愛し君に、願う心、唯一つ
+ シリス +



ノックの後、開いてすぐに閉じた扉を横目に、俺は抵抗を始めたスーリャをきつく抱き締め、更に深く口付けた。
扉の向こうにいたのは、今の状況を見られても別段困る人間ではない。見て見ぬ振りくらいしてくれるはずだ。
そこまで考え、シリスは気にすることを止めた。
それよりも今は二人でいられる、この時間の方が大切だった。
この頃は、仕事が忙しくて会える時間があまりなかった。
なんとか捻り出したわずかな時間くらい、スーリャと二人、邪魔されることなく過ごしたい。
恋人を持つ男なら誰だって思うことだろう?

気の済むまで口付け、くったりと力なくもたれかかってくるスーリャの身体を支える。
「……さっき誰か来ただろう?」
完全に意識をそらしたつもりだったが、しっかりと覚えていたらしい。
声はひどく不機嫌そうだった。けれど、その顔は赤く、潤んだ瞳で睨みつけられても威力はまったくない。俺は笑みが込み上げるのを押さえ、
「ああ来たな。だが、大丈夫だろ。用があればまた来る」
生真面目な表情を作ってすっとぼけた答えを返した。
すると。
「そういう問題じゃないだろ!」
食ってかかるようにスーリャが赤い顔のまま怒鳴ったのだった。

予想通りの反応がいっそう笑いを誘うが、ここで笑えばスーリャの機嫌が更に降下するのは間違いない。そういう問題だろ、と思いつつも、そう言えばスーリャが更に怒ることはわかっていたので俺は口を噤んだ。
「で。誰が来たんだ?」
この部屋を訪れる人間は限られている。
その内の誰かだろうとはわかっていても、スーリャは相手が誰かをしっかり確認したいらしい。誰が来たか、俺が知らないって答えは―― ないらしいな。
まっすぐに俺を見据えて訊ねるスーリャの瞳には、微塵もその選択肢が映っていない。その様子に俺は苦笑するしかない。
ここでまたすっとぼけるのもいいが……。
「キリアだ」
それと、セイン。
スーリャは彼の事を知らないだろうから、心の中でそう付け足しておく。

初めから感じていた気配は二人。
チラリと見えたその顔は、キリアとその伴侶のセインだった。
キリアはともかくセインが一緒だったのはなぜか、多少の疑問は残るが。
彼が愛妻家(まだ正式には妻ではないが)という事実は、一部の人間の間ではかなり有名だから、たぶんキリアをここまで送り届けにきたのだろう。
確か今日、セインは休みだった。

後日、そのことをからかってやろうかという考えがふと頭を過ぎったが、やぶ蛇になりそうだと即座にその考えを切り捨てた。
考えるまでもない。
そんなことをすればのろけを聞くはめになるだけで、なんの面白みも無い。
普段は実直、仕事熱心、生真面目な人間で、面倒見も良いから部下に慕われているセインだが、こと伴侶に関しては砂糖菓子よりも甘く、周りの皮肉もからかいも効かないのだ。
下手に話を振った者はその周りも含めて胸焼けを引き起こし、数日再起不能になるとか、そういう逸話もあるくらいだ。
しかも、本人は無自覚なのだから性質が悪い。だが、それはまっすぐにキリアだけを見ているという証拠でもあった。
そう考えると、つくづくセインとデイルが兄弟同然で育ったということが、非現実的に思えてくる。まるで正反対の二人なのだから、これぞ世の不思議というもの。

そんなことを考えつつスーリャを見る。
彼の顔からは急速に血の気が引き、そして同じ速度で今度は血の気が上る様が見て取れた。
絶句した様子と忙しない顔色の変化に多少かわいそうなことをしたかと思うが、その身体を離すことはしない。
「〜〜〜ッ」
言葉にならない叫びが彼の口から上がり、
「……あとでからかわれるじゃないか」
やっと形になった言葉がぼそりと呟かれ、恨めしげに見上げられた。
その姿をかわいいと思ったが、これも口にはしない。せっかく腕の中で大人しく抱き締められているというのに、恥ずかしがり屋な彼のことだ。
言えば暴れ出すに違いない。そんな勿体無いことはしないに限る。
それにスーリャも文句を言いつつも離れようとしないのだから、嫌ではないのだ。

少しずつではあるが、こうして態度で示してくれているのだから今はこれでいい。

今、この時を大切にしていきたい。
二人を隔てる壁など何もない。
そう思いたい。

でも、実際はこうして抱き締めている間にも見えない壁が二人の間にはある。
俺はそう思わずにはいられなかった。
今はまだ、消し去ることのできない壁。
それは隠し事だったり、世界の差だったり、色々だけれど――。
触れ合う温もりは暖かいのにどこかつれなくて、俺は更にスーリャを抱き寄せる。少しでもその身を、温もりを感じることができるように。

この壁が、早く消える日が来るように――。

自然と口から零れたため息に、スーリャが訝しげな顔をする。それに俺は苦笑を返し、ささやかな願いを胸の奥に仕舞ったのだった。





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シリスの心の中、です。彼、こんな事考えていたんですね〜、みたいな。これ読んでイメージ壊された方、いらしたらごめんなさい。ひさしぶりに書く一人称は難しいです。次で、最後。スーリャへGo!って感じで(苦笑)
2007/07/16
修正 2012/01/31



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