求婚 <14> |
目下、問題がひとつ。そろそろ引っ越しをしなければならない。 それがここ最近の聖の悩みだった。 職場の方はつい最近、この場所から通うには遠方の場所に変えたばかりなので問題ない。その時に次に住む場所も決め、賃貸契約も済ませた。だから、あとはそこへ引っ越すだけなのだ。 事はすべて順調に進んでいた。それなら何が問題になっているかと言えば―― 聖はなかなか烙にそのことを言い出せずにいたのだ。 この部屋の賃貸契約は、残り一週間を切った。これ以上、猶予は無い。 とは言っても、荷物は異空間にすべて放り込み、向こうの部屋でそこから取り出して設置すればいいだけなので、それほどの手間はかからない。 そもそも、聖自身の荷はたいして多くない。 聖は物に執着するタイプではなく、必要以上に物を置かない癖が十数年単位で引っ越しを繰り返す内に自然と身についていた。だから、聖だけならばとうの昔に引っ越しを完了させ、次の場所で新しい生活を始めていたはずなのだ。 そんな彼を悩ませていたのは、烙が改造した部屋であり、そこに置かれた物であり、何よりそこでくつろぐ烙自身だった。 「話がある」 覚悟を決めて、夕食時に聖は口火を切った。 「なんだ ? 」 改まった物言いに烙が箸を止め、聖を見る。そのまっすぐな視線に聖は一瞬怯んだが、期日は迫っているんだと自分に言い聞かせて口を開いた。 「あのさ。ここにもだいぶ住んだから、そろそろ引っ越そうと思うんだ」 「そうか」 あっさりとそれだけ言い、食事を再開させた烙の態度に聖はムッとする。 「そうか、じゃなくて。あんたが改造したこの部屋、元に戻してくれってことだよ。あと荷物も」 「ああ、わかっている。引っ越しはいつだ ? 」 「明後日にはやろうと思う」 「わかった」 短く答えた烙はそれ以上詳しい話を問うこともせず、おかずへと手を伸ばして口に運んでいる。本日のメインメニュー肉じゃがのジャガイモが、その口の中に消えた所まで無意識に目で追い、そのことに気づいた聖がハアッと息を吐き出す。 自身も食事を始めながらも、彼はなんとなく面白くない感情に囚われていた。 「……あんた、行き先は訊かないのな」 「必要か ? 」 問い掛けられ、聖は素知らぬふりで味噌汁の椀を手に取る。 「別に」 態度には出なくても、その声にはわずかに不機嫌そうなものが混じっていた。 それに気づいた烙が器用に片方の眉を上げ、面白そうに聖を見る。 「おまえの居場所さえ分かれば、どこへでも行ける。だから必要ない」 「……ッ !! 」 ぅん ? と顔をしかめた聖がむせて咳き込む。それが治まってからお茶がたっぷり入った湯飲みに手を伸ばし、気を落ち着けるよういっきに喉へと流し込んだ。 咳き込んだせいでほんのり潤んだ瞳で、聖が恨めしそうに烙を見る。 「あんた、引越し先までついて来るのか ? 」 胡乱に問えば、何を今更という顔を烙がした。 「当然だ」 なんの迷いも無く言い切られ、訊いた聖の方が逆に怯む。 「……俺の居場所なんてどうやって知るわけ ? 」 何かある度、居場所を教えてもいないのに唐突に現れる烙なので、なんらかの方法で聖の居場所を探り当てているのだろうとは前々から思っていた。思ってはいたのだが、聖には彼が自分に何を仕掛けたのかわからない。 烙は以前、聖に仕掛けを施すと言った。あの話は結局、彼に押し切られてしまったが、悪足掻きだとは思いつつも後日、自分の身の回りなどを徹底的に探ったりもしたのだ。けれど、それらしい何かは微塵も見つけられなかった。 「本能だ」 「………」 モグモグモグとおひたしを口に放り込み、しっかりと咀嚼する。ちょっとしょっぱかったかもと現実逃避しかけて、聖は我に返った。 「真面目に答えろよ」 行儀悪くビシッと箸の先端を向ける聖に、素知らぬ顔で烙は味噌汁の椀を手に取る。 「帰巣本能だ」 味噌汁をすする烙の姿を、聖が半眼で見た。 「……なんだよ、それ。説明になってない」 「伴侶の存在する場所が、帰る場所だ。おまえがどこに居るかなど感覚でわかる。ひどく感情が乱れれば、自然と伝わるようになっている。我らはそういう生き物だ」 何処からツッコミを入れるべきか。聖は本気で迷った。 我らはそういう生き物、と烙は言った。" 我ら "ということは聖も含まれるのだろうか。ということは、ウイの一族がそういう性質を持っているということになる。 そんな性質無かったはずだけど ? と聖は己の記憶を引っ繰り返すがやはり無い。その手の情報は持って生まれているので、記憶に無いということはそれは一族の性質ではないはずなのだ。そのはずなのだが――。 同族だとわかっていても、この男と自分が同じだとは思えない。というか、同じだと考えたくない。 色々な意味で……特に思考回路とか………別種の生き物だ、絶対。 「……そもそも俺、あんたの伴侶になったつもりないけど ? 」 迷った末、今、絶対に否定しておくべき部分を聖は選んだ。たとえこうして馴染んで食卓を囲み、一緒にご飯を食べていようとも、その件に関しては一度も承諾した覚えはない。 肉じゃがのジャガイモを口に放り込み咀嚼して、これはおいしくできたと聖は顔を綻ばせる。 「おまえは俺のモノだ」 「俺は誰のモノでもないって言った」 スッと眇められた烙の瞳を、聖は負けまいと睨み返す。 「事を急くつもりはないが、おまえを逃すつもりもない」 「……知ってる。あんたから逃れられるのは、どちらかの死のみだ」 言葉とは裏腹に飢えにぎらつく烙の瞳は、まっすぐに聖だけを見つめ、どこまでも追い詰める。その剥き出しの感情が聖は怖いと心の底から思う。その視線にさらされたくないと、逃げ出したいと思う。 けれど、怖いのに……目が離せない。囚われたように、身動きひとつできない。 聖の心臓がトクトクと早鐘を打つ。 二人は食事も中断し、互いを見つめていた。だが、少しして先に視線を外したのは烙だった。彼は瞬きひとつでその瞳に今まで映っていた感情を消し、そこに面白そうな色を浮かべる。 「おまえは初めから俺に臆さないな」 そう呟いたかと思えば、ひとりで何かを納得したように烙は食事を再開する。 聖は眉間に皺を寄せ、消化不良のまま首を傾げた。 怖くないわけではない。ただ――。 「―― あんた相手に我慢するだけ無駄だろ ? 言いたいことは言うし、やりたいことはやる。嫌なことは嫌って言わないと、あんた、図に乗るし。余計に俺のストレスが溜まるだけだ」 ぽつりぽつりと考えながらそう告げたら、烙がクククッと喉の奥を震わせ笑った。 「それが臆さない、ということだ。俺は存在そのものが他を威圧するようだからな。同族だろうが、本性をさらしたままの俺には臆すのが普通だ。おまえのように、何も偽らない俺に普通に接する奴は海と桂だけだった」 何か。烙の深い部分に触れた気がして、聖は固まった。どんな顔をしたらいいのかわからずに、その顔は困り顔になる。 海と桂。その呼び名は彼の両親の名だ。 どちらもすでに現し世にはいない。 聖の様子を気にすることなく食べ終えた烙は、両手を合わせてごちそうさまの挨拶をすると、空になった皿を重ね合わせ、それを持って流しへと移動してしまった。 |
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