地の先導者 <8>



鋭いキリアの言葉に、スーリャがかすかに肩を揺らす。
けれど、表情は変わらない。
「別に何も悩んでないよ」
しらを切ろうとするスーリャにキリアは肩を竦めて見せ、
「ならどうしてそんな瞳で見るかなぁ? ここはお兄さんに話してすっきりするのも一つの手でしょう。愚痴でもなんでも聞くからさ」
戯けてみせるキリアにスーリャが苦笑する。
「俺の方が年上かもよ?」
その言葉にキョトンとした後、キリアはひらひらと手を振った。
「まっさか〜。スーリャ、今、いくつ?」
否定しながらも、姿から推定された年齢しか知らなかったキリアは彼に問いかけた。
「十九」
簡潔に答えられた言葉を理解した途端、キリアが目を丸くする。
「本当に?」
訊き返すキリアに、スーリャは頷いた。
「そういうキリアは?」
「……同い年。てっきり俺より二つ三つは下だと思っていたんだけどな」
意外な風に呟き、その顔に心配の色を浮かべた。

だが、それも一瞬。
彼は気を取り直したように笑みを見せ、
「ま、いいや。それで何悩んでるんだよ。そんな瞳で見られちゃ俺だってほっとけないだろ」
腹を撫で、そこにいる子に同意を求めるように首を傾げる。
「俺ってそんなわかりやすい?」
シリスにも同じ事を言われた事を思い出し、困惑顔で首を傾げるスーリャに、キリアも苦笑する。
「目が雄弁って、スーリャのためにあるような言葉だよな」
なんというか。
やはり同じ言葉。
なんとなく目元に手を持ってきて触れる。
そんなスーリャにキリアは苦笑を深めた。
「それがスーリャのいい所じゃないか。さてと。そろそろ聞かせてくれる気にはならない? 今日はそれを相談しに来たんだろ?」
再度の促しにスーリャは顔を少しだけ強張らせる。
その瞳はやっと覚悟を決めたのか、思い詰めた色を濃くしていた。

「……やっぱ子供って欲しいよね?」
独り言のように呟かれた言葉に、キリアは無意識に一瞬顔をしかめた。
それを見てしまったスーリャが俯き、
「だよね。誰だってそうだよね」
さらに小さな声で呟き肩を落とす。
「いやいや、ちょっと待てって。どうしてそう結論を急くかな。それは人それぞれだと思うし、そもそもそういう事は一人で考え込む内容じゃない。スーリャは陛下としっかり話し合うべきだ」
その言葉にスーリャは首を振る。
「……実際問題、シリスには後継ぎの子供が欲しい。王さまなんだから。前にいなくても構わないって言ってたけど、人の気持ちなんて時間が経てば変わる。シリスがどう言ったって、必要な事には変わりないんだ」
どこまでも深みにはまっているらしいスーリャに、キリアはつきたくなるため息を堪えながら話しかけた。
「スーリャは陛下が好きだろう?」
唐突な問いにスーリャが顔を上げ、困惑した様子でそれでも小さく頷く。
「なら、好きな人の言葉ぐらい信じてやろう。確かに人の気持ちは不変じゃない。スーリャの中の気持ちだって、変化しているだろ? それと同じ事だ。すべて悪い方向に進んでいると思い込むのは良くない。他人の想いを自分の尺度ではかって決めつけるのは傲慢な事だ」
「でも……」
スーリャは泣きそうな顔になり、すがるようにキリアを見つめた。

このままではいられない。
いつかは決断しなければいけない時が来る。
それはさほど遠い時ではなく――。
スーリャは怖かった。
打開策は示されているのに、それを選ぶ事が。
変わる自分を受け入れる事が。
そんな自分をシリスがどう思うかが――どうしようもなく怖かった。

キリアはスーリャの動揺を静かに受け止めつつも、内心訝しげに思った。
およそ一月前に会ったあの時は、あんなに幸せに微笑んでいたというのに、なぜ?
「……陛下と何かあった?」
遠慮がちに訊いたキリアに、スーリャが曖昧に首を振る。
「……何もないよ。ただ――」
「ただ?」
言い淀んだスーリャに続きを促すように、キリアが聞き返す。
「シリスとしばらく会ってない」
ぼそりと呟かれた沈んだ言葉に、キリアが目を見開く。
「会ってないって、ほったらかしか!」
スーリャの言葉を理解した途端、キリアが怒りの形相になった。
それに慌てたように、スーリャが首を振る。
キリアは彼の反応に訳がわからず、訝しげな顔をして首を傾げた。
「ラシャの話だと、シリスは来ているらしいんだ。だけど、俺……」
泣きたいような笑いたいような、そんな表情で言い淀んだスーリャを、キリアが無言で促す。
「シリスが来るのは夜なんだ」
スーリャの言葉にキリアの首がさらに曲がった。

昼間にそうそう遊んでいられるほど、王という職業は暇ではない。
まして今、スーリャは王宮外に住んでいる。
いくらすぐ側とはいえ、ちょっとと抜け出して行けるわけもなく……必然的に訪問は仕事の終わった夜になるのは当然で。
キリアは彼の言いたい事がわからず、更に先を促した。
「最近、日が沈むとすぐに眠くなって……」
それでも言い淀む言葉の続きを、まさかと思いつつも補う。
「起きていられない?」
「そう。シリスが来る時間は曝睡中。がんばって起きていようとはするんだけど、気付けば朝。昔から俺、一度寝てしまうと何したって朝になるまで起きないから」
呆れていいのか、笑っていいのか。
なんとも阿保らしい、けれど本人にすれば切実だろう理由にキリアは唸った。

「最近って事は前は違ったって事か?」
「……ここまで極端になったのは、この世界に戻ってきて数日後辺りからだったと思う」
「身体の変調とかは?」
「特に自分では感じないけど――俺、どこかおかしいのかな?」
考える素振りを見せたキリアに、スーリャは不安げに問いかけた。
「そう決め付けるのはまだ早いだろ。俺は門外漢だからわからないし、気になるようなら、ナイーシャさまに見てもらえばいい。あの方は癒しの一族の頂点に立つ方だから、何か原因があるなら突き止めて教えてくれるはずだ」
安心させるように笑んだキリアに、スーリャは曖昧に頷いた。
「それで、だ。直接会えなくても会話する手段ってものは他にもあるって知ってるか? スーリャの不安は陛下に会えない事も確かにあるだろうけど、相手の気持ちを掴みかねているって事もあるだろ? 要は会話不足。それを補ってやれば、多少は気持ちも落ち着くはずだ」

「……ちなみにどんな?」
困惑顔でスーリャがキリアを見た。
彼がキリアが示す方法をまったく察していない事は、その表情からありありとわかる。
その様子にキリアが意味ありげな笑みを見せ。
「陛下が来ている事は知ってるんだろ? それなら陛下宛に手紙を書いて、ラシャに渡してもらうように頼んでおけばいい。そうすれば確実に陛下に届く」
理解するにつれてスーリャの目がゆっくりと見開かれる。
そして、完全に理解した瞬間に襲われた、鈍痛のような衝撃をなんとかやり過ごした後、彼は微妙にキリアから視線を逸らした。
「それって文通って事?」
「ま、そういう事」
いっそう視線を明後日の方向に逸らしたスーリャを、不思議そうにキリアが見る。
「何か都合が悪いか?」
首を傾げたキリアに、スーリャは誤魔化し笑いを浮かべた。

都合が悪いというか――。

文章を書くという事がスーリャは元々苦手だった。
その上、今の彼の場合、日本語で考えた文をカイナで使われている文に翻訳して文字を書くという作業が付け足される。
会話の場合は無意識で勝手に翻訳され、文を読む場合は文そのものの意味が勝手に翻訳されている。
それらにはあまり違和感はないのだが、まだ馴染みの薄い、書き慣れていない文字で、意味が通じるように文章を組み立てて紙に書く、という行為は拒絶反応が起こりそうなほどスーリャには煩雑に感じられ、なるべくならやりたくない作業だった。
「……自分で手紙を書く以外に良い方法はない?」
どことなく顔が引きつって見えるスーリャの様子をキリアはいっそう不思議に思ったが、それを指摘せずに問いの答えを口にする。
「後はラシャに伝言を頼むとか、代筆を頼むとか、そういう手もなくはないけど、それだとラシャには内容筒抜けだろ? ラシャは口が堅いし、口外する事はないだろうけど――」
語尾を濁して、頬をかいたキリア。
彼の言いたい事は言葉にされなくても、今度はスーリャにも伝わった。
知られたら恥ずかしい内容などないはずだが、それでもやっぱ気まずくなるような気がする。

スーリャは深々とため息をつき、
「がんばってみる」
試してみる事を了承したのだった。

スーリャにもわかっていた。
このままでいてもこの靄のように胸中に蔓延った不安は消えないと――。





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2008/05/25



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