地の先導者 <5>



周りの反応はシリスの予想以上に早かった、というべきか。
シリスが結婚の意思を示した途端、結婚の申し込みが急増した。
多少は増えるかもしれないと思っていたが、それがまさか今までの倍以上とは考えてもおらず、目の前に積まれた紙の束をシリスはうんざりと眺める。
「俺の言葉をしっかり聞いていたのか、まったく」
いったいどのような伝達がなされたのか。
疑問ではあるが、この現状を考えるにそれが正確でなかった事だけは確かだった。
なぜなら。
「俺の伴侶はただ一人。そう言ったはずなんだがな」
シリスは小さくぼやき、ため息をついた。
その指には今も小さな青い石のついた指輪がはめられている。
「あなたが結婚の意思をやっと示したから、ここぞとばかりに申し込みが殺到したんでしょうけど。どのような伝達がされたかは知りませんが、あなたの性格を考えれば断られる事ぐらいわかりそうなものでしょうにね。――六年前の騒動がもう記憶の彼方とは嘆かわしい」
シリスの前の紙束を更に分別していたリマが手を止め、深々とため息をつく。
「……あれを六年で忘れ去る事ができたなら、すごいと俺は心底感心するぞ。だが、そもそもあの騒動の発端は俺じゃなくておまえだろ」

リマが結婚したのは六年前の事。
その時に引き起こされた騒動を、シリスは今でも苦い思い出として色鮮やかに思い出す事ができる。
どこか他人事のような態度を取るリマをシリスは胡乱に見たが、すぐに手元に視線を戻し、彼が分別したものにさっと目を通して決まり文句の断りの返事を一枚一枚書いていく。
「それはそうですが。それに便乗して事を大きくしたのはシリスでしょう。すべてが私のせいみたいな言い方はやめてください」
シリスを非難するように、リマが軽く睨む。
「それにあれのお陰で結婚の申し込みは激減したでしょう? しかも、誰もあなたに結婚を迫らなくなったというおまけつきで。私は感謝されてもいいぐらいだと思うんですけどね」
その言葉にシリスの頬がピクリと一瞬引きつった。
「……確かに激減したな。したがな、しばらく俺はおまえの尻拭いに借り出されるはめになった。あの仕打ちを思えば割に合わない。どう考えたっておつりをもらってもいいぐらいだ」

動かす手は止めないまま反論するシリスの目の前に、リマがそっと一枚の紙を差し出した。
「紛れていましたよ。どうしますか?」
紙を受け取ったシリスがそれに書かれていた文面を読み、眉間に皺を寄せた。
「紛れていたと言うか?」
「いちおう紛れていたと言うべきでしょう。どう判断するかは別として、文面自体は留学の申し込みでしかありませんから」
しれっと言い放つリマに、シリスが渋面を作る。
そして、しばし思案した後に深くため息をついた。
「断る事は……得策ではない、か」
重々しく吐き出された言葉にリマは頷いた。
「ええ、そうですね。フィシアは何代も前からの友好国ですし、先々代の時に正妃でなかったとはいえ、妃ももらい受けています。繋がりはそこそこ深い。だからこそ、無下にもできない。――ただ、あの国には今、姫しかいないんですよね」
顔をしかめるリマに、シリスも同意を示す。
あまりにもこの留学の話は時期が合致しすぎていた。
だからこそ、初めに仕分けした官も結婚申し込み書類と判断したのだろう。
「今回のこれは遠回しの見合い、か」
「その可能性も否定できないでしょう」
リマはシリスの言葉に同意を示し、彼の答えを待った。
「……もしそうだとしても王としての俺に選択権はない。受けるしかないだろう」
ため息と共に吐き出された結論は力無いものだった。

できれば受けたくはない。
それが偽らざる本音ではあるけれど――。
「あそこには今回の件でもかなり世話になった。フィシアの支援がなければ、これほど早く復旧はできなかったはずだ。それを考えれば、今回うちが断わる事はできない。ただし――」
そこで言葉を区切り、シリスはリマをまっすぐに見る。
「この手紙はあくまで留学の申し込みだ。それ以外の何物でもない。よって、俺はそれ以上の事は知らん。我が国はあくまで王族の短期留学生を一人受け入れる。それだけだ」
金色の瞳に確固とした意思を示して、彼は言い切った。
その姿にリマは微笑む。
「わかりました。そのように手配します。ただ、相手がどのような考えの元で来るかわかりませんから、警戒はおこたらない方がいいでしょう。勝手な事をされては困りますからね、各方面それぞれに」
含むような言い方をするリマに、シリスが顔をしかめる。
「フィシアの方は相手の出方次第だが、おまえの言う各方面それぞれにはちょっと釘を刺しておけ。方法はおまえに任せる」
煩わしくてかなわないとぼやくシリスに、リマは苦笑する。

「スーリャを泣かせるのは私も本意ではないですし、精一杯長引く釘を打つ事にします。こちらは私が引き受けますが、シリスの方も十分気をつけてくださいね」
付け込まれるような隙は作るなと遠回しに忠告する彼を見て、シリスは眉間に皺を寄せる。
「わかっているさ」
唸るように言葉を返し、
「俺は蒼夜を裏切ったりしない。泣かすような事はしない。ただな、もし……。そんな事絶対に起こりはしないだろうが、もし俺が王の義務として蒼夜以外の誰かを娶ったとしても、たぶんあれは何も言わない。黙って仕方ないと受け入れる。そんな気がしてな。俺はそれが恐い」
シリスは視線を彷徨わせ、窓の外を見る。
こんな話にをするには似つかわしくないほど、今日の空は澄み、晴れ渡っていた。

スーリャはシリスを責めない。
王として必要だとシリスが下した決断なら、それが彼にとって裏切りだったとしても彼はシリスを許すだろう。
それは彼が王という立場を深く理解しているからだ。
シリスが王として背負っているモノを――。
だから、たぶん彼は己の感情すら無意識に胸の内に深く沈めてしまうだろう。
元々、彼にはそういう所がある。
そして、そういうものほどきれいに隠してしまえる。
もしかしたら自分は気づかないかもしれない。
それがシリスには恐かった。

「あなた達に必要なのは話し合う事だと思いますよ?」
年長者らしく助言するリマに、シリスは苦く笑う。
「わかっているさ。今まで生きてきた世界すらまったく違ったんだ。互いの事を知るために、そこから埋めていかなければダメだろう。ただ――」
「ただ?」
何事か考えるように黙り込んだシリスを、リマが促す。
「あれは頑固だからな。一度こうと決めたら突き進むのみで止まりもしない。その先がどこに向かうのか、俺にはわからん。止められるかは五分だな」
「……振り回されるのを楽しんでいるでしょう?」
いきなり惚気られて、呆れたとでも言いたげにリマは嘆息する。
それにシリスが神妙な顔をして。
「そう見えるか?」
「ええ」
リマは真顔で深々と頷き、それを見てシリスが複雑な笑みを浮かべた。

肯定とも否定とも言える笑み。
「そう見えるか。まあ、そうかもしれないな」
力無い様子のシリスを、リマは訝しく思う。
「スーリャと何かあったんですか?」
先日けしかけた事もあり、彼の覇気の無さが余計に目についた。
「あったとも言えるし、なかったとも言える。まあ俺の気持ちの問題だ」
「は?」
いつになく様子のおかしいシリスに、リマは目を見張る。
「大丈夫ですか?」
呆気に取られ、思わずマジマジとその顔を見つめた。
「何がだ?」
自分に向けられる視線の意味を捉えかねて、シリスが眉をひそめる。
「いえ、いつになく妙な発言をするので、変な物でも食べて当たったのかと……」
別にリマも本気でそう思っていたわけではない。
だが、原因が思いつかない。
それほどに今のシリスの沈みようは、非常にめずらしかった。

「おまえこそ、呆けた事を抜かすな。たまには俺だってそういう気分になる時もある」
「いえ、無いとはいいませんよ。ただ、シリスがっていうのが、ちょっと信じられなくて……」
疑いの眼差しを向けて言いたい放題のリマに、シリスはため息をついた。
「おまえにぼやいた俺が悪かった。忘れてくれ」
そう言い、彼は返信作業に戻ってしまった。
その姿を無言のまましばし見つめた後、リマも中断していた仕分け作業に戻ったのだが。
「時間が解決してくれる事もありますよ。何にせよ、焦っては事を仕損じます」
シリスを慰めるようにぼそりと呟いた。
彼は無言のまま、苦笑を返すだけだった。



しばらく無言で作業していた二人だったが、その沈黙をリマが破った。
「――シリス、その他に何かあったでしょう?」
リマの気遣わしげな視線と目が合い、シリスは肩を竦めた。
誤魔化し通せたつもりでいたが、やはり無理だったらしい。
「……蒼夜が治癒術を使えるって知っていたか?」
いずれはリマに相談するつもりでいた。
けれど、まだするつもりのなかった事柄を仕方なくシリスは口にした。
「は? なんですって?」
リマの反応は予想通りだった。
疑問系で訊ねはしたものの、彼がその事を知っていたなら自分に話さないわけがない。
「いや、だから――」
「二度も言わないで結構」
リマが再度同じ事を繰り返そうとしたシリスの言葉を遮り、その顔をマジマジと見つめる。
シリスは憮然とした表情ではあったが、文句を口にするでもなくリマの次の言葉を静かに待った。
「そうですか。治癒術を――。あれはうちの血筋の者しか使えないと思っていたんですけどね」
考えるようにリマは顎に手を当てる。
「それはまた、少々厄介な事になりそうですね。それで、シリス。人目のある場所では治癒術を使うなとスーリャに言い含めておいたんでしょうね?」

「あ?」
あらぬ方に目線を逸らしたシリスを、リマが睨む。
「言わなかったんですか!」
批難の声に、シリスが身を縮ませる。
「いや、まあ、その……」
彼のしどろもどろな返事に、
「――忘れたんですね」
額に手を当て、リマがわざとらしくため息をついた。
「悪い。だが、たぶんナイーシャさんが何か言っているだろう。あの力を持つ事がどういう事か、その危険性を含めてな」
「ええ。そうだと思いたいですが……母さんもうっかりな所がありますからね。あとで確認しておきましょう」
「ああ。そうしてくれると助かる」

双方、どちらからともなく顔を見合わせため息をつく。
「問題は山積みですね」
リマがげんなりとした様子で呟き、シリスが頷いた。
「まあな。だが、逃げるわけにはいかない。俺が俺であるためにもな」
シリスがシリスであるために。
それにはもう、スーリャの存在が不可欠で。
彼が幸せである事。
それが、シリスの幸せにも繋がる事だった。

だから――。

大切で愛しい彼の存在の身も心も守るために、シリスは戦う。
どんな手を使ってでも。
彼の金色の瞳には強い覚悟の意思が宿っていた。





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2007/12/08



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