求婚 <2>



聖は" 人間 "というものにとても興味があった。
ウイの一族と同じ姿形を持つが、その力は弱く、身体も脆く、寿命もとても短い。けれど、繁殖力は旺盛で、互いの欠点を補うように群れて生活し、自分達の力を最大限に生かして強者である人外と対等に渡り合う。

姿形以外、一族とは何もかもが異なる人間という存在。

彼らの存在そのものが聖にとって鮮烈で、興味の対象だった。だから今、彼は人間の社会の中で暮らしていた。
それが彼の日常。だが、そこに非日常な存在が紛れ込んだ。



「物好きだな」

仕事から帰ってきた聖に向けて掛けられた声。それをたどれば、見慣れないソファにどっしりと腰掛け、グラスを傾ける烙の姿があった。

「そういうあんたは暇人だよな。っていうか、勝手に他人の部屋を改造するなよ、不法侵入者」

朝、部屋を出た時にはいつもと変わらぬ1LDKアパートで、烙の姿もなかった。鍵はしっかり掛け、侵入者防止のために結界まで張って出勤したのだ。
いくら聖がその手の作業が苦手だといっても、そこは人外最強の一族。そんじょそこらの相手では、この部屋に侵入などできない。
なのに、その甲斐も無くこの部屋には烙が居る。その上、部屋の大きさが明らかに変わっていて、設置された家具も増えていた。
烙の座っているソファもその一つだ。

空間を歪めて異空間を作り、それを実空間と繋げて維持することで部屋を広くしたのだろうが、力の無駄遣いだと聖は心底思う。力が有り余ってそうなこの男からすれば、そんなこと気にする必要も無いのだろうが……。

聖の非難の視線など物ともせずに、烙は琥珀色の液体を平然と口に運ぶ。
彼が愛飲しているその酒は、度数が非常に高い。以前、何の気なしにラベルを見て、そこに書かれた度数に聖は思わず自分の目を疑ったくらいだ。
本来なら割って飲むだろうそれが、烙によって次々にそのまま飲み干されいく様は、聖の眼には理解不能な光景としか映らない。
烙に酔いの兆候はまったくなく、そこには見慣れてしまった男の姿があるだけだ。

聖は諸々の理不尽な思いを、小さく息を吐き出すことで放棄する。男と出会ってからの年月で、いちいち気にしていたら疲れるだけなのは、悲しいかな理解してしまった。ただ――。

「疑問なんだけど。あんた、どこからこれらを持って来てるんだよ」

強大な力を持つ一族だからこそ、彼らはこの世界に生まれ落ちた時から制約を受ける。その中に人間に不干渉という文言がある。
だから、必要以上に人間に関わることはできない。彼らの社会を不用意に乱せば、それは掟破りとみなされる。そうなれば長に粛清対象と認識され、命を狩られることになるのだ。
その長が目の前で悠々とくつろいでいる男かと思うと、非常に脱力してしまうのだが――。

とにかく。郷に入っては郷に従え。

聖は人間の生活圏で暮らすために、人間に交じって彼らと同じように働き、そこで得た通貨で生計を立てている。要するに、普通の人間とまったく変わらぬ暮らしをしているのだ。

だが、烙はといえば、聖の知っている限り、働いているようには到底見えなかった。それなのに彼は人間の品物を、聖のアパートに持ち込み置いていく。
その種類は様々で、家具から食品まで幅広い。烙が水のように飲んでいる酒も人間の酒で、彼が自分で持ち込んだものだ。

「心配することはない。全部、まっとうな出所の物だ」
にやりと笑いこちらを見た烙から、聖はプイッとそっぽを向く。
「別にあんたの心配なんてしてない。盗品だと俺が困るからだ」

さげていた買い物袋をキッチンテーブルに置き、中から品物を取り出す。
今から使わない品物は所定の位置へ。
生ものは冷蔵庫に放り込み、ついでにそこから夕食に使う材料を取り出してテーブルの上へと置く。

「今日は鍋か」

食材から夕食のメニューに当たりを付け、烙が呟く。
その言葉が耳に入り、聖は眉間に皺を寄せて口を尖らせた。

「なんか文句あるか? 要らないなら良いよ。俺の分だけ作る」

現在、烙は完全に聖のアパートに入り浸っていた。
聖は些細な抵抗を今でもしている。効果がないと理解していても続けるのは、彼を心の底から受け入れたわけではないという、聖の意地だった。

戸締まりは以前よりも気をつけるようになったし、侵入防止の結界も厳重に張るようになった。だが、簡単に空間を渡れる烙に鍵など関係なく、結界は毎回、いつの間にか解かれている始末。
いくら結界を張った本人がその場に居ないとはいえ、他人の結界を気づかれずに解くなどそうそうできることではない。

そもそも結界は解くよりも破った方が簡単だ。ただし、その場合は大なり小なりそれを張った本人に反動がある。
けれど、烙が聖の結界を破ったことは今までに一度もなかった。そして、そんな彼の行動が余計に、聖に複雑な思いを抱かせた。

そんなこんなで聖には為す術もなく、現状は烙の存在を許容するしかなかった。
所詮、一族でも下の下である聖が、彼に力で勝とうとしても不可能なのだ。

幸いなことに、烙はあの、聖にとっては最悪な出会い以来、彼に迫ってこない。ただこの部屋に不法侵入し、聖が仕事から家へと帰った後の夕方から数時間を共に過ごすだけだ。
たまに朝までいる時もあるが、大抵は聖が寝室に引き上げた後、しばらくして居なくなる。必要以上に干渉することも無く、聖の行動を縛るわけでもない。
烙がこの部屋にいることを不自然に感じなくなるくらい、彼はこの場に馴染んでしまっていた。

「要らんとは言ってない。おまえの料理はうまいからな」

お世辞とはわかっていても、そう言われて悪い気はしない。

烙という男は、何をやらせても器用にこなす男だった。
働かざる者食うべからずではないが、物は試しで聖は烙に家事を頼んだことがあるのだ。勝手に居座っているのだからと、ある意味、嫌がらせも兼ねていた。これで彼がこの家に寄りつかなければ万々歳だと、そんな目論見もあったのだ。
だが、彼は断ることなく、それらをそつなくこなしてしまった。

ただし、料理も掃除も洗濯もやろうと思えばできるのに、烙にはやる気がどうしようもないほど欠けていた。料理はさすがに無理みたいだったが、初めの内は洗濯も掃除も力を使って済ますという、ものすごい横着振りを発揮してくれたのだ。
そのことに聖はずいぶん呆れた記憶がある。その時に文句も言った。
そうしたら烙は掃除も洗濯も力を使うことを止め、道具を使い、必要ならば自らの手も使って行うようになったのである。

聖の言うことなど、まったく聞きそうもない男なのだが―― なんともかんとも。
いまだ聖には烙が何を考えているのか、まったくわからない。

それに、実際の所、料理に関してはあまり必要性がない。
雑食であるウイの一族は、口にできる物ならばどんなものでもその身の糧にできる。別に生だろうと、毒があろうと関係ない。なので、人間のように食材を料理して摂取する必要もまったくなかった。
料理も、人間のように食事をすることも聖の趣味なのだ。味覚があるのだから、どうせ食べるならば自分がおいしく感じる物が良い。それだけだ。

烙と一緒に夕飯を食べるようになったのも、そういう理由が大きい。同じ室内にいるのに、ひとりで食べるのはどことなく味気ないのだ。

烙の言葉を聖がお世辞と思う理由は、烙が料理した方が美味しいことを知っているからだ。それでも彼は、聖の作った物を美味いと言う。

頬がほんのりと赤く染まり、その顔に微かな笑みが浮かんでいることに、聖は気づいていない。

「しょうがないから、あんたの分も作ってやるよ」

料理に取り掛かるために、烙に背を向けた聖は知らない。
烙がその顔に笑みを浮かべて聖を見ていたことを。彼の琥珀色の瞳がひどくやさしく、愛おしげな色をたたえて聖の姿を追っていたことを。

幸か不幸か、聖がそれに気づくことはなかった。





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2012/02/19
修正 2013/12/29



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