求婚 <16> |
二日後。予定通りに聖は引っ越し作業を開始した。 そのまま運ぶ物はとりあえず置いておいて、備え付けられた棚などに入っている物など、個々に運ぶべき物をまとめようとしていたのだが、そこで烙に呼び止められた。 「どの範囲で運ぶ ? 」 「どの範囲って、何が ? 」 キョトンと不思議そうに首を傾げた聖に、烙は足りなかった言葉を付け足す。 「この空間、おまえの生活空間にある、備え付けの収納棚などを除いたすべての物を運ぶのか ? 」 言葉の意味を理解した聖が「そうだ」と頷く。 「そうか。聖、数分そこから動くな」 呼び名を呼ばれて、聖の鼓動が不規則に脈打つ。 最近の自分は少しおかしい。たまに無性に落ち着かない気分に陥るのだ。そして、それには必ず烙が関わっている。 聖がどぎまぎしている内に、烙は作業を開始した。彼は聖にはよくわからない言葉で、何事か呟いている。すると、室内に渦が現れ、そこかしこの物が大小関わらずにそこへと吸い込まれていった。 「………」 聖は声も無く、この奇妙な状態に目を見張る。 渦の先は異空間なのだろう。ものの数分ですべてを収めてしまったらしい異空間の口が自然と閉じられ、気づけば室内はがらんどうになっていた。 バタバタと、けして広くはない己の生活空間を隈なく回り、物が残されていないことを確認して戻った聖は、呆れように烙を見る。 「あんた、ホントになんでもありだな」 こんな力の使い方など聖は知らない。彼には分からない言葉を使っていたことから察するに、これは別種族独自の術なのだろう。 「この術のことなら、桂が教えたから知っているだけだ」 「桂さんってあんたの……」 意外な名前が出てきて、聖は驚く。 海の伴侶で、烙の、もう一人の親の名前。 先日のことがまだ尾を引いていた聖は言い淀んだ。その様子に烙は不思議そうな顔をして、気にした様子もなく彼が言葉にしなかった部分を淡々と口にする。 「俺の母親だ。桂は水人族だった」 水人族とは、主に水辺で暮らす種族の総称だ。住む地域によって細かな部族に別れ、部族によって持つ特色が違う。 共通するのは、泳ぎが得意で水が好きなこと。 水中で普通に呼吸もできるので、生涯、地上には上がらず水中で暮らす者もいるという話を聞いたことがある。 では、先程、烙が使った術は水人族特有のものだったのか ? その結論に違和感を持ち、聖は内心首を傾げる。 確か水人族は――。 「ただ、水人族なのに水が大嫌いな上に泳げない変わり者で、呪術の扱いに長け、新たな呪術を研究していた。これはその内のひとつだ」 続く烙の言葉に、聖の目が真ん丸に見開かれる。 聖の持っている知識が正確なら、水人族はあまり力を持たない種族だった。その代わり水中を自在に動く能力を得たと言われているのだ。 烙が嘘を言う必要性もないので、すべては事実なのだろう。 種族の条件をことごとく覆すような桂は、彼の言うように水人族の中では変わり者扱いされていたはずだ。 「教えるか ? 妙な部分でものぐさだった桂が、己が楽をしたいがために生み出した生活呪術は覚えていればそれなりに便利だ」 生活呪術。それがどの程度の、どのようなものか分からないが、先程、烙が使っていた術のようなものだったら、知っていれば便利そうだ。 「桂は、料理は好んでしたが、その他の片付けや掃除が苦手だったこともあって、その作業を面倒くさがった。呪術でそれらができれば楽だと、生み出したのが生活呪術だ」 淡々と説明する烙に、ふと聖は思う。 「なあ、あんたが家事全般できるのって、その、桂さんに教えられたからか ? 」 初めは意外過ぎて本気で驚いたが、烙はやる気さえあれば掃除も洗濯も、料理もできる。食事のマナーもしっかりしているように見えるし、箸の持ち方もきれいだ。その他の所作も、妙に洗練されている。 今まで疑問にも思わなかったが、考えてみればそれらは誰かに教わっていなければ、これほど身についているはずもない事柄だった。 「……躾だと少年期に教え込まれた。あれは単に自分でやるのが面倒で、俺に押し付けていただけだ。海はそういう面では役立たずだったからな」 当時のことでも思い出したのか。微妙な表情になった烙に、聖がクスクスと声を立てて笑う。 自分の息子で、少年期だとはいえ、この烙に躾と豪語して教え込むことのできた桂はすごいと聖は素直に感服する。 ウイの一族は生まれ方が特殊なせいか。個々の持つ性質のせいか。他の種族と違って、どうしても親子の縁は希薄になる。親が子を庇護し育てる必要がないように、子は親の意思をくみ取り従う必要がない。 それはどこまでも個人主義で突き進む一族、とも言えた。 「俺でも使えるなら知りたい。だけど、それは後で。まずは引っ越し作業を済ませないとな」 これだけで終わったわけではない。今、別空間に収納された物達を引っ越し先の、各々の場所へ設置、収納し直さなければ本日の寝床もない。 こちらの部屋の最終掃除は、別に今日でなくても良い。 「移動する、その前にこの部屋の大きさ」 「ああ。そうだったな」 烙が何かを払うように手を軽く振った。動作はそれだけ。言葉は何もない。けれど、室内は元の大きさに戻っていた。 聖は呆れて言葉もない。こんな無茶苦茶な奴を相手に正面からぶつかって、いまだに無事でいるのかと思うと、自分で自分を褒めたくなった。 「行くのだろう ? 」 何事もなかったかのように、烙は聖に問い掛ける。 「ああ。あんたも……一緒に行かなきゃ、意味無いか」 荷物はすべて烙の管轄にある。聖ではそれらを異空間から取り出せない。 一緒に行こうが行くまいが居場所がわかるというのなら、ここで「さよなら」する意味もない。それなら一緒に行ってしまった方が、荷物もすぐに取り出せて都合がよかった。 「電車に乗って山吹まで行って、そこからは徒歩」 「では、とりあえず萌葱の駅か」 仕方なく大雑把な行き先を告げれば、歩いてたどり着ける最寄り駅の名前を出されて聖は頷く。 「それとも山吹まで跳ぶか ? 」 「は ? 」 別の提案を出されて、一瞬意味が分からず聖は声を上げ、眉間に皺を寄せる。 跳ぶって…………あぁ、空間転移 ? そういえば自由自在に使えてたな。 答えが思い当ったものの、思わず遠い目をしてしまった聖だった。 「遠慮しとく。郷に入っては郷に従え、って言うだろ」 「物好きだな。では、行くか」 面白そうな顔でそう呟き、烙は扉を目指す。なんらかんら言いつつも、聖の希望通りに徒歩と電車で目的地に向かうらしい。 その様を聖はおかしそうに笑い、烙の後に続く。なぜか胸の奥がくすぐったく、ほんわりと温かかった。 外を歩きながら、聖はぼんやりと考える。 今更だけれど、初めて烙と二人きりで外を歩いたような気がする。 あのとんでもない出会いをしてから十数年。なんらかんらで一緒に時を過ごすようになってから、それだけの年月が過ぎているのだ。 この期間を長いというべきか、短いというべきか。長命な種族である自分達にとっては微妙な所ではあるのだが――。 『己の領域内に居ることを許しておるのであろう ? 』 ふといつぞやの楓の言葉を思い出し、聖は動揺した。 思わずキョロキョロと周りを見回す。挙動不審な動作をする聖に、烙が器用に片方の眉を上げて、隣を歩く彼の方を見た。 「どうした ? 」 疑問を呈する烙に、聖は頭を振る。 「なんでもない」 視線はまっすぐ前に向けたまま、彼はぶっきら棒に答えた。 別に傍に居ることを許したわけじゃない。 ただ、この男が強引に自分の居場所を作っただけ。 聖は自分に言い訳するように心の中で呟く。 ただ……この男の傍は居心地が良い。 そんな矛盾する心を、彼は抱えていた。 烙はしばらく聖の様子を観察していたが、小さく息を吐き出し、それ以上は何も問わずに前を向いた。 あと少しで萌葱の駅だ。そこで電車に乗り、八つ目の駅が山吹の駅だった。 |
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