契約 <4>



協会とは、人と人外の者を仲介する機関のこと。
その方法としては、平和的に話し合いで解決することもあれば、実力行使の荒事になることもある。そのため多くの人、人外の者が協会に所属していた。
エンもまた協会に所属する者の一人だ。



エンは協会の廊下を一人で歩いていた。
最近、ずっと傍にいた銀が今はいない。今日一日傍を離れるという言葉を寝起きのエンに告げて、彼の姿は掻き消えた。
どうやら律儀にエンが起きるのを待っていたらしい。そのことに気づいたエンは心の中が何かでざわめくのを感じた。けれど、それが何かなんて考えることなく、すぐに心の奥に仕舞い込む。
本能が無意識にそれが何か、知ることに歯止めをかけたのだ。

エンは常々、思っていた。

銀と契約はしたが、必要以上に彼を縛るつもりはない。だから、いつも一緒でなくてもかまわない。彼が何処に行こうと干渉するつもりはない。と。

なのに、久しぶりに一人で出掛けて、エンは落ち着かない気分を味わっていた。

いつもの慣れた場所。
協会には子供の頃に連れてこられた。正確には両親が死に天涯孤独となったエンを、父親の親しい知り合いだった協会の長が引き取ったのだ。だから、ここはエンが育った場所と言っても過言ではない。

なのに、なんとなく落ち着かない。

その原因が傍に銀の存在がないためだなんて、エンは気づきもしない。けれど、無表情だった彼の眉間には、無意識に小さな皺が出来ていた。

「お久〜。って言うか、珍しく無表情じゃないじゃん」
前から歩いてきた青年が歩みを止めて、ひらひらと手を振った。エンはそれを無視して通り過ぎようとしたのだが、
「あら、無視? テン子、泣いちゃう〜〜〜」
無駄に図体の大きな青年がわざとらしくオネエ言葉を話し、廊下の真ん中で泣き真似をする姿はエンの癇に障った。彼は無言のまま回し蹴りを入れる。だが、その蹴りは決まらずに難無く青年に防がれた。

「相っ変わらず言葉より手と足が先に出るのね」
ついでのように入った拳も笑顔で呆気なく受け止められ、エンの眉間の皺が深くなる。
「……うるさい、変態」
ぼそりと呟かれた暴言に、青年は大げさに嘆いた。
「親友の俺に向かってその暴言。ひっでぇーなぁ」
「誰が親友だ、誰が」
静かで平坦な突っ込みに、青年は肩を竦める。

「この俺、テンさまだよ。ま、それは置いといてだ。俺、おまえに話があるんだよ。ちょうど良い所に歩いてたもんだ。探す手間が省けた。そら、行くか」
反射的に下げようとした腕を掴まれ、エンは抵抗した。だが、体格が違う分、捕まってしまえば力ではテンに敵わない。
「俺に話はない」
「おまえに無くても俺にはある。とりあえずゆっくり話せる場所まで移動〜」
ずるずる引きずられるようにして、エンはその場から拉致されたのだった。



そうして連れ込まれた場所は、協会内にある個室の設けられた喫茶店の一室だった。ここなら防音が効いているから、しっかりドアを閉めてしまえば外に声は漏れない。
二人は向かい合うように座った。注文した飲み物がそれぞれの前に置かれ、店員が出て行ったこと、しっかりドアが閉められたことを確認してから、エンが口を開く。
「話は手短にしろ」
無表情、そして無感情で平坦な声。それとは正反対の苛立った気配に、テンはため息をついた。
「何イラついてるか知んないけどさ、八当たりを俺にするなよ。おまえがえっれぇきれいな見慣れない奴を最近引き連れてるって聞いたから、真相を確かめようと思ってさ……はいはい。余計なお世話って言いたいんだろ。だけどさ、おまえの目的を知ってる幼馴染の俺としては心配な訳だ。わかるだろ?」

テンはふざけた態度を一転させ、真面目な表情でそう言った。
エンは沈黙する。少しだけ困ったように視線を彷徨わせた。
「おまえが話下手なのはわかってる。だけど、俺は説明を要求する。ついに呼び出したのか?」
「ああ」
冷静に頷いたエンに、テンはバシンとテーブルを思い切り叩いた。その表情は憤りと悲しみに染まっていた。

「……俺がいない時にはやらないって約束――」
「―― してはいないな」

がっくりと肩を落とし、テンはそのまま全体重を椅子の背に預けて沈み込んだ。
記憶を辿れども、その言葉を否定する材料は見つからない。実際、いくら言ってもエンはテンのその言葉に頷いたことは一度もなかった。
「おまえに出会して召喚の儀式をする時間を取ることなんか、俺の生涯かけたって無い」
つけ足された言葉に、テンの肩が更に落ちた。言い返す言葉もない。

職業柄、お互いに手が空いていることが、その時に出会すことが、珍しいのは事実だ。そして、電話嫌いが高じて携帯電話も持っていないエンを捕まえるのは、至難のわざだった。
前回会ったのはいつだったかと思い返せば、確か半年以上前。しかも、その時はお互いに急ぎの仕事を請け負っていて、あまり話す時間もなかった。

いつかはこんな日が来る。復讐の成就などして欲しくない。けれど、それがエンの生きる意味になっていることも知っていた。
だから――。
他人に甘えようとしないエンに、せめてこんな時ぐらいは頼って欲しかった。
召喚の儀式を一人でするには、色々な意味でリスクが大きすぎる。たとえエンが一人でそれを行える力があるとしても、だ。相手は人間の常識が通じるとは言い難い人外の者なのだから……。

「……どこも食べられてないよな?」
「おまえの目に、俺は五体満足に映っていないのか?」

目の前にあるのは、記憶と変わりないエンの姿。どこが欠けているわけでもなく、テンの瞳にはそれなりに元気そうに見える。
「映ってるよ。でもさ、あいつらって人肉とか血とか、平然と食うんだぞ」
その言葉にエンの肩が微かに揺れた。その小さな反応に気づき、テンは内心しまったと後悔した。

「……そうだな。人が鳥や豚、牛や魚を食べるように、彼らの場合、その範疇に人も入る。それだけだ」

表面上は変わりない、いつもと同じ無表情。けれど、その声が微かに震えたことに気づき、テンは内心困った。エンの古傷を抉るつもりはなかったが、結果としてそうなってしまったらしい。
だが、それでも聞いておかなければならないことがある。
「契約の条件にそういうのを要求する場合があるって聞いたことがある。本当に大丈夫だったのか?」
「条件? ああ、それはなかった」
銀との契約にエンの肉や血を要求する条件は盛り込まれていない。ただ、契約終了後に殺されるだろうという予測はつくが――。
テンには教えてない。だから、彼は知らないはずだ。エンが呼び出して契約を望んだ者がどういう者なのか。

契約すれば、人外の者はこの世に生まれ落ちた時に付けられた枷から一時的にとはいえ外される。その代わりに契約という名の枷を付けられるわけだが、彼らからすればこの枷は大した抑制にはならないらしい。だから、それを利用して人に害をなす者が絶えない。

それをわかっていても、人は契約を行う。

己の目的のために。
己の欲のために。

己を守っていた太く頑丈な枷を、細く頼りない枷へと自ら変えてまで――。

だが、銀はそんな脆い枷だろうと他者に支配されることを嫌った。その彼が唯一契約を容認するのが、彼の同族殺しを求める時だった。
ただし、その同族は掟破りであること。それ以外の理由で呼び出しても契約は成り立たず、余程のことがない限りその先の生を望むことはできないと。契約しても契約終了後、生き残った者はいなかったという文献が残っていた。
そして、そこにはこうも書かれていたのだ。契約は確実に成就されると。

それを書いたのは運良く彼の手から見逃された者だろうが、だいぶ昔のことらしく、その古い文献は書庫の奥、その隅の目立たない、要は滅多に人も入らないような場所に置かれていた。
そこまで追いやられたのは、偶然なのか故意なのか。
それはわからないが、この本の筆者はこれを読む者が彼を呼び出すことにあまり協力的ではなかった。彼の者を呼び出す契約紋も簡略的にしか描いておらず、しかも、それを暗号で秘すというひどく手間の掛かる表記をしていたのだ。
けれど、銀のことを書いてある本はこれしかなく、エンは暗号を解き、簡略化されていた契約紋を使える物にするため得られるだけの知識を吸収し、それを形にするのに幾多の年月を費やした。

やっと呼び出すことに成功し、捕らえ、銀と契約を結んだ。
とりあえず自分はまだ生きている。あの男が死ぬのを見届けるまでは――。

「ない? それは珍しいな。ま、気をつけろよ。突然気が変わった、なんてこともあるかもしれないからな」
テンが本気で心配しているのは、態度やその表情を見ればすぐにわかった。だからこそ、エンは彼の知らない真実を話せない。
付き合いが長い分、他の人よりはエンの感情を読み取ることに長けているが、それでもテンは銀のように何も言わずにあれほどズバズバと当てるようなことはない。

本当のことを知れば、テンは阻止しようとするはずだ。たとえ自分の身が危険にさらされようと、エンを守ろうとするだろう。
幼馴染を見捨てるようなことはできない、彼はそういう人間なのだ。だから、悟られるようなことがあってはならなかった。

「わかっている」
言葉は最小限に。無表情、無感情な声はいつも通りだから変える必要もない。
「それで今日は一人? どうせならそいつ見たかったんだけど……」
その言葉に、再びエンの眉間に皺が寄った。
「ほ〜、さっきの八当たりの原因はそいつなわけか。マジで見たいかも。こんな短期間でおまえの感情をそこまで揺さぶる奴って、たとえ人外でも色々な意味ですごいわ。ぜひ見物したい。今度はいつ協会に来る? 俺、その日になんとか日程合わせるからさ。見して」
悪気なく笑むテンに、エンの眉間の皺が更に深くなった。

銀は見世物ではない。

テンに悪気は無く、好奇心でそう言ったにすぎないことは長い付き合いだ。普段の彼の言動からわかっていた。けれど、湧き上がる不快感はどうにもならない。
エンは無言で立ち上がる。
「そういう態度に出られると、余計に隠されてるみたいで気になるんだけどなぁ」
まだぶつぶつ言っているテンを放置して、エンはそのまま無言でその場から立ち去った。



テンは肩を竦める。
「……あの様子、かなりご機嫌斜めと見た。というか、俺が余計に機嫌を損ねたみたいだな。う〜ん、エンの契約相手って一体何者? 長に訊いたらエンの仕事日程、教えてくれるかなぁ」
呟き、唸るように考え込む。

テンにとっても、協会の長は親代わりだった。二人とも事情は違えども幼くして両親を亡くし、長に引き取られ、協会で育てられたようなものだ。
だから、協会の仕事をしているというわけでもないのだが、共に適性があったためそのまま協会の仕事をするようになっていた。

「とりあえず長なら会ってるだろうし、今から話だけでも聞きに行くか」
物思いを吹き飛ばすように、テンは軽く呟く。
勢いよく立ち上がり、彼もまたその場を後にしたのだった。





*************************************************************
2009/12/09
修正 2012/01/13



back / novel / next


Copyright (C) 2009-2012 SAKAKI All Rights Reserved.