へと戻ったのだった。 |
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