契約 <7> |
あの日から銀はずっとエンの傍にいる。今までたまに姿を消すこともあったというのに、それもぴたりと止まった。それこそ、姿の見ない時はエンがトイレや風呂、眠っている時ぐらいのもので四六時中一緒と言っても過言ではない。 けれど、それが不愉快になるかといえばそうでもない。銀の姿があると逆に落ち着く自分に、エンは気づいていた。その事がひどく不思議でしかたない。 なぜ? 無表情の下、エンは何度目になるかわからない疑問を心の中で繰り返す。答えなど出ないとわかっていても――。 今も協会の書庫の奥に設置された椅子で本を読むエンに付き合い、銀も隣に座って本を読んでいる。エンの視線に気づいたのか、銀が本から顔を上げた。 「どうかしましたか?」 穏やかに訊ねてくる銀に、どう答えるべきかエンはほんの僅かに逡巡した。 「いや。ただ、それ読んでいて面白いのかと……」 銀が読んでいるのは、召喚に関する本だ。エンも一度読んだことがあるが、内容は初歩的なものではなく、かなり詳しく掘り下げて書かれたものだった。要は召喚の基礎を理解した者が読む本だ。 銀が召喚についてどのくらいの知識があるか、エンは知らない。この本を読むぐらいなのだから、それなりの知識を持っているはずだ。が、銀が読んでも無意味なものだともエンは思う。 召喚は人間しか使わないし、使えない。それなのにその方法が書かれた本など読んでも、人外である銀にはなんの意味もない。 そのはずなのにそれをどことなく楽しそうに読んでいる銀の姿は、エンには不可思議なものだった。 「面白いですよ。人はこれほど面倒な手続きをしないと召喚できないということがよくわかりますから。けれど、これほど緻密に描くことを思いつくのもまた、人だからなのでしょう。実に興味深い」 貶されているのか、褒められているのかわからない答えに、エンは無表情のまま内心困惑した。そんな彼の内心を知ってか知らずか、唐突に銀が問い掛ける。 「私の属する一族は人外の頂点に立つと言われているでしょう? それがなぜかわかりますか?」 「……力が強いからだろう?」 思いつく上で一番の答えを言えば、銀が意味ありげに笑った。 「そうですね。人外の間では力が大きく物を言う。あなたの答えもあながち間違いではありません。けれど、私の求めた答えでもありません。私の一族の者は人よりも力が強い。寿命も長命で頑丈です。それこそ人が永遠と呼ぶ時間を生きます。けれど、幾ら人より優れていようと世界の頂点に立つ者ではありえない。エン、なぜだと思いますか?」 エンは首を捻った。 今までそんなことなど一度も考えたことがなかった。確かに彼らの種族を人外の頂点に立つ者とは呼んでも、世界の頂点に立つ者とは呼ばない。 黙りこんでしまったエンに、銀は苦笑した。 「答えは人間がいるからです」 提示された答えに、エンの眉間に皺が寄る。 「召喚、契約。それによって自分より強い者すら従える。その方法を生み出し、成し遂げる人という存在。その知能。人の力はけして強くありません。私の一族の者からすれば微々たるもの。けれど、人とはとても強かな生き物だと私は思いますよ」 銀のエンを見つめる瞳は穏やかで、そこから慈しみすら感じられる気がした。このまま見つめていたら初めて出会った時に向けられた冷えた瞳を、契約によって築かれているだけの関係だということを忘れてしまう。 エンは視線を本に戻す。 ざわつく胸の内を無視して、彼は本の内容を頭に入れようと読みかけの文を目で追った。けれど、その努力も徒労に終わる。 「だから、エンももう少し強かになりなさい」 続けられた言葉にエンの鼓動が跳ね上がった。 見てはいけない。 本能が警告していたが、誘惑に負けたエンは銀の方へと顔を向けてしまった。そして、非常に珍しく赤面した。 頭の中はパニック状態で、まとまらない言葉が空回りしている。 すぐにそらされた視線。 先程よりも俯き加減で本を読むエンの姿を変に思いつつも、銀はそれ以上何も言わなかった。 ただ、無言でエンの頭に手を伸ばし、さらりとした髪の感触を楽しむようにゆるりと撫でる。その行動が更にエンの動揺と赤面を助長させるとも気づかずに――。 |
************************************************************* 2010/01/01
修正 2012/01/14 |