求婚 <1> |
何の因果か、偶然か。 否、これは必然だったのだろう。 彼らはあの時、あの場所で出会った。 「おまえ、俺の伴侶になれ」 街中ですれ違い様、唐突に腕を取られ引き寄せられ、なぜか抱き締められてそう告白された聖の思考は、一瞬、真っ白になった。 自分を抱き締めているのは、見ず知らずの男だ。単なる通りすがりでしかないのだから、名前すら知らない。 「……は、あぁ ?」 その口からは、状況をまったく理解できていない叫びが零れる。だが、聖が呆然としている間にも、男は次の行動に取りかかっていた。 男の顔が徐々に聖の視界いっぱいに広がる。判別できない所まで近づき、首がわずかに傾けられ彼の唇に触れようとした瞬間。 足を踏ん張り、身をよじって多少の距離を得た聖は、本能のおもむくままに男を殴りつけていた。 平手ではない。拳で、だ。 「俺は見ず知らずの奴に唇を許すほど軽くない……って、同族 !?」 仁王立ちで言葉を吐き捨てる途中で気づき、別の意味で聖は叫んだ。 彼は人外の頂点に立つ、ウイの一族と呼ばれる種族に属する者だった。 一族は人外の最強。人に似て非なる存在。 その総数は世界に管理され、常にある一定数しか存在しない。人や他の種族からすればとても少なく、こうして街中で偶然に出会うなど滅多にあることではなかった。 聖の拳を顎に食らった男は、衝撃で少しだけ彼から離れ、そこで普通に立っていた。不意打ちの攻撃を受けた割には、全然こたえているように見えない。 うっかり全力で殴りつけたので「しまった」と思った聖だったが、心配する必要はまったくないなと考えを改める。 男は全力で拒絶されながらも、熱のこもった視線で彼を見つめていた。 「同族に出会うのも珍しいけどさ。あんた、正気 ?」 同族だからこそ、わかるものもある。 一族にとって、恋は狂気。逃れることの出来ない業を孕む。 「本気ではあるが、狂ってはいるな」 淡々とした男の声とは裏腹に、その言葉はえらく物騒だった。 男から感じられる力量は、途方も無いほど大きい。 対する聖は一族の中では下の下。 まともに対峙すれば、彼が勝てる可能性などない。だが――。 「俺、あんたのこと全然知らないんだけど……。誰、あんた?」 聖は目の前の男に唯々諾々と従う気など更々なかった。 「……俺もおまえのことを知らないな」 そう言いつつ近づき、聖の身体を引き寄せようと男は手を伸ばす。聖はその手を拒絶し、力一杯はたき落とす。 「答えになってない。っていうか、知らないのに伴侶になれとか絶対おかしい」 呆れたように男を見れば、男は射抜くように聖を見つめていた。 「別におかしくはない。一目惚れだからな。俺の伴侶になれ」 一歩後ろに下がった聖と一歩前に進んだ男。 その様は、被食者と捕食者。狩られる者と狩る者。 危うい均衡で、その状態は保たれている。ジワリジワリと互いの様子を探りながら動く、二人の間に変化はない。 「いや、十分おかしいって。あんた、常識ってものを理解しろよ。一足飛びに伴侶になれって。しかも、命令口調の上に相手が俺で、一目惚れだって…… ? 色々、間違ってるよ」 これだけの攻防をしているのに、誰も関わろうとしない。 というか、誰も周りに居ない? 聖はここにきて、初めて自分が相手の空間に引き込まれていたことに気づいた。 周りに誰も居ないのは当然だ。 ここは男のテリトリーで、そこに入れるのは男が許可した者だけだ。 他の方法でも侵入できないわけではないが、こんな歩く凶器みたいな男のテリトリーに、わざわざ強制的に穴を開けて入る物好きなどそうそういない。ということは、当然、誰も間に入る者はいないわけで……。 しかも、こんな強大な力を持つ男の作った空間に、穴など自分では開けられない。 聖は自分が閉じ込められていたことを悟る。その顔色がさっと青ざめた。 「おい、誘拐犯。俺を元の場所に戻せ」 いつの間に連れ込まれていたのか。まったく気づかなかったことに、自分の迂闊さを呪い、相手の行動を読み誤ったことを後悔する。 その一瞬の隙を突かれて、聖は男の腕に囚われてしまった。 「嫌だ」 耳元で囁かれる否定の答えは、色を含ませた甘い声で、 「みすみすこの俺が、見つけた伴侶を逃すと思うか ?」 耳朶が湿ったものに含まれ、ざらりとしたモノに撫でられる感触に、聖の肩がビクリと震える。 「おまえは俺のモノだ」 これは一族の業。 力が強い者ほど、唯一絶対の伴侶に執着する。 だが――。 「ふざけんな ! 俺は誰のモノでもないッ !!」 聖の怒りに呼応して、突如発生したカマイタチが男を襲う。 伴侶以外に束縛されることは、その矜持が許さない。 伴侶以外に屈することなどできはしない。 たとえその為にこの命が消えようとも。 距離を取り、聖は男を睨みつける。全身から血を流す男は、その顔に艶めいた笑みを浮かべて彼を見つめていた。 「誰のモノでもない、か。ならば、伴侶はいないのだな」 満足そうにクツクツと笑う男の言葉に、聖は己の失言に気づいて顔をしかめる。 自分よりも力が強い上に、この男は策士かもしれない。 聖は自分が直情型な自覚がある。 「おまえは俺に惚れるさ」 自信に満ちた宣言に、聖が呆れ顔になった。 「あんたのその自信、いったいどこからわいてくるわけ ?」 聖の抵抗など、男にとっては鼠に噛まれるよりも劣るのだろう。腕の一振りで全身の傷は癒え、その肌にも衣服にも血が流れていた痕跡はなく、破れていた衣服は新品同様きれいになった。 「自信ではなく事実だ。幸い、我らは同族。時間はたっぷりある」 「……あんたの中に諦めるって考えは―― あるわけないか」 聞くだけ無駄なことに聖は途中で気づき、ため息をつく。 同族だからこそ、わかることがある。この執着はどちらかが死ぬまで続くのだ。 男の言う通り、時間だけはたっぷりとある。 種族の特性で不老長命。強靭な肉体と生命力、強大な力を持つので、ちょっとやそっとで死にはしない。ウイの一族を殺せるのは、たぶん同族だけだ。 男に惚れて、その想いを受け入れるか。 拒絶し続け、狂った男に殺されるか。 どれだけ時間をかけようと、来る日に訪れる結末はどちらかだった。 「俺、まだあんたの名前、聞いてないんだけど…… ?」 どちらの結末を迎えるにしても、たぶん長い付き合いになる。 あの時、すれ違ったのが、己の運の尽きなのだ。この先この男と関わらない選択は無いのだと、聖は早々に諦めた。 それなら呼び名くらい知らないと不便だと、軽い気持ちで訊ねただけだったのだが――。 「獅烙だ」 告げられた名は真名だった。 聖は驚きに目を見開き、ぽつりと呟く。 「……あんた、馬鹿 ?」 訊ねられたからといって、秘された名を告げるなど正気の沙汰とは思えない。 真名はその者を縛る。使い方によっては、相手を支配することすら可能なのだ。 「初めに言ったはずだ。おまえに狂っている、と」 伴侶に告げる名に、これ以外の名など無い。 聖は男に対する認識を再度改めた。これは正真正銘の馬鹿だと。そして、告げられた名を思い返し、ふと引っ掛かりを覚える。 「獅烙。し、らく ? 烙 !?」 思わず男を指差して素っ頓狂な声を上げ、聖はその顔をマジマジと見る。 少し前―― 人間の感覚からすれば数十年前―― に、一族を束ねる者が交代したという話が伝わってきた。その者の呼び名が" 烙 "だったはずだ。 「まさかとは思うけど、あんたが今の長だったりしないよ、な ?」 呼び名とはいえ、数少ない一族内で重なることなどあまりないのだが、稀にあるだけに肯定も否定もできない。 否定して欲しいと信じてもいなかった神に、生まれて初めて真剣に、心の底から聖は祈った。だが、即席信者の願いが叶えられることはなかった。 「あんな面倒なモノ、適任者が生まれ次第くれてやる」 男は心底嫌そうに顔をしかめ、そう吐き捨てる。 どうやら自分は、とんでもない者に目を付けられたらしい。 聖は乾いた笑みをもらし、己の不運に深く息を吐き出したのだった。 |
************************************************************* 2012/02/06
修正 2013/12/29 |