求婚 <22> |
「なぜ庇う ? 」 地の底を這うような低い声が聞こえて、聖の肩があからさまに震えた。 「庇うも何も、事故だ。あの子に害意はなかった。それはあんたが一番わかってるんじゃないか ? 」 声が震えなかったことに、聖は己を褒めたかった。 誰も何も。 悪いことはしていない。 彼の中には一つの仮説があった。 害意がある相手から攻撃を受けたなら、その相手は某かの報復を受ける。 聖にはわからないが、自分の周りには烙が何か仕掛けをしているはずだった。拒否しようと彼は折れなかったから、たぶん間違いなく、ある。 だからこそ、その仕掛けが作動しなかったということは、相手に害意がまったくなかったという証明になる。 「だが、おまえが傷ついたことに変わりはない。報復は必要だ」 烙は聖の考えを肯定した。けれど、まっすぐに彼を見つめる瞳から怒りが消えることはなく、己の意思を変えるつもりもないらしい。 「あんたの報復って、死あるのみ、じゃないか。俺の傷はこの通り、もう完全に塞がっているし痛くもない。もともと俺達一族は頑丈だから、普通の怪我なんかすぐに治るんだよ。こんなもの掠り傷にすらならない。報復なんて、物騒なものは必要ない」 どちらも己の主張を変えるつもりはなく、この話し合いは平行線をたどる。 そう思われたが――。 「おまえの意見は必要ない」 ぎらつく瞳が聖を睨み据える。だが、彼は怯まなかった。 「なんだよ、それ。俺のことなのに、なんであんたが勝手するんだよ」 なんとか烙の怒りを収めようとしていた聖だったが、彼のあまりにも身勝手な言葉で頭に血が上り、時間を掛けて少しづつ溜まっていった思いがついに怒りとして爆発した。 「そもそも俺はあんたのモノじゃない ! あんたの所有物じゃない !! 」 烙が" 俺のモノ "だと告げるたびに。彼の瞳がそう語るたびに。 自分が物扱いされているようで、ずっと嫌だった。 聖には聖の意思があり、烙もそれを認めていたはずだ。彼は聖を閉じ込めたりしない。その行動を妨げたりしない。最終的には聖の意思を尊重してくれる。 けれど、そう告げられる毎に、それらすべてを否定されている気がしていた。 聖の意思など必要ないと。 その心など関係ないと。 ただ有れば良いと。 そう言われているようで、それが哀しかった。 だから、繰り返し否定する。 聖は己の意思で烙の傍にいるのであって、それ以上でもそれ以下でもない。 意思のない物に成り下がったつもりは微塵もない。 虚を衝かれたような顔になった烙が、怒りも殺気も引っ込めて、怒る聖の顔をマジマジと見る。 「俺はおまえを所有物だと思ったことは一度もない」 「わかってるよ。でも、あんな風に言われると、俺の意思なんて要らないと聞こえる。俺は物じゃない。あんたの傍にただ、従順に侍っているだけの存在じゃない」 聖の顔は怒りを浮かべていたが、烙だけをまっすぐに見つめる彼の青色の瞳は、傷つき不安そうに揺らめいていた。 きつく握り締められた拳が、小刻みに震えている。 二人の距離は、手が触れ合えるくらい近い。だが、烙が聖に触れようと伸ばした手は、彼によって思い切り払い除けられた。 これでは先程と立場が逆だ。 怒っていたのは烙であって、聖ではなかったはずなのに……。 烙が珍しく困ったような顔になって口を開く。 「すまない。言葉が悪かった」 思いも寄らなかった謝罪の言葉に、怒りも哀しみも急速に萎んで聖が呆けた。 今、謝ったよ、な ? この俺様で、我が道を行く男が !? 空耳、とか……。 マジマジと見つめてくる聖の顔には信じられないと、彼の素直な心情が書かれていた。その様子に烙が苦笑する。 「なんだ ? 俺が謝るのはそれほど珍しいことか ? 」 伸ばした手が今度は拒絶されることなく彼の頬に触れる。そのままそっと頬を撫でた烙の顔には、愛しそうな笑みが浮かんでいた。 聖の身体を引き寄せ、その存在を全身で確かめるようにそっと、壊れ物のように抱き締める。 「おまえは俺の思う通りにならない。だが、それでいい。俺は物言わぬ、ただ従うだけの存在が欲しいわけではない。聖が聖であり、俺から逃げないのならそれでいい」 烙の口から吐き出された息は、彼が抱く感情を示すように深い。 「我らは確かに頑丈で長命だが、けして不死ではない。俺はおまえを失うことが怖い。おまえが傷つくことが怖い。だから、おまえを傷つける存在は、けして許さない」 想いのままに烙の腕に力がこもり、聖はきつく抱き締められた。触れ合った場所から伝わってくる震えに、淡々と語られる言葉の意味に、彼はようやく烙の怒りの源を悟る。 烙は自分の所有物である聖を傷つけられて怒っていたのではなく、聖を失うことに恐怖し、その感情から彼を傷つけた存在に怒っていたのだ、と。 たどり着いた答えに、聖はクスクスと笑った。 「あんた、変な所で不器用だよな」 烙の背中に手を回し、その背を宥めるようにポンポンと叩く。扱いが子供と同じだが、ある意味これでは大きな子供だ。 強大な力を持っているだけに、癇癪を起せば手に負えない。 ひどく傍迷惑な、それでも愛しい聖の伴侶。 「そういうおまえは鈍い」 不貞腐れたように言い返し、烙は少しだけ腕の拘束を緩める。 互いに不満顔で見つめ合い、それがおかしくなって同時に笑い出した。 「獅烙。あんたにだけ、俺の大切なモノを教えてあげる」 ひとしきり笑い合った後、聖の口から自然と言葉が滑り落ちていた。 「聖凜。それが俺の真名だ」 あの日から告げようと思っていた。どれほどの理由を並べようとも、そうできなかった本当の理由は、告げる勇気が足りなかっただけなのだ。 聖よりも強くて、なんでもできる烙。 そんな男が、聖が傷つくことに、失うことに身体が震えるほど恐怖を感じているなど考えたこともなかった。 策士のようで不器用な、そんな男を可愛いと思ってしまったのだから世も末だ。結局、この男の張り巡らした罠にどっぷりとはまってしまった。 わずかに見開かれた琥珀色の瞳に微笑み、聖はその頬に手をそえる。 「俺に真名まで言わせたんだから、覚悟しとけよ」 徐々にやさしい、ともすれば甘い色を浮かべる烙の瞳に囚われ、その頬が自然と紅潮する。 「ああ。肝に銘じておこう」 情事の時のような妖艶な笑みを見せた烙に、背筋がゾクリと震えて聖は視線をそらす。少しずつ覚え込まされた快楽は、彼の意思とは別に、ほんの少しの刺激で煽られ熱を呼び覚ますようになっていた。 あらぬ所に熱が集まりそうになって、聖は烙から距離を置こうとするが、烙が彼を解放するはずもない。反対に押し付けられた烙の下腹部が着衣の上からでもわずかに膨らみ、熱を持っていることに気づいた聖は、動きを止めて恐る恐る彼の顔を見た。 「聖凜。おまえと交わりたい」 真名を呼ばれた。 ただそれだけなのに、身も心もどうしようもないほど震える。 心地良い酩酊感が聖を襲った。 けれど、烙の情欲を含む熱のこもった低い囁きと、飾り気のない直截な言葉が彼の羞恥心を煽り、本気で逃走したくなった。 烙は確かに「交わりたい」と言った。 はっきりとした知識もなく経験もまったくなかった聖に、それらのことを教え込んだのは烙だ。だから、今の聖はそれが意味する行為をはっきりと理解できる。できるからこそ、今、この状況で抱かれることに躊躇した。 真名を呼ばれるだけでこれほど心地良いというのに、そんな状態であんな恥ずかしくてどうにかなりそうな行為をされ、その上最後までやってしまったら―― 聖は自分がどうなってしまうかわからない。 それに最後までやってしまえば、子供が生まれる可能性がある。 今、やればできる。そんな確信が聖の中にはある。けれど、彼にそこまでの心の準備はまだできていない。 「……ら、烙。お、落ち着け」 腕の中で赤い顔のままあたふたと身動ぎする聖を、烙が面白そうに眺めている。 「大丈夫だ」 何が大丈夫だというのか。 余裕綽々の彼を、聖は恨めしげに見た。 「確実ではないが、できないだろう方法は知っている。俺はまだ、おまえとの間に余計な障害物は要らん」 もしできたとしても勝手に育つ。気にするな。 そう告げたとしても。それが事実だろうとも。 聖は絶対に気にするだろうから、烙はそれ以上は言わない。 子供という存在が二人の間にできた絆の証明になろうとも。 烙は自分に割かれる時間を、子供に取られるなど許容したくない。それでも相手が聖なだけに、仕方ないと譲歩しなければならないだろう己を理解していた。 ウイの一族は本来、伴侶だけを盲目的に愛する。その他への関心はひどく薄い。そんな性質のせいか、彼らには子孫を残すという、生物ならあるはずの概念が欠落していた。 子供など自ら作らなくとも、予定定数より少なければそれに合わせて世界が生み出す。その上、世界に生まれ落ちた瞬間からひとりで生きる術を持ち、世話をしなくても勝手に育つのだから、そんな概念などウイの一族に根付くはずもない。 だというのに、己の伴侶はそんな一族の性質すら覆しそうな、風変わりな存在だった。けれど、そんな彼だからこそ愛しくて仕方ない。 言葉もなく口をパクパクとさせる聖を、烙は抱き上げる。 「さて。とりあえずは帰るか」 目指すは聖の家。その中の烙の部屋だ。 聖の部屋でも良いのだが、あそこのベッドは睦み合うには手狭だった。 彼らが消えた瞬間、その空間は崩壊した。維持する者がいなければ簡単に壊れる、強固にも曖昧にもなる、それが異空間というもの。
何の因果か。偶然か、それとも必然か。
あの時、あの場所で出会った彼らの。 攻防はこれにて決着す。 事は恋に狂った男の思惑通り。 だが、男の命運を握るは青年。 勝者は誰そ ? <完> |
************************************************************* 2012/04/29
修正 2013/12/29 |