求婚 <21>



「なんだよ、これ」
咄嗟に腕で庇ったとはいえ、完全に庇いきれなかった目は、急激に襲った光の影響で少しの間まともに機能しなかった。
目をつぶったまま、聖は他の五感を使って周囲を探る。

平和呆けしていたことも、思考が余所へ向いていたことも確かだけれど、油断しすぎにも程があると己の現状に呆れる。
子犬に触れるまで、それが幻影だと気づかなかった。
術には殺気や悪意がまったく含まれていない。だからこそ、気づくのが遅れたともいえるのだが――。どんな状況だろうと、簡単に相手の術中に取り込まれるなどあってはならない失態だ。

現状で理解できるのは、誰かが作った異空間に自分が取り込まれたこと。
そして、それを作っただろう誰かがたぶん、自分の前に立っていること。

ようやく戻った視界でその誰かを見れば、そこには七、八歳前後の人の姿をした、おかっぱ頭で膝丈のワンピースを着た少女が、笑顔で聖を見上げていた。

「森、か ? 」

見知らぬ少女だが、先程の楓との話からこの少女が森だろうと問い掛ける。
相手から感じられるのは、喜びだけなのだ。
「そう。見違えた ? 」
うれしそうに戸惑いもなく抱きついてきた少女を、困ったように見下ろして聖が息を吐き出す。
「色々、な。……おまえ、もう幻術なんか使えるようになったのか」
考えていたよりも、力の制御ができているらしい。
「オレ、がんばったもん」
腰に手を当て胸を張った森に、聖が「ああ」と遠い目をする。

「言葉遣いは森のままか」

見掛けは少女にしか見えない。正直な所、外見には昔の面影などないが、記憶と変わらない話し方や動作をする彼女は、確かに聖の知っている森だった。

「聖に会いに来たんだ」
にこにこと邪気無く笑う少女の頭を撫でて、彼はため息をつく。
「楓が心配してたぞ。見つけたら保護して協会に送り返してくれって」
諭すようにそう言えば、笑顔を引っ込めた森がふくれっ面になった。
「いや、帰らない。楓ねぇちゃん意地悪したから、キライ」
プイッとそっぽを向いてしまった森の身長に合わせるようにしゃがみ、聖がその両肩をつかむ。

「意地悪ってなぁ、森。あいつはおまえのためを思って、わざわざ俺の所までひとりで吹っ飛んで来たんだぞ。自分の危険をかえりみずに、おまえのために」

まっすぐに見つめてそう告げれば、おずおずと森が聖の方を見た。
「楓ねぇちゃん、大丈夫 ? 」
「フジとミサが迎えに来たから大丈夫だ」
聖の答えに、森はほっとした様子で息を吐き出す。

その様子を鑑みれば、楓の単独行動が危険だとしっかり理解していることがわかる。それならば自分が勝手に協会を抜け出したことで、どれだけ皆に心配と迷惑をかけているかもわかっているはずなのだ。

「なんで協会を勝手にひとりで抜け出してきた ? 」
問う声は自然と厳しいものになった。聖の固い表情から怒っていると思ったのか、森の顔がクシャリと歪む。
「だって、聖に会っちゃいけないって言うんだもん。待ってても来ないし。フジが聖には大好きな人がいるから、オレのお嫁さんにはなれないって意地悪言うし……。聖はオレのお嫁さんになるんだよ ! 」
ポロポロと涙を流して切々と訴える森に、聖はその頭を宥めるように撫でながら心底困っていた。
うっかり泣かせてしまったことに対しても。彼女の台詞に対しても。

「……森、あのさ。そもそも、なんで俺がお嫁さんなわけ ? 」

中身も外見も男でしかない自分に、これほど相応しくない言葉もないと彼は心底思う。
「……お嫁さんなら、ずっと一緒にいられるんでしょ ?  オレ、そう聞いたよ」
ウルウルとした大きな黒い瞳に見つめられ、まっすぐな疑いのない言葉を向けられ、少しだけ怯む。けれど、ここで甘い顔をしてはいけないのだと、彼は己に言い聞かせた。
森の理屈はあながち違ってはいないだろうが、根本的なことが間違っている。

「お嫁さんっていうのは、女の人のことだ」

今後の森のためにも、まずはその間違いから指摘してやるべきだろう。
そのことに気づいていながらこの年齢まで是正しなかった楓には、後で恨み事の一つや二つは覚悟してもらわないと割に合わないと思いつつ、聖は顔が引きつらないように気を配っていた。

止まった涙を拭い、森が不思議そうな顔で首を傾げる。
「聖はお嫁さんになれないの ? 」
「まあ、そうなるな」
頷けば、森の顔がまた泣きそうに歪む。扱いに困りつつも、ほんの少しだけ聖はほっとしていた。
これで「なんで ? 」とでも訊かれていたら、己の男としての立つ瀬というか、心持というか、矜持というか、そういう諸々がガラガラと崩れていただろう。

「聖はオレとずっと一緒にはいてくれないの ? 」
非常に答え辛い問いに、聖の視線が泳いだ。その様子で彼の心情を敏感に読み取った森がまた泣き出す。
「なんでダメなの ?  ねえ、なんで ?  オレがいけないの ? 」
泣きながらしがみついてきた森の背を、宥めるようにポンポンと叩く。

彼女が大人になるには、あと数十年かかる。
まだ親の無償の愛情を求める、庇護が必要な幼い子供。
けれど、そんな彼女もまた、彼より先に散り逝く存在でしかない。

「たまには森に会いに行くよ。それじゃ駄目か ? 」
イヤイヤと首を振って否定する森に、聖が小さくため息をつく。為す術もなく、彼は彼女が落ち着くのをそのまま待った。
「……聖はオレが嫌い ? 」
俯き小さく問う声に、聖は否定する。
「いいや。嫌いじゃない」
「じゃあ、好き ? 」
「まあ、好きな部類になるか、な ? 」
けして嫌ってはいない。何がどう気に入ったかわからないが、過去にもずいぶん懐かれた。そして、今も好意を前面に示されてしまえば嫌いにはなれない。

「……聖の大好きな人より ? 」

森をどうすれば宥められるだろうと考え答えてきた聖だったが、この問いにはさすがに言葉を詰まらせた。

烙は別格なのだ。素直に好きだと告げられなくても、聖の中で彼だけは代えのきかない唯一絶対の存在。
真名を預けても良いと思った。彼が己の伴侶だと認めてしまった。
だから――。

幼い子供の言葉だと割り切れない。
口先だけだろうと、己の気持ちにも彼女の一途な想いにも嘘は吐けない。

「ごめん、森。あいつは別格」

この言葉しか聖には告げられない。
再びうるうるとしだした瞳に、聖は現状を嘆く。せっかく泣きやんだというのに、再び泣き出すことは確実だ。だが――。

「聖のバカ。大っ嫌い !! 」

キラキラときらめく黒い瞳の端に涙を溜めたまま、森が聖を睨んで叫ぶ。そして、その声に呼応するように、彼女の力が暴発した。
近距離の、しかも急な力の爆発に聖の反応が一瞬遅れる。防壁を張ったが、とっさに顔を庇うように交差した腕が切られ、そこから血が流れ出した。

ちょっと痛いが、軽い切り傷だけで済んだことに彼はほっと息を吐き出す。
力の解放により獣耳と尻尾を生やした森は、自分の仕出かしたことに呆然とこちらを見ていた。
「気にしなくていい。わざとじゃないだろ ?  子供の頃にはよくあることだ。それに俺の場合、傷はすぐに塞がる。大したことじゃない」
安心させるようににっこりと笑えば、硬直が解けた森がまた泣き出した。

言葉通り腕の傷はすぐに塞がり、今はもう血の跡を残すだけだ。
烙のようにすべての痕跡を消すようなことはできない。けれど、種族の特性である驚異的な回復力で、完全に塞がった傷はもう痛まない。
「ごめんなさい」
小さく謝る森の頭を、聖はポンポンと撫でる。
「悪いと思うなら、泣くな。で、協会に帰るぞ」
コクンとそれでもやっと頷いたことに、彼はほっと息を吐き出しかけ―― 庇うように彼女の小さな身体を己の後ろへと隠した。

「烙……」

強烈な殺気を放つ姿に、聖の背筋から嫌な汗が滴り落ちていく。森が怯えて、後ろから彼の足にしがみついた。

唐突に異空間へと現れた烙は、一歩、一歩と聖の方へゆっくりと歩いてくる。反対に聖は森を連れたまま一歩、一歩と後ろへと下がっていた。
よって、双方の距離はなんとか一定に保たれている。

「なぜ逃げる ? 」

無表情で殺気をまき散らしたまま、それでも不思議そうに問い掛けられて聖は顔を引きつらせた。

「普通、逃げるだろ。あんた、自分がかもし出してる殺気に気づいてないのか ? 」
「おまえが傷つけられた気配がした。俺はおまえを傷つけた者を許すつもりはない。そこを退け」

静かに威圧する声と確かな怒りを宿す琥珀色の瞳に、聖は気圧される。だが、ここで己が盾にならなければ、森は確実に殺される。そんな寝覚めの悪いことなどしたくない。
そもそも聖の負った怪我は軽く、すでに治っていた。
何よりこれは彼女が故意にやったわけではない。単なる事故だ。

「あんた、ホントにそういう部分は狭量だよな。これは事故だ。しかも、相手は年端もいかない子供だぞ。大人げない」
殊更なんでもないことのように、聖は明るく告げる。この言葉で烙が思い止まってくれるなら万々歳なのだが、
「なんとでも言え。己のモノを傷つけられてその報復もしないなど、俺の怒りが収まらん」
予想通り、考えを変えてくれるつもりはないらしい。

なんでこの男なのだろう、と聖は己の心のあり様を疑いたくなる。
それでも心からどうしてもと欲するモノは、彼だけだった。
こんな男だろうと、愛しいと思ってしまうのだからどうしようもない。

「俺が合図したら、協会まで帰れ」
森に向かって聖が小さく囁く。
注意は払っているが、もしかしたらこの声も烙には聞こえているかもしれない。
それでも、いつまでもこの状態を保っていられないことだけは確かだった。
命を狙われている森が側に居ない方が、聖も身動きが取れる。震えながらも拒否しようとした彼女を、彼は一瞬だけ鋭く睨め付ける。
「そうしないと二度と会わないぞ」
低く呟けば、しぶしぶといった感じで森が頷く。それを確認した聖は、後退を止めた。

「己のモノってさぁ。俺、あんたのモノになったつもりはないよ」

今までにも告げたことのある台詞で、聖が反論する。
関係が変わった今でも、この言葉にはずっと抵抗があった。だが、烙は彼がその言葉を否定することを厭う。
烙の視線が森から聖へと完全に向けられる。その瞬間だけ、彼の意識は彼女から完全にそれた。
それを逃すことなく、聖は森へと合図を送る。彼女の姿は瞬時にその場から消え―― 烙を幻焔が襲った。

聖の思惑は成功した。とりあえず森をこの場から逃がすことだけはできた。
ただ予想外だったのは、彼女が置き土産を残していったことだ。こんな状態の烙に対して行うなど、命を捨てるようなものだ。

幻の焔が烙を害することはない。
彼にとっては、子供騙しでしかない。

烙が目を眇めただけで、その焔は簡単にかき消えた。

聖がすることに変更はない。彼の足止めだ。
彼の怒りを霧散させなければ、彼女が抹殺される未来を変えられない。
それは聖の譲れない一線だ。

ただ――。

手段を選んでいる暇がなかったとはいえ、烙の怒りを煽った上で、聖は標的をこの場から逃がした。その上、標的である彼女は、彼の怒りをいっそう煽る行為をして去った。
彼の怒りは更に膨れ上がり―― 肌がビリビリするほど殺気立っている。
どうやってこんなのを宥めればいいのか。
方法も思いつかず、聖は顔を引きつらせてぼやくのだった。どうしよう、と。





*************************************************************
2012/04/25
修正 2013/12/29



back / novel / next


Copyright (C) 2012 SAKAKI All Rights Reserved.