求婚 <11>



「二人で楽しく遊ぶでない。妾もまぜよ」

狐耳がピンと頭頂で立ち、フサフサな尻尾が後ろでユラユラと揺れている。
「楓。これのどこが遊んでいるように見えるって ? 」
フジが不機嫌そうに楓に問えば、彼女は機嫌よさそうに口を開く。
「妾には二人とも楽しんでいるようにしか見えぬ。聖は恥ずかしいから帰りたくないのであろう ?  それならばすぐに帰さずともよいではないか」
その言葉に聖はほっとした顔になり、フジの眉間には皺ができる。だが、楓はそれを気にした風でもなく言葉を続けた。

「気が済めば自ずと帰るであろうよ。それよりも妾はそなたが同棲していたことに驚いたぞ。年月が経てば、そういうこともあろうが……まさかそなたがのぉ」

男二人は別々の意味で固まり、互いの顔を見合わせる。
一方は困惑気味に、一方は如何なる感情か、更に頬を赤く染めながら。

「……奥さん、どこからそんな発想が出てきたよ」
表情だけでなく声まで困惑気味にフジが呟けば、
「フジよ。そなたは相も変わらず鈍いのぉ」
開いた扇で口元を隠し、うふふと楓が笑う。

「同棲って……あいつは単なる居候。勝手に部屋に入り込む不法侵入者ッ」
声を荒らげて全否定する聖だが、その言葉に楓の瞳がにんまりと笑みを含む。
「己の領域内にいることを許しておるのであろう ?  同棲ではないか」

基本的には誰にでも人当たりが良く、面倒見の良い聖だが、楓が知る限り、無意識に他人が己の領域内に踏み込むことを忌避していた。それは友人である自分とフジに対してもだ。
どのような理由だろうと、聖が己の居住空間にいることを許しているのだ。その存在が特別であることに変わりはない。
ずいぶんとかわいい反応を示す彼の態度も、それが理由なら十分納得できる。

「ち、が、う」
全否定する聖に、百歩譲って同棲でないとしても。
「満更でもないのであろう ? 」
「なんだよ、それ」
ぶすっとした態度で否定も肯定もしない聖に、楓は追求を続ける。
「好いておるのであろう ? 」
「………」
「ほれ、返答はどうした ?  肯定も否定もせぬのか ? 」
嫌なら否定すればいい。だが、聖は困ったような表情で黙り込むだけだった。

にまにまと笑う楓と面白そうに状況を見守り出したフジの視線に耐えかねて、聖が立ち上がる。
「……別の場所に行く」
逃げの姿勢に打って出た聖だったが、そこでふとあることに気づく。いつの間にか室内に糸が張り巡らされていて、これではここから移動できない。
この糸は触ればすっぱりと切れる、鋭い切れ味と頑丈さがウリだ。楓の力が込められたそれは、彼女が好む武器の形態でもある。

「妾の質問に答えよ」

好奇心に輝く瞳と、ユラユラと揺れる尻尾。けれど、そこに隙はない。
ここでもし聖が攻撃に転じたとしても、楓はそれに応戦する体勢が整っている。

「フジ。この手に負えない奥さん、なんとかしてくれない ? 」

聖が己の身を気にせずに抗えば、この糸を張り巡らした室内から脱出もできる。けれど、すぐに塞がるとはいえ、傷つけば彼だって痛い。
この様子では、楓だって無抵抗に聖をこの場から逃がすことはしないはずだ。この状態でも戦えば彼が勝つけれど、そうすれば彼女も無傷では済まない。
聖は楓を傷つけたくない。だから、伴侶であるフジに彼女を止めてもらおうと声を掛けたのだが――。

「うちの奥さんは女王さまだからな。俺には止められん。それに俺もおまえの返答に興味があるんだな」

あははとフジは聖の言葉を笑い飛ばす。彼は聖が楓を傷つけないと確信していた。聖は一度、気を許した相手には甘い。特に、女子供には。
それに無理なものは無理だ。フジは楓に力では勝てない。
聖はフジの笑顔に殺意を抱くも、彼の言い分が事実だと知っていたので、行き場のなくなった感情をため息に変えて吐き出し、ソファに座り直す。
楓は戦闘と補助が主。フジは防御と探索探知が主。力の性質もそうだが、狐族と人間が一対一で正面からやり合えば人間の方が負ける。

「あんな奴。大っ嫌いだよ」

眉間に皺を寄せ、問いに対する答えを吐き捨てた聖は、これで満足かと不機嫌そうに楓を見る。
「ほうほう。そんなに好いておるのか」
にんまりと笑った楓が耳をピクピクとさせ、尻尾でパタパタとソファを叩く。その隣では、フジがニヤニヤと意味ありげに笑っていた。
二人の反応に、聖が顔を引きつらせる。

「…………そのおっきな耳で、どう聞き間違えればそうなるんだよ !? 」
「何を言う。そなた、自分の顔を見てみよ」

心外だとでも言いたげな顔をして、楓は手元の扇を変容させ手鏡にする。それを差し出された聖は、嫌そうに受け取り小さな鏡面を覗き込んだ。
そこに映し出された自分の顔は、眉間に皺を寄せ、不機嫌そのものでしかない。頬が普段より少し赤いのだって、感情にまかせて怒鳴ったせいだ。
「普段の俺の顔」
どう見たって変わりなんかない。

そう告げれば、楓が困った子供でも見るような表情になった。フジもポリポリと頬をかいて、微妙な顔をしている。
「そなたはほんに素直じゃないの。自分まで騙せるはずがなかろうに――。ほれ、もう一度、今度は鏡を見て言うてみよ」
ほれやれと促され、聖はしぶしぶ鏡を見ながら口を開く。

「あんな奴、大っ嫌い」
鏡の中の自分の顔が一瞬、歪んだ気がした。
「ほれ、もう一度」
楓の掛け声に、
「大っ嫌い」
繰り返した言葉がなぜか胸に詰まる。
「もう一度」
「大っ嫌い。嫌い。キライ。きらい」

なんでこんなこと繰り返しているんだろうと、頭の片隅で聖は思う。
告げるほどに苦しくなる胸と、鏡の中で歪む顔がついにはぼやけ、

「あんなやつ、だいっきらぃ……」

ぽたりと鏡に落ちた雫で、自分が泣いていることを知った。

なんで、涙……。別に悲しくなんてない。
しいて言うなら、苦しいだけだ。

鏡の中の自分を直視できずに、聖は鏡をテーブルに伏せて置く。
「泣くほど好いておるのだろう ? 」
楓の諭すような言葉に、聖は首を横に振る。

そんなはずない。そんなはずは……ない。

唇を噛み締め嗚咽を殺し、勝手に溢れてくる涙を拭いながら、それでも聖は全身で否定し続ける。
彼から視線を外した楓は、自分が室内に張り巡らせた糸を解いて回収し、懐へと収めてから小さく息を吐き出す。
「泣かせる気はなかったのだがのう。どうしたものか ? 」
途方に暮れてフジを見るも、彼も困惑顔だった。
「困ったな。俺もまさかこいつが泣くとは思っていなかった。どうしようか ? 」

聖は感情が素直に顔に出る。本人がどう言おうと、嘘がつけない性格なのだ。だから、彼の表情を見ていた二人には、相手に対する感情もわかってしまった。
聖の顔には、恋慕の情が確かに浮かんでいたのだ。
けれど、彼は認めない。もしかしたら理解できていないのかもしれない。色恋沙汰には特に鈍そうだ。

ただ、これだけは言える。
聖は自分の否定する言葉に、自分で傷ついていた。その結果が、涙なのだ。
心よりも身体の方がよほど素直で、己の抱いた想いを理解している。

その時。
急に威圧感溢れる気配がして、フジと楓は反射的に身を強張らせた。この規格外で物騒な気配は、先日、体験したばかりだ。
聖の真後ろに現れた烙に二人は顔を引きつらせ、身を寄せ合い互いの手を握り締める。
「……聖が世話になった。連れて帰る」
ひょいと聖を抱き上げた烙は無表情でそれだけ告げると、すぐにその場から姿を消した。
息の詰まる沈黙の後、二人して深く長い息を吐き出す。
己も伴侶も無事だったことに、心の底から安堵した。あんな存在を敵に回せば、自分達など瞬殺だ。骨すら残らないかもしれない。

「……あれが聖の同棲相手かの ? 」
「……たぶん ? 」

触らぬ神に祟りなし。連れて帰ると言ったのだから、そういうことなのだろう。
というか、そういうことにする。
別に聖が男の恋人を持とうとも、それは自分達が関与する問題ではない。同性同士という偏見はないし、そもそも彼の一族がどういう生態をしているかもよくわからない。謎が多い種族なのだ。

騒がしくなった室外の様子に、先程の強大な力を感知した協会職員がすぐに押し掛けてくることは想像できた。先日、同じことが協会支部で起こったばかりだ。
ただ、幸いなことに今回はその元凶がこの場にもういない。

「あれも難儀な性格だが、相手も相手よ。うまくまとまるかの ? 」

鈍感で素直じゃない聖と、強大な力を持つ何を考えているかわからない男。
だが、あの男は聖をとても大切にしてる。彼の側に居る時だけその雰囲気は和らぎ、表情を形作る。
接した時間は少ないが、それでも楓にはわかった。
あの男は聖以外はどうでもいいと考えている。彼以外を映す瞳はひどく冷淡で、向けられただけで背筋が寒くなるほどだ。

先日、協会支部で誰も死者が出なかったのは、後々の聖のことを慮ったから。理由はその一点のみ。そうでなければ、あの男にとっては虫けら以下である自分達が、刃を向けて生き残れるはずがない。
しばらくして戻ってきた聖は、あの惨状を目にするなり男を怒っていたが―― そんなことだとは微塵も考えていないだろう。
呆れたことに彼はあの男にあの場の後片付けをさせ、その上、怪我人の治療までやらせていた。こちらとしては、とても有難かったのだが―― あれは聖だからこそ為し得たのだと楓は確信している。

「……破れ鍋にとじ蓋で、ちょうどいいかもしれないぞ」

フジの結論に、楓の心配はかき消えた。
「おお、そうかもしれぬ」
あの様子なら、大丈夫か。
あんな状態の聖を、あの男が傷つけることは無いはずだ。

テーブルの上に置かれたままの手鏡を楓は手に取り、変容を解いて扇に戻す。蹴破られる勢いで開いた扉に、彼女は憂鬱なため息をついた。
「今度もし訪れる機会があるなら、入口で正規の手続きを踏んでくれるといいんだが……」
" もし "と言いつつも、二度とあの男には会いたくない。
それが楓の本音だ。

各々武器を持つ臨戦態勢の職員達を目にして、どのようにこの顛末を説明したものかと楓は頭を悩ませるのだった。





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2012/03/23
修正 2013/12/29



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