求婚 <15>



流しに運んだ皿などを洗い出した男の背中を、聖はぼんやりと見つめる。

烙の抱える深い孤独。

本人はさほど気にしていない口ぶりだった。この男の性格を鑑みるとその通りなのかもしれないが、聖はさらりと流すことができない。重石でも飲み込んだかのように、その心は深く思考の淵へと沈んでいった。



聖に親はいない。けれど、彼は孤独ではなかった。同族とはそうそう出会うことも無かったが、他種族の間でそれなりの交流をしながら生きてきた。
少年期の頃、変わった人間(後に混血だと知ったけれど)に拾われて、一緒に生活していたこともある。種族など関係なく色々拾ってくるのが趣味の人間だったから、拾われたのは聖だけではなかったが―― 今はもう失われてしまったあの頃の大所帯の記憶は、今の聖を大きく形作る礎のようなものだ。
武術一般もその頃に教わった。人間に興味を持ったのも、たぶん、その生活があったからだ。

そんな日々の中で友人と呼べる存在ができることもあった。
聖の種族を知っても普通に接してくれた友人達。彼らの時は短く、今まで出会いと別れを繰り返してきた。
交流を再開した楓とフジも、いずれは聖を現し世に残して黄泉国へと旅立つ。そして、いずれはまったく異なる存在として現し世に生まれ変わるのだ。

それがこの世界の理だと、聖は理解している。
彼らの死を悲しいと淋しいと思ってもそれらを覆そうとは思わないし、永の時を現し世にひとり残されるとしても自分を孤独だとは思わない。
彼らと築いた思い出は残る。別れが訪れるとしても、聖が誰かと関わり続ける限り、新たな出会いは生まれていくからだ。



「憐れむか ?  そんな必要などない」

気づけば烙がすぐ傍に立っていた。彼は聖の頭をクシャクシャと撫で回すと、そのまま居間へと行ってしまう。いつものようにソファで晩酌するのだろう。
聖はかける言葉も無く、その背を視線で追いかけ、そんな自分に気づいて息を吐き出す。

食卓に視線を戻せば、そこにはまだ途中の夕飯。
冷めてしまったそれらを、黙々と口に運びながら聖は考える。

憐れむか。烙はそう言った。
咄嗟には答えられなかったが、聖は彼をそんな風に見ていたのではない。あの男のどこにそんな要素があるというのか。
確かに烙の生き方は、聖が今まで築いてきた生き方とはまったく違うだろう。もしかしたら真逆かもしれない。けれど、それがなんだ。
その状況を変えようと思えば、あの男にはできたはずだ。聖の日常に割り入ったように。
そうしなかったのは彼自身であり、それに聖がどうこう言う権利はないし、言うつもりもない。すべては過去の話だ。

ただ――。

今でも烙がそんなモノを抱えているとしたなら、それがひどく腹立たしい。

フツフツとわき上がる大きな怒りが、如何なる感情によってもたらされているのか。聖は気づかない。
烙にあんな言葉を言わせてしまった自分に対しても彼は怒っていたけれど、悔恨の情を抱く前に、それは大きな怒りへとのみ込まれてしまった。



夕食を終えた聖は手早くそれらを片付け、烙のいるソファへ向かい、傍らに立って彼を見下す。

「俺を侮るな」

気配に気づきこちらを見上げた烙の胸倉を掴み、間近で顔を突き合わせ、聖は押し殺した声で呟く。
「あんたのどこにそんな風に思える部分がある ?  他を寄せ付けなかったのは、元々持っていた性質もあるだろうさ。けどな、あんたはそれでいいと思った。孤独を自分で選んだ。違うか ? 」
青い瞳が怒りに燃え、烙を睨みつけている。それを瞳に映しながら烙は面白そうな表情を浮かべ、聖にされるがまま無言だった。
それがまた、聖の癇に障る。

「俺は怒ってるんだよッ。今でもそんなもん抱えてるんなら、ぶっ飛ばしてやる !! 」

怒鳴った聖に、烙は破顔した。そんな彼の顔を見たことがなかった聖は、虚を衝かれて目を見開く。

「それは困る」

低く艶やかな声で呟き、烙の手が聖の項へと回り、彼の身体を引き寄せる。無防備だった聖は身体のバランスを崩し、烙の上に伸し掛かるようにして倒れた。
「ちょっ、な…ッ」
強引に重ねられた唇が、聖の言葉を奪う。開いた唇から舌が侵入し、彼の口腔を蹂躙する。歯列をなぞり、惑う聖の舌に絡みつき、吐息すら奪うよう深く貪欲に烙は彼を求め、その存在を確かめる。

項を固定する腕も、その背に回った手も。しっかりと聖を拘束し、彼の抵抗は封じられ、次第に酸欠とこもった熱にその身体からは力が抜けていった。
無意識にだろうが、たどたどしく応え始めていた聖の舌を最後にやんわりと愛撫して、名残惜しげに烙は彼の唇を解放する。ゆっくりと離れていく二人の唇の間で、糸がつぅッと引いて途切れた。

「甘いな」

唾液で濡れた唇を蠱惑的に歪め、烙が情欲の混ざる低い声で囁く。その腕の中でピクリと震えた聖は、正気に戻った顔を真っ赤に染めて彼から離れようともがくが、身体に力が入らず上手くいかない。

「おまえの唾液は、甘露のごとく甘い」

落ち着かない気分にさせる烙の酔ったような囁きに、聖はこっそりと彼の顔を見た。そして、そのことを瞬時に後悔した。
心臓が先程よりも早鐘を打っているのがわかる。この体勢なら、もしかしたら烙にも聞こえているかもしれない。それがひどく恥かしい。
聖は身を縮めて、烙の肩口に額を押し付ける。動けないのなら、顔を隠すにはこうするしかない。それにこうすれば彼の顔を見ないで済む。

烙はものすごく造詣の整った顔の持ち主だ。己のどちらかといえば平凡な容姿とは比べ物にならない。
そんな彼が恍惚とし、壮絶な色気を放って聖を見ていた。琥珀色の瞳には情欲が揺らめき、弧を描く濡れた唇は先程の口付けを彼に思い出させる。

烙は聖だけを見つめ、欲しているのだ。
一心に、それこそ狂おしいほどに――。

聖は烙の本気度合いをまざまざと思い知らされた気がした。
わかっているつもりで、何もわかっていなかったのだ。
もともと聖はこの手に関して、大雑把で曖昧な知識しか持っていない。恋情というものがどういうものなのかも、いまいち彼は理解できていない。
今まで興味がまったくわかず、当然、誰かにそういう感情を抱くこともなく生きてきた彼にとっては、今の現状は何もかもが初めてのことなのだ。
烙に対する、己の抱える感情でさえも。

はぁ、と聖は口から小さく息を吐き出す。
内にこもった熱を吐き出すように、その吐息は艶めかしい。ただし、本人にその自覚はない。

一方、烙は大人しくなった聖の、露わになった首筋に目を奪われていた。
さらされた白い肌に、そのままかぶり付きたい衝動に駆られ、そんな己の感情を嘲笑う。
欲とは際限のないものだと、聖に出会ってから初めて知った。これほど求めたモノが今までに無かったから、わからなかったのだ。
この白い首筋に噛みつき、その血をすすり、その肉を食んだら、今以上の快楽を得られるだろうことは想像に難くない。唾液がこれほど甘く感じるのなら、その血も肉も、甘露の如く甘いはずだ。それこそ狂おしいほどに、己を虜にするだろう。だが、それだけだ。やはり足りない。

かぶり付きたい衝動は抑えたものの、烙はその首筋から目が離せない。
触れたい。無防備にさらされたそこへ、己のモノだと刻み込みたい。
その欲望は抑える気も起きずに、烙は聖の身体を抱き直して彼の首筋へと唇を当てる。
「……ッ」
予想通りに滑らかで柔らかい肌を唇で食み、きつく吸う。ビクンと聖が震えたのが腕からも唇からも伝わってきた。
チロリとそこを舐めてから離せば、思惑通りに所有の印が浮かんでいた。白い首筋に散った対照的な赤い花弁に、烙が満足そうに笑う。

「おまえが居れば、俺は虚しさから解放される」

これは聖の怒りに対する答え。
聖に出会わなければ、それが孤独であると、虚しいことだと烙は気づかなかった。彼の存在が己にそれを知らしめ、同時にそこから抜け出させた。

「俺が帰る場所は、おまえの所だ」

昔と同じ場所には戻れない。二度と戻らない。
聖の傍らだけが、烙の居場所となったのだから。
いつか彼を失う時が来たなら、未練などない。
その時、烙は現し世に存在しないだろう。

告げた言葉に、返る言葉はない。ただ無言で聖の手が恐る恐る烙の背に回り、そっとその身体を抱き締めたのだった。





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2012/04/05
修正 2013/12/29



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