地の先導者 <6> |
ルー・ディナはまどろみの中にいた。 この場に篭ってからこれほど穏やかな時を過ごすのは初めてかもしれない。 それほどに心は落ち着き始めていた。 そんな中――。 「ルー」 名を呼ぶ声がする。 けれど、この場にいる者など自分以外にいないはず。 ましてや。 「ルー。ルーシェ」 この名で呼ばれる事などありえない。 ルー・ディナの真名を知っている者など極わずかしかいなかった。 その上、この声はとても懐かしい者を思い出させる。 夢にしてはあまりにもはっきりと聞こえる声。 けれど、現だとは思えない。 なぜなら彼の存在は当の昔に失ったから。 自分がこの場に篭るよりも随分と昔に。 それでも自分を呼ぶ声を否定できなくて、ルー・ディナはゆっくりと目を開け。 「よっ。ひさしぶり」 ひょいと挙げられた手に、そこにあるよく見知った顔に唖然とした。 「……シ、シンリア?」 思わずどもってしまったが、誰もそれを責められないだろう。 それぐらいその男の出現はルー・ディナの瞳を疑わせるものだった。 「なんで君がここに?」 ガバリと起き上がり、相手の胸元に掴みかかろうとしてその手がすり抜ける。 その事により一層驚き、ルー・ディナは自分の手と相手の顔を交互に見た。 「ま、ご覧の通り実体じゃない。事情は察しろ」 シンリアがルー・ディナの様子に苦笑する。 「あー、もしかして僕のせい?」 少し考えてからなんとなく思い当たった事柄に、ルー・ディナが気まずげにあらぬ方を見た。 「当たらずといえども遠からず、か。一概におまえのせいばかりでもないが、切欠はそうだな」 シンリアは取り繕う事もせずに言い切り、それに肩を落としたルー・ディナの頭をグリグリと撫でた。 まあ撫でるといっても、実際に触れる事はできないのでその仕草だけだが。 「ルーシェは変わらないな。残念なのは相変わらずその姿だって事か。おまえは女の姿の方がいいぞ。ま、その姿でも十分可愛いが」 久方ぶりに会った友人に対して言う言葉がそれなのか。 「……シンリアも全然、変わってないね。たらしも健在だし。なんども生まれ変わってるんだから、改善されても良いと思うんだけど」 驚きは完全に消え、ルー・ディナは呆れたように半眼でシンリアを見た。 「たらしって言うな。俺は紳士なだけだ。それにそうそう俺が変わるわけないだろ。俺は俺だし、基本的に俺の意識は眠っている。本来なら覚める事のない魂の深い場所でな。そもそも俺の意識が残っている事事態が変則であり、俺自身も望んでない結果だったんだ。生まれ変わった生は俺であって俺じゃない。わかっているだろ?」 「まあそうだけど――」 いまいち納得できない様子でルー・ディナは口を尖らせる。 それでも君に会えてうれしい。 ルー・ディナは口に出しかけた言葉を飲み込んだ。 そんなルー・ディナの内心など知る由もなく。 シンリアは久方ぶりに会う友人の姿を見つめ、懐かしそうに目を細めて笑みを浮かべたのだった。 「それで、何か用があったんじゃないの?」 シンリアの性格を鑑みれば、それは明白で。 ルー・ディナの問いにシンリアは真面目な顔になり頷いた。 「ああ。今回の俺の生まれ変わりの事なんだが、おまえ知ってるよな?」 「まあ、いちおうね。それがどうかしたの?」 知っているかと問われれば知っている。 今世の彼とは話もした。 不思議そうに首を傾げ、ルー・ディナは問いの意味を計り兼ねて問いかけた。 「ああ。ならわかってるか」 シンリアの呟きに、ルー・ディナはさらに首を傾げる。 「何が?」 「何がっておまえ、気づかなかったのか? ルーシェのかけた封印、緩みだしてるんだ。場合によっては今回、解けるかもしれないぞ」 「はあ? まさかそんな事は……」 目を丸くするルー・ディナに、シンリアが徐にため息をついた。 「ありそうだから、わざわざ俺が忠告に来たんだろうが」 「にしたって、まさか。そんな柔な封印したつもりないんだけど」 魂になって還ってくるたびにかけなおしている封印は、ちょっとやそっとで解けるはずがないのだ。 それだけ念入りにかけている。 だというのに、それがもう緩んでいるなんて、そんな事がありうるのだろうか。 半信半疑な思いで考え込んでしまったルー・ディナの思考を遮るように、シンリアが口を開く。 「今回は血筋が悪かった。色々揃い過ぎてるからな。そういうわけだから封印は中で俺がやり直す。ただ、その間にもし何かあっても対応しきれないから、その時は頼むな」 真摯な態度で頷いたルー・ディナを見て、 「じゃあ俺は戻る。ルーシェ、元気でな。メイシアによろしく言っておいてくれ」 シンリアは来た時同様、片手を上げる。 まるでもう会う気はないと言っているようなその表情に、ルー・ディナは口を開きかけたが。 「終わったら勝手にまた眠るからな。次こそは永久の眠りである事を願うか」 シンリアの淋しげな笑いと呟きに、口を閉ざすしかなかった。 彼の望みは死した後から変わらない。 魂を残したまま、シンリアという存在だけを無へ還す事だった。 言いたい事だけ言って去ってしまった旧友に、ルー・ディナはため息をついた。 「まったく。ああいう所はホントに変わってないんだから」 ぼそりと呟き、 「でも、あの子については何も言わなかった」 頬杖をついて物思いに耽る。 自分達にも縁のある、シンリアの伴侶となったあの子。 わかっているだろうに聞かない。 シンリアは特別だった。 神として生まれた彼はその身を人にやつし死したが、そこで誤算が生じた。 本来、魂は生まれ変わる時に、その前の記憶を消し、限りなくゼロになる。 何にも染まらない、捕われない状態で、新しい生を始めるために。 だから、同じ魂を持っていようと同じ人間ではない。 それは同じ魂を持った別人となる。 それが、人間の生だった。 だというのに、シンリアの魂はすべてを忘れなかった。 それが神として生まれ、人間になり死したために起きてしまった変則だった。 何某かある事はカイナから聞いていたのだろう。 シンリアはその事実を静かに受け止め、自らの魂の奥底で深い深い眠りにつく事を選んだ。 魂は生と死を繰り返す。 シンリアはその事実を誰よりも知っていた。 カイナに生み出された時より、魂の安息を長く見守ってきたが故に。 自らもそれから逃れる事はできないと。 逃れればそれは魂の死、消滅。 無に還る事だと知っていた。 彼が愛した娘はもうどこにもいない。 それでも彼の愛した娘の魂は生と死を繰り返す。 たとえ何度限りなくゼロになろうとも、それは完全にゼロになるわけではない。 同じではなくとも、確かに彼の娘は存在するのだ。 だから、彼は眠り続ける事を選んだ。 それは人の魂の死と同等の意。 彼の魂は人として生と死を繰り返し、各々別人として人の生をまっとうする。 それでもやはり魂が求めるのか、娘の魂を持つ者を求め続ける。 娘の魂を持つ者は彼の魂を持つ者を選ぶ。 因果は巡り続けた。 そして、今生で久方ぶりに出会えた二つの魂はまた結ばれる。 彼の傍にはやはり今もその存在があったのだ。 |
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